🪻【源氏物語420 第13帖 明石82】源氏は、2年半の間にさらに美しくなった紫の上に会えた。しかし別離を悲しんだ明石の君を可哀想に思いやられた。
〜紫夫人も生きがいなく思っていた命が、
今日まであって、
源氏を迎ええたことに満足したことであろうと思われる。
美しかった人のさらに完成された姿を
二年半の時間ののちに源氏は見ることができたのである。
寂しく暮らした間に、あまりに多かった髪の量の
少し減ったまでもがこの人をより美しく思わせた。
こうしてこの人と永久に住む家へ帰って来ることができたのであると、
源氏の心の落ち着いたのとともに、
またも別離を悲しんだ明石の女がかわいそうに思いやられた。
源氏は恋愛の苦にどこまでもつきまとわれる人のようである。
🪻【源氏物語421 第13帖 明石83】源氏は紫の上に明石の君のことを話した。女王は「身をば思はず」などと儚そうに言っているのを美しく可憐に思った。
〜源氏は夫人に明石の君のことを話した。
女王はどう感じたか、
恨みを言うともなしに「身をば思はず」百人一首 38番 右近の和歌
(忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな)
などとはかなそうに言っているのを、
美しいとも可憐《かれん》であるとも源氏は思った。
見ても見ても見飽かぬこの人と別れ別れにいるようなことは
何がさせたかと思うと今さらまた恨めしかった。
🪻【源氏物語422 第13帖 明石84】源氏は権大納言となり、侍臣達の官位も戻された。帝のお召しがあり源氏は参内する。朱雀帝は源氏に会うのを晴れがましく思し召しになった。
〜間もなく源氏は本官に復した上、
権大納言《ごんだいなごん》も兼ねる辞令を得た。
侍臣たちの官位もそれぞれ元にかえされたのである。
枯れた木に春の芽が出たようなめでたいことである。
お召しがあって源氏は参内した。
お常御殿に上がると、
源氏のさらに美しくなった姿を
あれで田舎住まいを長くしておいでになったのかと人は驚いた。
前代から宮中に奉仕していて、年を取った女房などは、
悲しがって今さらまた泣き騒いでいた。
帝《みかど》も源氏にお逢いになるのを
晴れがましく思召《おぼしめ》されて、
お身なりなどをことにきれいにあそばしてお出ましになった。
ずっと御病気でおありになったために、
衰弱が御見えになるのであるが、
昨今になって陛下の御気分はおよろしかった。
🪻【源氏物語423 第13帖 明石85】十五夜の月の静かなもとで、帝と源氏はしめやかにお話あそばした。帝は君主としての過失を自らお認めになる情をお見せになった。
〜しめやかにお話をあそばすうちに夜になった。
十五夜の月の美しく静かなもとで
昔をお忍びになって帝はお心をしめらせておいでになった。
お心細い御様子である。
「音楽をやらせることも近ごろはない。
あなたの琴の音もずいぶん長く聞かなんだね」
と仰せられた時、
わたつみに 沈みうらぶれ ひるの子の
足立たざりし 年は経にけり
と源氏が申し上げると、
帝は兄君らしい憐《あわれ》みと、
君主としての過失を
みずからお認めになる情を優しくお見せになって、
宮ばしら めぐり逢ひける 時しあれば
別れし春の 恨み残すな
と仰せられた。
艶《えん》な御様子であった。
🪻【源氏物語424 第13帖 明石86】源氏は法華経の八講を行う準備をさせていた。東宮は聡明にお育ちになっておられる。入道の宮にはしばらくたって訪問した。
〜源氏は院の御為《おんため》に
法華経《ほけきょう》の八講を行なう準備をさせていた。
東宮にお目にかかると、
ずっとお身大きくなっておいでになって、
珍しい源氏の出仕をお喜びになるのを、
限りもなくおかわいそうに源氏は思った。
学問もよくおできになって、
御位《みくらい》におつきになってもさしつかえはないと
思われるほど御聡明《そうめい》であることがうかがわれた。
少し日がたって気の落ち着いたころに御訪問した入道の宮ででも、
感慨無量な御会談があったはずである。
🪻【源氏物語425 第13帖 明石87】源氏は明石から送ってきた使いに手紙を持たせて帰した。紫の上にはばかりながら 細やかな情を書き送った。
〜源氏は明石から送って来た使いに手紙を持たせて帰した。
夫人にはばかりながらこまやかな情を女に書き送ったのである。
毎夜毎夜悲しく思っているのですか、
歎きつつ 明石の浦に 朝霧の
立つやと人を 思ひやるかな
こんな内容であった。
🪻【源氏物語426 第13帖 明石88 完】大弐の娘、五節は二条の院に手紙をおかせた。好きな女であったので訪ねたいと思ったが、不謹慎なもとはできないと思われた。
〜大弐《だいに》の娘の五節《ごせち》は、
一人でしていた心の苦も解消したように喜んで、
どこからとも言わせない使いを出して、
二条の院へ歌を置かせた。
須磨の浦に 心を寄せし 船人の
やがて朽《く》たせる 袖を見せばや
字は以前よりずっと上手になっているが、
五節に違いないと源氏は思って返事を送った。
かへりては かごとやせまし 寄せたりし
名残《なごり》に 袖の乾《ひ》がたかりしを
源氏はずいぶん好きであった女であるから、
誘いかけた手紙を見ては
訪ねたい気がしきりにするのであるが、
当分は不謹慎なこともできないように思われた。
花散里《はなちるさと》などへも手紙を送るだけで、
逢いには行こうとしないのであったから、
かえって京に源氏のいなかったころよりも寂しく思っていた。
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