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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【10分で聴く源氏物語 第10帖 賢木5〈さかき〉】 右大臣家の六の君は後宮に入った後も源氏を思い手紙を送ってくる。朝顔の姫君は賀茂斎院となる。源氏は残念に思った‥おいっ( ̄▽ ̄;) by🐱

🌕【源氏物語207 第十帖 賢木19】右大臣家の六の君は後宮に入る。いまだに源氏を想い、源氏は、忍んで手紙を送ってくることも絶えなかった。

〜右大臣家の六の君は

二月に尚侍《ないしのかみ》になった。

院の崩御によって

前《さきの》尚侍が尼になったからである。

大臣家が全力をあげて後援していることであったし、

自身に備わった美貌《びぼう》も美質もあって、

後宮の中に抜け出た存在を示していた。

太后は実家においでになることが多くて、

稀《まれ》に参内になる時は

梅壺《うめつぼ》の御殿を宿所に決めておいでになった。

それで弘徽殿《こきでん》が

尚侍の曹司《ぞうし》になっていた。

隣の登花殿などは長く捨てられたままの形であったが、

二つが続けて使用されて今ははなやかな場所になった。

女房なども無数に侍していて、

派手な後宮《こうきゅう》生活をしながらも、

尚侍の人知れぬ心は源氏をばかり思っていた。

源氏が忍んで手紙を送って来ることも

以前どおり絶えなかった。

人目につくことがあったらと恐れながら、

例の癖で、六の君が後宮へはいった時から

源氏の情炎がさらに盛んになった。

 

🌕【源氏物語208 第十帖 賢木20】弘徽殿の大后の力が増し、源氏も左大臣も不快さを味わうことが多くなった。源氏は夕霧を可愛がる。

〜院がおいでになったころは御遠慮があったであろうが、

積年の怨みを源氏に酬《むく》いるのはこれからであると

烈《はげ》しい気質の太后は思っておいでになった。

源氏に対して何かの場合に意を得ないことを政府がする、

それが次第に多くなっていくのを見て、

源氏は予期していたことではあっても、

過去に経験しなかった不快さを 始終味わうのに堪えがたくなって、

人との交際もあまりしないのであった。

左大臣も不愉快であまり御所へも出なかった。

亡くなった令嬢へ東宮のお話があったにもかかわらず

源氏の妻にさせたことで太后は含んでおいでになった。

右大臣との仲は初めからよくなかった上に、

左大臣は前代にいくぶん専横的にも

政治を切り盛りしたのであったから、

当帝の外戚として右大臣が得意になっているのに対しては

喜ばないのは道理である。

源氏は昔の日に変わらずよく左大臣家を訪ねて行き

故夫人の女房たちを愛護してやることを忘れなかった。

非常に若君を源氏の愛することにも

大臣家の人たちは感激していて、

そのためにまたいっそう小公子は大切がられた

 

🌕【源氏物語209 第十帖 賢木21】源氏は紫の上と穏やかに暮らしている。父の兵部卿の宮も二条の院に出入りしておいでになる。

このごろは通っていた恋人たちとも双方の事情から

関係が絶えてしまったのも多かったし、

それ以下の軽い関係の恋人たちの家を訪ねて行くようなことにも、

もうきまりの悪さを感じる源氏であったから、

余裕ができてはじめてのどかな家庭の主人《あるじ》になっていた。

兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の王女の

幸福であることを言ってだれも祝った。

少納言なども心のうちでは、

この結果を得たのは祖母の尼君が姫君のことを祈った熱誠が

仏に通じたのであろうと思っていた。

 

父の親王も朗らかに二条の院に出入りしておいでになった。

夫人から生まれて大事がっておいでになる王女方

たいした幸運もなくて、

ただ一人がすぐれた運命を負った女と見える点で、

継母にあたる夫人は嫉妬を感じていた。

紫夫人は

小説にある継娘《ままこ》の幸運のようなものを 実際に得ていたのである。

 

🌕【源氏物語210 第十帖 賢木22】加茂の斎院は、式部卿の宮の朝顔の姫君に決まった。朝顔の宮に恋をしていた源氏は残念に思った。

加茂の斎院は父帝の喪のために引退されたのであって、

そのかわりに式部卿《しきぶきょう》の宮の朝顔の姫君が

職をお継ぎになることになった。

伊勢へ女王が斎宮になって行かれたことはあっても、

加茂の斎院はたいてい内親王の方がお勤めになるものであったが、

相当した女御腹《にょごばら》の宮様がおいでにならなかったか、

この卜定《ぼくじょう》があったのである。

源氏は今もこの女王に恋を持っているのであるが、

結婚も不可能な神聖な職にお決まりになった事を残念に思った。

女房の中将は今もよく源氏の用を勤めたから、

手紙などは始終やっているのである。

当代における自身の不遇などは何とも思わずに、

源氏は恋を歎《なげ》いていた、

斎院と尚侍《ないしのかみ》のために。

帝は院の御遺言のとおりに源氏を愛しておいでになったが、

お若い上に、きわめてお気の弱い方でいらせられて、

母后や祖父の大臣の意志によって行なわれることを

どうあそばすこともおできにならなくて、

朝政に御不満足が多かったのである。

昔よりもいっそう恋の自由のない境遇にいても

尚侍は文によって絶えず恋をささやく源氏を持っていて

幸福感がないでもなかった。

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