何故 今年《ことし》になって兵を起し、平家に立ち向ったのか。
それは高雄《たかお》山の文覚上人の勧めがあったからである。
この文覚上人というのは、
渡辺の遠藤左近将監茂遠《えんどうさこんのしょうげんもちとお》の子で、
もとは遠藤武者盛遠《えんどうむしゃもりとお》といって
上西門院《じょうせいもんいん》の家臣であった。
ところが十九の年、仏門に帰依する心が俄かにおこり、
ただちに髻《もとどり》を切り捨て修行に出かけた。
この若者は修行とは辛いものと聞き及ぶが、どの位のものか、俺が一つ試そう、
辛い修行に耐えるかどうか俺の心が知りたいといって、
夏の六月、山里の藪に入って修行した。
雲一つない空からぎらつく太陽が照りつければ、
灼《や》きつく大地に風一つなく草の葉一枚もそよがぬ日、
山ぞいの藪の中に入ると裸になって大の字に寝ころんだのである。
熱気こもる藪の中に吹き出す汗の流るるにまかせて寝ていると、
蚊が群がり寄って思う存分血を吸う、虻《あぶ》が刺し、蜂が刺す、
大きな毒蟻《どくあり》が噛み、文覚の五体は、
しばらくすると無慚《むざん》な有様となったが、彼は足の指一つ動かさなかった。
こうして飲まず喰《くら》わず七日間寝ていた。
八日目になると、やおら起きて衣をつけて山を降りた。
毒虫の好餌となってゆがんだ顔で人に尋ねた。
「修行とはこの程度の苦しみなのか」
「いや、そんなことを続けていては、命がいくつあっても持ちますまい」
「これしきのことでか」
といい捨てると再び修行に出かけた。
熊野那智神社に参籠しようとしたが、
まず修行の始めに世に聞えた那智の滝へ打たれてみようと滝壺のところへ赴いた。
厳寒の十二月中旬である。熊野は雪におおわれていた。
雪降りつもり水氷って谷の小川は音もない、
峰々から逆巻き吹きおろす風は身を切り、
滝の白糸はつららとなって垂れ下がっている。
四方を見上げても白銀一色の世界、
梢も見定められぬその中に轟々と瀑布《ばくふ》が地を揺がして鳴っていた。
文覚は衣を捨てると、雪を踏み氷を割って滝壺に下り、首まで体を沈めた。
みるみるうちに足の手の感覚が失われてゆく。
文覚の唇から白い息とともに慈救《じく》の呪文が滝音に抗するように唱えられた。
こうして不動明王の呪文十万遍を唱え切ろうというのだが、
二、三日は忍び耐えた。五日目にもなれば知覚は体から殆んど消えた。
やがて失神の文覚が浮びあがると、
数千丈の断崖から落下する滝水の勢いにあっという間に流された。
刃のように切り立った岩と岩の間を水にもまれ流されること五、六町、
流木の如く水にもてあそばれて所詮命はないものかと思われたが、
突然何処より現れたか、美しき童子が忽然として姿を見せると、
文覚の手を取って岸に引きあげた。
これを目にとめた修験者たちは、不思議に思って懸命の介抱を行なった。
氷のような文覚の体を焚火で暖めるなど手をつくすと、
文覚はほどなく生命をとりもどした。
だが生き帰った文覚は修験者たちに礼一ついわなかった。
介抱者たちをあたかもおのが修行の邪魔者であるかのごとく、
はったと睨まえると大音声をあげた。
「わしはこの滝に三七、二十一日打たれて慈救の呪十万遍唱えるとの大願を立てた。
今日はまだ僅か五日目にすぎぬ。
七日目も来ぬというのに、このわしを連れ出したのは誰かっ」
雪を素足で踏んでの文覚の形相と大音声は、
修験者たちには天狗の出現とも見えたのか、彼らは顔色を変えて身をふるわせた。
後を振り向きもせず文覚は滝壺に真直にもどっていった。
再び首まで凍る滝壺に身を沈めた文覚の口から朗々たる呪文が聞えた。
二日目、呪文は途絶えがちである。一際高くなったかと思うとばったり消えた。
その時降りつづく雪にまぎれて舞い下りたか、八人の童子が姿を現わし、
文覚の手をとって引き上げようとする。
気のついた文覚は引き上げられまいと掴み争う。
半死の人間の激しい抵抗がしばらく滝壺で続き、まもなく、童子たちは姿を消した。
最後の気力をふりしぼって呪文を唱えるというより、わめきちらす文覚の姿は、
もはや人間とは見えなかったという。
その翌日、文覚は凍る水の中で息が絶えてしまった。
神聖な滝壺を汚すまいというのか、びんずらに髪をゆった天童二人、滝の上から現れ、
香ぐわしくも暖い手で、文覚の頭を撫で、手足の爪先、掌にいたるまで丁寧にさすってやった。
すると文覚は夢心地で息を吹き返した。そして、
「貴方たちはどなたなのです、どうしてこの私を憐んで救って下さるのか」
「私たちは大聖不動明王《だいしょうふどうみょうおう》の御使の、
金伽羅《こんがら》、勢多伽《せいたか》という童子、
文覚無上の大願を起して勇猛な行《ぎょう》を企てているから、
行って力を借してやれとの仰せ、不動明王のご命令で現れたのです」
と童子の一人が答うれば、文覚はたちまち声を荒らげていった。
「不動明王はどこにおられるか?」
「都率天《とそつてん》に」
と優しい声で答えると、天童二人笑をたたえてゆるやかに空高く昇って消えた。
文覚は思わず正座すると合掌した。
さてはわが行《ぎょう》を不動明王がしろしめすところとはなったか、
これなら大願も成就するであろうと勇気百倍、晴れやかな顔で滝壺にもどっていった。
果してそれからというもの、文覚の身に瑞相《ずいそう》が現れた。
吹き荒ぶ冷い嵐も彼には春の微風と思われ、凍る滝壺の水も湯のように感じられた。
こうして三七、二十一日の大願遂に成ったので、
那智神社に千日間参籠、ついに目的を遂げたのであった。
その後、大峰に三度、葛城《かつらぎ》に二度、
高野《こうや》、粉川《こがわ》、金峰山《きんぷせん》、白山《はくさん》、立山、
富士の嶽《たけ》、伊豆、箱根、信濃の戸隠《とがくし》、出羽の羽黒など、
日本全国くまなく廻り修行した。
この文覚について都人たちは飛ぶ鳥でも祈り落すであろう、
刃のように鋭い修験者だと評判しあったのである。
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