🪻【源氏物語375 13帖 明石37】源氏は代筆の返事は要らないと書いて手紙を書いた。明石の娘は入道に責められて香のにおいの沁んだ紙に返事を書いた。
〜翌日また源氏は書いた。
代筆のお返事などは必要がありません。と書いて、
いぶせくも 心に物を 思ふかな やよやいかにと 問ふ人もなみ
言うことを許されないのですから。
今度のは柔らかい薄様《うすよう》へはなやかに書いてやった。
若い女がこれを不感覚に見てしまったと思われるのは残念であるが、
その人は尊敬してもつりあわぬ女であることを痛切に覚える自分を、
さも相手らしく認めて手紙の送られることに涙ぐまれて
返事を書く気に娘はならないのを、
入道に責められて、
香のにおいの沁《し》んだ紫の紙に、
字を濃く淡《うす》くして紛らすようにして娘は書いた。
🪻【源氏物語376 第13帖 明石38】明石入道の娘は京の貴女にあまり劣らないほど上手であった。源氏は京の生活が思い出され楽しかった。
〜思ふらん 心のほどや やよいかに
まだ見ぬ人の 聞きか悩まん
手も書き方も京の貴女にあまり劣らないほど上手であった。
こんな女の手紙を見ていると京の生活が思い出されて
源氏の心は楽しかったが、
続いて毎日手紙をやることも人目がうるさかったから、
二、三日置きくらいに、寂しい夕方とか、
物哀れな気のする夜明けとかに書いてはそっと送っていた。
あちらからも返事は来た。
🪻【源氏物語377 第13帖 明石39】源氏は心惹かれるものの 良清から横取りする形になるのは可哀想だと思う。とはいえ娘の方から接近しようとしない。
〜相手をするに不足のない思い上がった娘であることがわかってきて、
源氏の心は自然 惹かれていくのであるが、
良清《よしきよ》が
自身の縄張りの中であるように言っていた女であったから、
今眼前横取りする形になることは彼にかわいそうであると
なお躊躇《ちゅうちょ》はされた。
あちらから積極的な態度をとってくれば
良清への責任も少なくなるわけであるからと、
そんなことも源氏は期待していたが女のほうは
貴女と言われる階級の女以上に思い上がった性質であったから、
自分を卑しくして
源氏に接近しようなどとは夢にも思わないのである。
結局どちらが負けるかわからない。
🪻【源氏物語378 第13帖 明石40】紫の上を恋しく思う源氏。そっとこちらに迎えようとも思うが、やはり忍ぶ方が良いのであるとして恋しさを抑えていた。
〜何ほども遠くなってはいないのであるが、
ともかくも須磨の関が中にあることになってからは、
京の女王がいっそう恋しくて、
どうすればいいことであろう、
短期間の別れであるとも思って捨てて来たことが残念で、
そっとここへ迎えることを実現させてみようかと
時々は思うのではあるが、
しかしもうこの境遇に置かれていることも
先の長いことと思われない今になって、
世間体のよろしくないことは
やはり忍ぶほうがよいのであるとして、
源氏はしいて恋しさをおさえていた。
🪻【源氏物語379 第13帖 明石41】日本は天変地異に見舞われた。朱雀帝の夢に先帝が現れ いろいろ仰せになった。
〜この年は日本に天変地異ともいうべきことがいくつも現われてきた。
三月十三日の雷雨の烈《はげ》しかった夜、
帝《みかど》の御夢に
先帝が清涼殿の階段《きざはし》の所へお立ちになって、
非常に御機嫌の悪い顔つきでおにらみになったので、
帝がかしこまっておいでになると、
先帝からはいろいろの仰せがあった。
それは多く源氏のことが申されたらしい。
おさめになったあとで帝は恐ろしく思召した。
また御子として、
他界におわしましてなお御心労を負わせられることが
堪えられないことであると
悲しく思召した。
🪻【源氏物語380 第13帖 明石42】帝は目をお患いになり、大后の父の大臣も亡くなった。大后も寝付くことも多くなり 帝は御心痛をあそばされた。
〜太后へお話しになると、
「雨などが降って、天気の荒れている夜などというものは、
平生神経を悩ましていることが
悪夢にもなって見えるものですから、
それに動かされたと
外へ見えるようなことはなさらないほうがよい。
軽々しく思われます」
と母君は申されるのであった。
おにらみになる父帝の目と視線をお合わせになったためでか、
帝は眼病におかかりになって
重くお煩《わずら》いになることになった。
御謹慎的な精進を宮中でもあそばすし、
太后の宮でもしておいでになった。
また太政大臣が突然 亡《な》くなった。
もう高齢であったから不思議でもないのであるが、
そのことから
不穏な空気が世上に醸されていくことにもなったし、
太后も何ということなしに寝ついておしまいになって、
長く御平癒《へいゆ》のことがない。
御衰弱が進んでいくことで帝は御心痛をあそばされた。
🪻【源氏物語381 第13帖 明石43】朱雀帝は源氏を許し本官に復させようと仰せであるが、大后はあくまで賛成をあそばないままで月日が経つ。
〜「私はやはり源氏の君が犯した罪もないのに、
官位を剥奪《はくだつ》されているようなことは、
われわれの上に報いてくることだろうと思います。
どうしても本官に復させてやらねばなりません」
このことをたびたび帝は太后へ仰せになるのであった。
「それは世間の非難を招くことですよ。
罪を恐れて都を出て行った人を、
三年もたたないでお許しになっては
天下の識者が何と言うでしょう」
などとお言いになって、
太后はあくまでも源氏の復職に
賛成をあそばさないままで月日がたち、
帝と太后の御病気は
依然としておよろしくないのであった。
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