🌘【源氏物語212 第十帖 賢木24】尚侍との逢瀬‥暁月夜、一面の霧の中歩いている姿を承香殿の女御の兄に目撃されてしまった源氏
〜心から かたがた袖《そで》を 濡《ぬ》らすかな
明くと教ふる 声につけても
尚侍のこう言う様子はいかにもはかなそうであった。
歎《なげ》きつつ 我が世はかくて 過ぐせとや
胸のあくべき 時ぞともなく
落ち着いておられなくて源氏は別れて出た。
まだ朝に遠い暁月夜で、
霧が一面に降っている中を
簡単な狩衣《かりぎぬ》姿で歩いて行く源氏は美しかった。
この時に承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょご》の兄である
頭中将《とうのちゅうじょう》が、
藤壺《ふじつぼ》の御殿から出て、
月光の蔭《かげ》になっている立蔀《たてじとみ》の前に立っていたのを、
不幸にも源氏は知らずに来た。
批難の声はその人たちの口から起こってくるであろうから。
🌘【源氏物語213 第十帖 賢木25】源氏は藤壺の宮への情炎を抑えきれない。宮は仏力で止めようと祈祷までなさる。ついには源氏は宮の寝所に近づいた。
〜御所へ参内することも気の進まない源氏であったが、
そのために東宮にお目にかからないことを寂しく思っていた。
東宮のためにはほかの後援者がなく、
ただ源氏だけを中宮も力にしておいでになったが、
今になっても源氏は宮を御当惑させるようなことを時々した。
院が最後まで秘密の片はしすらご存じなしに
お崩《かく》れになったことでも、
宮は恐ろしい罪であると感じておいでになったのに、
今さらまた悪名《あくみょう》の立つことになっては、
自分はともかくも東宮のために必ず大きな不幸が起こるであろうと、
宮は御心配になって、
源氏の恋を仏力《ぶつりき》で止めようと、
ひそかに祈祷までもさせてできる限りのことを尽くして
源氏の情炎から身をかわしておいでになるが、
ある時思いがけなく源氏が御寝所に近づいた。
慎重に計画されたことであったから宮様には夢のようであった。
源氏が御心《みこころ》を動かそうとしたのは
偽らぬ誠を盛った美しい言葉であったが、
宮はあくまでも冷静をお失いにならなかった。
ついにはお胸の痛みが起こってきてお苦しみになった。
🌘【源氏物語214 第十帖 賢木26】藤壺の宮の具合が悪くなった。朝になっても御寝室に止まった源氏は、塗籠の中へ押し入れられてしまった。
〜命婦《みょうぶ》とか弁《べん》とか
秘密にあずかっている女房が驚いていろいろな世話をする。
源氏は宮が恨めしくてならない上に、
この世が真暗《まっくら》になった気になって
呆然として朝になってもそのまま御寝室にとどまっていた。
御病気を聞き伝えて御帳台のまわりを
女房が頻繁《ひんぱん》に往来することにもなって、
源氏は無意識に塗籠《ぬりごめ》(屋内の蔵)の中へ
押し入れられてしまった。
源氏の上着などをそっと持って来た女房も怖しがっていた。
宮は未来と現在を御悲観あそばしたあまりに
逆上《のぼせ》をお覚えになって、
翌朝になってもおからだは平常のようでなかった。
祈りの僧を迎えようなどと言われているのを
源氏は苦しく聞いていたのである。
日が暮れるころにやっと御病悩はおさまったふうであった。
源氏が塗籠で一日を暮らしたとも中宮様はご存じでなかった。
命婦や弁なども御心配をさせまいために申さなかったのである。
🌘【源氏物語215 第十帖 賢木27】源氏はこっそり塗籠から抜け出し屏風と壁の間を伝って藤壺の宮の側に来た。宮のお姿を見て涙を流す源氏。
〜宮は昼の御座へ出てすわっておいでになった。
御|恢復《かいふく》になったものらしいと言って、
兵部卿の宮もお帰りになり、
お居間の人数が少なくなった。
平生からごく親しくお使いになる人は多くなかったので、
そうした人たちだけが、
そこここの几帳《きちょう》の後ろや
襖子《からかみ》の蔭などに侍していた。
命婦などは、
「どう工夫して大将さんをそっと出してお帰ししましょう。
またそばへおいでになると
今夜も御病気におなりあそばすでしょうから、
宮様がお気の毒ですよ」
などとささやいていた。
源氏は塗籠の戸を初めから
細目にあけてあった所へ手をかけて、
そっとあけてから、
屏風《びょうぶ》と壁の間を伝って 宮のお近くへ出て来た。
存じのない宮のお横顔を蔭からよく見ることのできる喜びに
源氏は胸をおどらせ涙も流しているのである。
「まだ私は苦しい。死ぬのではないかしら」
とも言って外のほうをながめておいでになる横顔が
非常に艶《えん》である。