🌊【源氏物語318 第12帖 須磨52】大弐の子の筑前守が源氏を訪ねた。彼は泣く泣く帰って、源氏のの様子などを報告する。大弐も、京から来ていた迎えの人たちも皆泣いた。
〜大弐は源氏へ挨拶《あいさつ》をした。
「はるかな田舎《いなか》から上ってまいりました私は、
京へ着けばまず伺候いたしまして、
あなた様から都のお話を伺わせていただきますことを
空想したものでございました。
意外な政変のために御隠栖になっております土地を
今日通ってまいります。
非常にもったいないことと存じ、
悲しいことと思うのでございます。
親戚と知人とが
もう京からこの辺へ迎えにまいっておりまして、
それらの者がうるそうございますから、
お目にかかりに出ないのでございますが、
またそのうち別に伺わせていただきます」
というのであって、
子の筑前守《ちくぜんのかみ》が使いに行ったのである。
源氏が蔵人《くろうど》に推薦して引き立てた男であったから、
心中に悲しみながらも人目をはばかってすぐに帰ろうとしていた。
「京を出てからは昔懇意にした人たちとも
なかなか逢えないことになっていたのに、
わざわざ訪ねて来てくれたことを満足に思う」
と源氏は言った。
大弐への返答もまたそんなものであった。
筑前守は泣く泣く帰って、
源氏の住居《すまい》の様子などを報告すると、
大弐をはじめとして、
京から来ていた迎えの人たちもいっしょに泣いた。
🌊【源氏物語319 第12帖 須磨53】五節の君は源氏に手紙を送った。明石の駅長に詩を残した菅公のように源氏が思われて、五節は大変 同情した。
〜五節《ごせち》の君は人に隠れて源氏へ手紙を送った。
琴の音に ひきとめらるる 綱手縄《つなてなは》
たゆたふ心 君知るらめや
音楽の横好きをお笑いくださいますな。
と書かれてあるのを、
源氏は微笑しながらながめていた。
若い娘のきまり悪そうなところのよく出ている手紙である。
心ありて ひくての綱の たゆたはば
打ち過ぎましや 須磨の浦波
漁村の海人《あま》になってしまうとは思わなかったことです。
これは源氏の書いた返事である。
明石の駅長に詩を残した菅公のように源氏が思われて、
五節は
親兄弟に別れてもここに残りたいと思うほど同情した。
🌊【源氏物語320 第12帖 須磨54】京では 光源氏のない寂寥を多く感じた。東宮は常に源氏を恋しく思召して、人の見ぬ時には泣いておいでになる。
〜京では月日のたつにしたがって
光源氏のない寂寥《せきりょう》を多く感じた。
陛下もそのお一人であった。
まして東宮は常に源氏を恋しく思召《おぼしめ》して、
人の見ぬ時には泣いておいでになるのを、
乳母《めのと》たちは哀れに拝見していた。
王命婦《おうみょうぶ》はその中でもことに
複雑な御同情をしているのである。
入道の宮は東宮の御地位に動揺を
きたすようなことのないかが常に御不安であった。
源氏までも失脚してしまった今日では、
ただただ心細くのみ思っておいでになった。
🌊【源氏物語321 第12帖 須磨55】弟宮達や高官との手紙のやり取りも、大后の怒りを恐れて消息を近頃しなくなった。
〜源氏の御弟の宮たちそのほか親しかった高官たちは
初めのころしきりに源氏と文通をしたものである。
人の身にしむ詩歌が取りかわされて、
それらの源氏の作が世上にほめられることは
非常に太后のお気に召さないことであった。
「勅勘を受けた人というものは、
自由に普通の人らしく生活することができないものなのだ。
風流な家に住んで現代を誹謗《ひぼう》して
鹿を馬だと言おうとする人間に阿《おもね》る者がある」
とお言いになって、
報復の手の伸びて来ることを迷惑に思う人たちは警戒して、
もう消息を近来しなくなった。
🌊【源氏物語322 第12帖 須磨56】紫の上の美しい容姿に、誠実な性格に、暖かい思いやりのある人扱いに敬服して暇乞いする者はいない。源氏は紫の上と離れているのが堪え難い。
〜二条の院の姫君は時がたてばたつほど、
悲しむ度も深くなっていった。
東の対にいた女房もこちらへ移された初めは、
自尊心の多い彼女たちであるから、たいしたこともなくて、
ただ源氏が特別に心を惹かれているだけの女性であろうと
女王を考えていたが、
馴《な》れてきて夫人のなつかしく美しい容姿に、
誠実な性格に、暖かい思いやりのある人扱いに敬服して、
だれ一人 暇《いとま》を乞《こ》う者もない。
良い家から来ている人たちには 夫人も顔を合わせていた。
だれよりも源氏が愛している理由がわかったように
彼女たちは思うのであった。
須磨のほうでは紫の女王《にょおう》との別居生活が
このまま続いて行くことは堪えうることでないと
源氏は思っているのであるが、
自分でさえ 何たる宿命でこうした生活をするのかと情けない家に、
花のような姫君を迎えるという事は
あまりに思いやりのないことであると
また思い返されもするのである。
下男や農民に何かと人の小言《こごと》を言う事なども
居間に近い所で行なわれる時、
あまりにもったいないことであると
源氏自身で自身を思うことさえもあった。
🌊【源氏物語323 第12帖 須磨57】灰色の空をながめながら源氏は琴を弾いていた。良清に歌を歌わせて、惟光には笛の役を命じた。源氏の琴の音に二人は涙を流していた。
〜近所で時々煙の立つのを、
これが海人《あま》の塩を焼く煙なのであろうと
源氏は長い間思っていたが、
それは山荘の後ろの山で柴《しば》を燻《く》べている煙であった。
これを聞いた時の作、
山がつの 庵《いほり》に 焚《た》けるしば
しばも言問ひ 来なむ恋ふる里人
冬になって雪の降り荒れる日に
灰色の空をながめながら源氏は琴を弾いていた。
良清《よしきよ》に歌を歌わせて、
惟光《これみつ》には笛の役を命じた。
細かい手を熱心に源氏が弾き出したので、
他の二人は命ぜられたことをやめて琴の音に涙を流していた。
漢帝が北夷《ほくい》の国へ
おつかわしになった宮女の琵琶《びわ》を弾いて
みずから慰めていた時の心持ちは
ましてどんなに悲しいものであったであろう、
それが現在のことで、
自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、
とそんなことを源氏は想像したが、
やがてそれが真実のことのように思われて来て、
悲しくなった。
🪷少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋 ぜひご覧ください🪷 https://syounagon.jimdosite.com