🪷【源氏物語243 第十帖 賢木55】人生が悲しく思われて 出家の気持ちが起こるが、東宮のお力になれぬことになってはならないと源氏は思う。
〜二条の院へ帰っても西の対へは行かずに、
自身の居間のほうに
一人臥《ぶ》しをしたが眠りうるわけもない。
ますます人生が悲しく思われて
自身も僧になろうという心の起こってくるのを、
そうしては東宮がおかわいそうであると思い返しもした。
せめて母宮だけを
最高の地位に置いておけばと院は思召したのであったが、
その地位も
好意を持たぬ者の苦しい圧迫のためにお捨てになることになった。
尼におなりになっては后《きさき》としての御待遇を
お受けになることもおできにならないであろうし、
その上自分までが
東宮のお力になれぬことになってはならないと源氏は思うのである。
夜通しこのことを考え抜いて
最後に源氏は中宮のために尼僧用のお調度、
お衣服を作ってさしあげる善行をしなければならぬと思って、
年内にすべての物を調えたいと急いだ。
王命婦《おうみょうぶ》もお供をして尼になったのである。
この人へも源氏は尼用の品々を贈った。
こんな場合にりっぱな詩歌《しいか》ができてよいわけであるから、
宮の女房の歌などが
当時の詳しい記事とともに見いだせないのを筆者は残念に思う。
🪷【源氏物語244 第十帖 賢木56】春になり御所では華やかな行事もあったが、中宮は人生の悲哀を感じておいでになり仏勤めに励んでおいでになる。
〜源氏が三条の宮邸を御訪問することも気楽にできるようになり、
宮のほうでも御自身でお話をあそばすこともあるようになった。
少年の日から思い続けた源氏の恋は
御出家によって解消されはしなかったが、
これ以上に御接近することは源氏として、
今日考えるべきことでなかったのである。
春になった。
御所では内宴とか、踏歌《とうか》とか続いて
はなやかなことばかりが行なわれていたが
中宮は人生の悲哀ばかりを感じておいでになって、
後世《ごせ》のための仏勤めに励んでおいでになると、
頼もしい力もおのずから授けられつつある気もあそばされたし、
源氏の情火から脱《のが》れえられたことにも
お悦《よろこ》びがあった。
お居間に隣った念誦《ねんず》の室のほかに、
新しく建築された御堂《みどう》が
西の対の前を少し離れた所にあって
そこではまた尼僧らしい厳重な勤めをあそばされた。
🪷【源氏物語245 第十帖 賢木57】源氏が参賀に来たのを 藤壺の宮はわけもなく落涙あそばした。お住まいも鈍色で、純然たり尼君のお住まいであるが、女房達の衣装も かえって上品に見えないこともなかった。
〜源氏が伺候した。
正月であっても来訪者は稀《まれ》で、
お付き役人の幾人だけが寂しい恰好《かっこう》をして、
力のないふうに事務を取っていた。
白馬《あおうま》の節会《せちえ》であったから、
これだけはこの宮へも引かれて来て、
女房たちが見物したのである。
高官が幾人となく伺候していたようなことは
もう過去の事実になって、
それらの人々は宮邸を素通りして、
向かい側の現太政大臣邸へ集まって行くのも、
当然といえば当然であるが、
寂しさに似た感じを宮もお覚えになった。
そんな所へ千人の高官にあたるような姿で
源氏がわざわざ参賀に来たのを御覧になった時は、
わけもなく宮は落涙をあそばした。
源氏もなんとなく身にしむふうにあたりをながめていて、
しばらくの間はものが言えなかった。
純然たる尼君のお住居《すまい》になって、
御簾《みす》の縁《ふち》の色も
几帳《きちょう》も鈍《にび》色であった。
そんな物の間から見えるのも
女房たちの淡鈍《うすにび》色の服、
黄色な下襲《したがさね》の袖口などであったが、
かえって艶《えん》に上品に見えないこともなかった。
🪷【源氏物語246 第十帖 賢木58】宮と源氏の座は近い。取次の女房への宮のお声もほのかに聞こえる。源氏の涙がほろほろとこぼれた。
〜解けてきた池の薄氷にも、
芽をだしそめた柳にも自然の春だけが見えて、
いろいろに源氏の心をいたましくした。
「音に聞く 松が浦島《うらしま》 今日ぞ見る
うべ心ある海人《あま》は住みけり」
という古歌を口ずさんでいる源氏の様子が美しかった。
ながめかる 海人の住処《すみか》と 見るからに
まづしほたるる 松が浦島
と源氏は言った。
今はお座敷の大部分を仏に譲っておいでになって、
お居間は
端のほうへ変えられたお住居《すまい》であったから、
宮の御座と源氏自身の座の近さが覚えられて、
ありし世の 名残《なご》りだになき 浦島に
立ちよる波の めづらしきかな
と取り次ぎの女房へお教えになるお声も
ほのかに聞こえるのであった。
源氏の涙がほろほろとこぼれた。
今では人生を悟りきった尼になっている女房たちに
これを見られるのが恥ずかしくて、
長くはいずに 源氏は退出した。
🪷【源氏物語247 第十帖 賢木59】ご立派でも綺麗でも、正しい意味では欠けていらっしゃった。御幸福ばかりでなくおなりになって、深味がおできになりましたね。」と 老いた女房は泣く
「ますますごりっぱにお見えになる。
あらゆる幸福を
御自分のものにしていらっしゃったころは、
ただ天下の第一の人であるだけで、
それだけではまだ人生がおわかりにならなかったわけで、
ごりっぱでもおきれいでも、
正しい意味では欠けていらっしゃるところがあったのです。
御幸福ばかりでなくおなりになって、
深味がおできになりましたね。
しかしお気の毒なことですよ」
などと老いた女房が泣きながらほめていた。
中宮もお心にいろいろな場合の
過去の源氏の面影を思っておいでになった。
🪷【源氏物語248 第十帖 賢木60】春の除目の際 宮付きになってる方々は冷遇された。尼になられたことで 口実をつけて政府のご待遇も変わってきた。
〜春期の官吏の除目《じもく》の際にも、
この宮付きになっている人たちは
当然得ねばならぬ官も得られず、
宮に付与されてある権利で
推薦あそばされた人々の位階の陞叙《しょうじょ》も
そのままに捨て置かれて、
不幸を悲しむ人が多かった。
尼におなりになったことで后の御位《みくらい》は消滅して、
それとともに給封もなくなるべきであると法文を解釈して、
その口実をつけて政府の御待遇が変わってきた。
宮は予期しておいでになったことで、
何の執着も
それに対して持っておいでにならなかったが、
お付きの役人たちにたより所を失った悲しいふうの見える時などは
お心にいささかの動揺をお感じにならないこともなかった。
しかも自分は犠牲になっても
東宮の御即位に
支障を起こさないように祈るべきであると、
宮はどんな時にもお考えになっては
専心に仏勤めをあそばされた。
お心の中に人知れぬ恐怖と不安があって、
御自身の信仰によって、
その罪の東宮に及ばないことを期しておいでになった。
そうしてみずから慰められておいでになったのである。
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🌖【源氏物語 第10帖 賢木〈さかき〉】
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🌺【源氏物語 インデックス】
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