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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【10分で聴く源氏物語 第12帖 須磨11】紫式部は、秦時代の馬と鹿の逸話、北夷に嫁いだ美女 王昭君。菅原道真公が太宰府に流される時の明石駅長の話、召人、五節の君の哀しみ。源氏物語は深いby🐱

🌊【源氏物語318 第12帖 須磨52】大弐の子の筑前守が源氏を訪ねた。彼は泣く泣く帰って、源氏のの様子などを報告する。大弐も、京から来ていた迎えの人たちも皆泣いた。

〜大弐は源氏へ挨拶《あいさつ》をした。

「はるかな田舎《いなか》から上ってまいりました私は、

 京へ着けばまず伺候いたしまして、

 あなた様から都のお話を伺わせていただきますことを

 空想したものでございました。

 意外な政変のために御隠栖になっております土地を

 今日通ってまいります。

 非常にもったいないことと存じ、

 悲しいことと思うのでございます。

 親戚と知人とが

 もう京からこの辺へ迎えにまいっておりまして、

 それらの者がうるそうございますから、

 お目にかかりに出ないのでございますが、

 またそのうち別に伺わせていただきます」

というのであって、

子の筑前守《ちくぜんのかみ》が使いに行ったのである。

 

源氏が蔵人《くろうど》に推薦して引き立てた男であったから、

心中に悲しみながらも人目をはばかってすぐに帰ろうとしていた。

「京を出てからは昔懇意にした人たちとも

 なかなか逢えないことになっていたのに、

 わざわざ訪ねて来てくれたことを満足に思う」

と源氏は言った。

 

大弐への返答もまたそんなものであった。

筑前守は泣く泣く帰って、

源氏の住居《すまい》の様子などを報告すると、

大弐をはじめとして、

京から来ていた迎えの人たちもいっしょに泣いた。

 

🌊【源氏物語319 第12帖 須磨53】五節の君は源氏に手紙を送った。明石の駅長に詩を残した菅公のように源氏が思われて、五節は大変 同情した。

〜五節《ごせち》の君は人に隠れて源氏へ手紙を送った。

 琴の音に ひきとめらるる 綱手縄《つなてなは》

 たゆたふ心 君知るらめや

音楽の横好きをお笑いくださいますな。

と書かれてあるのを、

源氏は微笑しながらながめていた。

若い娘のきまり悪そうなところのよく出ている手紙である。

 心ありて ひくての綱の たゆたはば

 打ち過ぎましや 須磨の浦波

漁村の海人《あま》になってしまうとは思わなかったことです。

これは源氏の書いた返事である。

明石の駅長に詩を残した菅公のように源氏が思われて、

五節は

親兄弟に別れてもここに残りたいと思うほど同情した。

 

🌊【源氏物語320 第12帖 須磨54】京では 光源氏のない寂寥を多く感じた。東宮は常に源氏を恋しく思召して、人の見ぬ時には泣いておいでになる。

〜京では月日のたつにしたがって

光源氏のない寂寥《せきりょう》を多く感じた。

陛下もそのお一人であった。

まして東宮は常に源氏を恋しく思召《おぼしめ》して、

人の見ぬ時には泣いておいでになるのを、

乳母《めのと》たちは哀れに拝見していた。

 

命婦《おうみょうぶ》はその中でもことに

複雑な御同情をしているのである。

入道の宮は東宮の御地位に動揺を

きたすようなことのないかが常に御不安であった。

源氏までも失脚してしまった今日では、

ただただ心細くのみ思っておいでになった。

 

🌊【源氏物語321 第12帖 須磨55】弟宮達や高官との手紙のやり取りも、大后の怒りを恐れて消息を近頃しなくなった。

〜源氏の御弟の宮たちそのほか親しかった高官たちは

初めのころしきりに源氏と文通をしたものである。

人の身にしむ詩歌が取りかわされて、

それらの源氏の作が世上にほめられることは

非常に太后のお気に召さないことであった。

「勅勘を受けた人というものは、

  自由に普通の人らしく生活することができないものなのだ。

  風流な家に住んで現代を誹謗《ひぼう》して

  鹿を馬だと言おうとする人間に阿《おもね》る者がある」

とお言いになって、

報復の手の伸びて来ることを迷惑に思う人たちは警戒して、

もう消息を近来しなくなった。

 

🌊【源氏物語322 第12帖 須磨56】紫の上の美しい容姿に、誠実な性格に、暖かい思いやりのある人扱いに敬服して暇乞いする者はいない。源氏は紫の上と離れているのが堪え難い。

〜二条の院の姫君は時がたてばたつほど、

悲しむ度も深くなっていった。

東の対にいた女房もこちらへ移された初めは、

自尊心の多い彼女たちであるから、たいしたこともなくて、

ただ源氏が特別に心を惹かれているだけの女性であろうと

女王を考えていたが、

馴《な》れてきて夫人のなつかしく美しい容姿に、

誠実な性格に、暖かい思いやりのある人扱いに敬服して、

だれ一人 暇《いとま》を乞《こ》う者もない。

良い家から来ている人たちには 夫人も顔を合わせていた。

だれよりも源氏が愛している理由がわかったように

彼女たちは思うのであった。

 

須磨のほうでは紫の女王《にょおう》との別居生活が

このまま続いて行くことは堪えうることでないと

源氏は思っているのであるが、

自分でさえ 何たる宿命でこうした生活をするのかと情けない家に、

花のような姫君を迎えるという事は

あまりに思いやりのないことであると

また思い返されもするのである。

下男や農民に何かと人の小言《こごと》を言う事なども

居間に近い所で行なわれる時、

あまりにもったいないことであると

源氏自身で自身を思うことさえもあった。

 

🌊【源氏物語323 第12帖 須磨57】灰色の空をながめながら源氏は琴を弾いていた。良清に歌を歌わせて、惟光には笛の役を命じた。源氏の琴の音に二人は涙を流していた。

〜近所で時々煙の立つのを、

これが海人《あま》の塩を焼く煙なのであろうと

源氏は長い間思っていたが、

それは山荘の後ろの山で柴《しば》を燻《く》べている煙であった。

これを聞いた時の作、

 山がつの 庵《いほり》に 焚《た》けるしば

 しばも言問ひ 来なむ恋ふる里人

冬になって雪の降り荒れる日に

灰色の空をながめながら源氏は琴を弾いていた。

良清《よしきよ》に歌を歌わせて、

惟光《これみつ》には笛の役を命じた。

細かい手を熱心に源氏が弾き出したので、

他の二人は命ぜられたことをやめて琴の音に涙を流していた。

 

漢帝が北夷《ほくい》の国へ

おつかわしになった宮女の琵琶《びわ》を弾いて

みずから慰めていた時の心持ちは

ましてどんなに悲しいものであったであろう、

それが現在のことで、

自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、

とそんなことを源氏は想像したが、

やがてそれが真実のことのように思われて来て、

悲しくなった。

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