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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🌊10分で聴く平家物語24】🔥善光寺炎上 🤲康頼祝詞①②〜鬼界ヶ島の康頼殿、成経殿は熊の権現の信者。熊野に似た場所を探して真剣に祈った🌟苦難に負けず今できる事するって大事だな 🌿by🐱

平家物語44 第2巻 善光寺炎上】

同じ頃、信濃善光寺が火事にあった。

この寺の本尊である如来は、

昔、中天竺《ちゅうてんじく》舎衛国《しゃえこく》に、

五種の悪疫が流行した時、

月蓋長者《がっがいちょうじゃ》が竜宮城から

閻浮檀金《えんぶだごん》を取り寄せて、

釈尊、目蓮《もくれん》長者《ちょうじゃ》と

三者が心を合せて鋳造した、阿弥陀如来の霊像といわれた。

それが仏滅の後五百余年、

天竺に留まり、後|百済《くだら》国に移り、

一千年を経て、欽明《きんめい》帝の御代に日本に渡り、

摂津国難波の浦の底深く金色の光を放っていた。

 

たまたま、

信濃国の住人に本多 善光《よしみつ》という男がいて、

都に上り、如来のありかを知って、

これを信濃国水内《みずち》の郡に移した。

爾来、五百八十余年程経つが、

火災にあったのは始めてのことで、

霊寺、霊山が次々に滅びてゆくのは、

さしもの平家の世も末になる前ぶれだろうと噂された。

🪷🎼宵闇の中で written by ゆうり

 

平家物語45 第2巻 康頼祝詞①〈やすよりのりと〉】

鬼界ヶ島に流された、俊寛、康頼、成経の三人は、

少将の舅、宰相教盛の領地である肥前鹿瀬庄《かせのしょう》から、

何かにつけて衣類や食物を送らせるように手配して呉れたおかげで、

どうやらこうやら生きることだけは出来たらしい。

 康頼は、かねてから出家の志を持っていたが、

流罪の途中、周防《すおう》の室積《むろづみ》で出家し、

性照《しょうしょう》と名乗った。

ついにかくそむきはてける世の中を

  とく捨てざりしことぞくやしき

これはその時の歌である。

 少将と康頼は、前から熊野権現の信者であったから、

何とかこの土地にも熊野権現を祭って、

一日も早く帰京のかなうように

日夜祈参しようという相談が持ちあがった。

「どうじゃ、俊寛殿、貴方も、この計画に一枚お加わりなさい。

 都へ帰参の望みもかなうかも知れぬ」

二人が熱心にすすめても、しかし俊寛は、

ばかばかしそうに首を振るばかりであった。

康頼と少将は、

それならばと今度は二人だけでどこか熊野に似た場所を探そうと、

島のぐるりをあちこち歩き廻ってみた。

こんな島ではとてもみつからないのではないかという懸念を破って、

目の前に熊野の山にそっくりの場所をみつけた時は、

夢かと思うほど喜んだ。

丁度、紅葉の頃で、林は錦繍《きんしゅう》の装いに包まれていた。

雲かと思えるばかりにそびえ立つ峰々は、

淡い薄絹に包まれたように、ほのぼのとした色どりをみせている。

南をはるかに見下すと、果てしなく続く大洋が、

漫々と水をたたえ、北は峨々《がが》たる山岳から、

ほとばしる滝のしぶきの白さが、目にしみるようであった。

それはまのあたり、紀伊の熊野が、

そこに立ち現れたような錯覚さえ与えるほどよく似ていた。

「ここは本宮《ほんぐう》といたそう」

「それではこちらは新宮《しんぐう》がよかろう」

 あちこちの峰にも、いろいろ名前をつけて、

康頼を先登に、少将と二人毎日、

熊野詣でのまねごとをして真剣な祈りを捧げていた。

「南無権現金剛童子《なむごんげんこんごうどうじ》、

 ねがわくは憐れみをおかけ下さいまして、

 都へ帰し、妻子の顔を今一度びみせて下さいますように」

これが毎日続くと、着替えの浄衣もないから、

麻の衣を身につけ、沢の流れで水ごりをとりながら、

岩田川の清流にみたてるのである。

康頼は参詣の度ごとに、形通り祝詞《のりと》を捧げることにした。

御幣紙《ごへいがみ》など気のきいたものもないから、

花を手折って代用にしていた。

💐🎼Road to Dawn written by すもち

 

平家物語46 第2巻 康頼祝詞②〈やすよりのりと〉】

維《い》あたれる歳次《さいじ》、

 治承《じしょう》元年|丁《ひのと》の酉《とり》、

 月の並びは十月《とつき》二月《ふたつき》、

 日の数、三百五十余カ日、

 吉日|良辰《りょうしん》を選んで、かけまくも、

 かたじけなく、霊顕は日本一なる熊野《ゆや》三所権現

 飛竜大薩《ひりゅうだいさった》の教令《きょうりょう》のご神前に、

 信心の大施主《せしゅ》、少将藤原成経

 ならびに沙弥性照《しゃみしょうしょう》、

 一心清浄の誠をいたし、

 三業一致《さんごういっち》の志をぬきんで、

 謹しんで、敬い申す。

 それ、熊野本宮の阿弥陀如来は、済度苦界の教主、

 法身《ほうしん》、報身《ほうしん》、

 応身《おうしん》の三身を具《そな》えたる仏なり。

 或は早玉宮《はやたまぐう》本地《ほんち》の薬師如来

 衆病悉除《しゅびょうしつじょ》の如来なり。

 或は、結宮の本地薬師如来衆生救済の仏等覚の菩薩なり。

 熊野第四宮十一面観音は娑婆世界、

 苦を救い無畏《むい》を施す仏にして、頭上の仏面を現して、

 衆生の所願をみて給えり。

 是によって上一人《かみいちにん》より、下万民に至るまで、

 或は現世安穏のため、或は、後生善処のため、

 朝に浄水を結んで煩悩《ぼんのう》の垢をすすぎ、

 夕べに深山に向って宝号を称うるに、感応なき事なし、

 峨々たる嶺の高きをば、神徳の高きにたとえ、

 嶮々たる谷の深きをば、仏の誓の深きになぞらえて、

 雲を分けてのぼり、露をしのいで下る。

 ここに、菩薩の利益《りやく》を頼まずば、

 いかで嶮難の路を歩まん。権現の徳を仰がずんば、

 何ぞ幽遠の境にましまさん。

 依て証誠大権現《しょうじょうだいごんげん》、

 飛竜大薩《ひりゅうだいさった》、

 青蓮《せいれん》慈悲《じひ》のまなじりを相並べ、

 さおしかの御身をふりたて、

 我らが無二の誠心を知見《ちけん》し、

 一つ一つの願事きき入れ給え。

 結《むすぶ》、早玉《はやたま》の両所権現、

 各々その機に従って有縁《うえん》の衆生を導き、

 無縁の群類を救わんため七宝に飾られたる極楽の光を捨て、

 六道三有《ろくどうさんう》の煩悩の塵にまじわり給え。

 故に定業《じょうごう》を転じ、長寿を求め、

 長寿を得るため、礼拝袖を連ね、

 幣帛《へいはく》礼奠《れいてん》を捧ぐる暇なし。忍

 辱《にんにく》の衣を重ね、覚道《かくどう》の花を捧げて、

 神殿の床を動じ、信心の心池水の如く澄ませたり。

 神明納受し給わば、願い事何ぞ成就せざらん。

 願わくは、十二所権現、左遷の愁いを休めて、

 帰洛の本懐をとげさせ給え」

🪷🎼東洋の神々 written by alaki paca

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