🌊【源氏物語313 第12帖 須磨47】源氏は、昼間は、皆と一緒に冗談を言ったり、いろいろの紙を継がせて手習いをしたり、珍しい支那の綾などに絵を描いたりした。
〜自分一人のために、
親兄弟も愛人もあって離れがたい故郷に別れて漂泊の人に
彼らはなっているのであると思うと、
自分の深い物思いに落ちたりしていることは、
その上彼らを心細がらせることであろうと源氏は思って、
昼間は皆といっしょに戯談《じょうだん》を言って
旅愁を紛らそうとしたり、
いろいろの紙を継がせて手習いをしたり、
珍しい支那《しな》の綾《あや》などに絵を描いたりした。
その絵を屏風に貼らせてみると非常におもしろかった。
源氏は京にいたころ、
風景を描くのに人の話した海陸の好風景を想像して描いたが、
写生のできる今日になって描かれる絵は
生き生きとした生命《いのち》があって傑作が多かった。
「現在での大家だといわれる千枝《ちえだ》とか、
常則《つねのり》とかいう連中を呼び寄せて、
ここを密画に描かせたい」
とも人々は言っていた。
🌊【源氏物語314 第12帖 須磨48】源氏が「釈迦牟尼仏弟子《しゃかむにぶつでし》」と名のって経文をそらよみしている声もきわめて優雅に聞こえた。
〜美しい源氏と暮らしていることを無上の幸福に思って、
四、五人はいつも離れずに付き添っていた。
庭の秋草の花のいろいろに咲き乱れた夕方に、
海の見える廊のほうへ出てながめている源氏の美しさは、
あたりの物が皆
素描《あらがき》の画《え》のような寂しい物であるだけ
いっそう目に立って、
この世界のものとは思えないのである。
柔らかい白の綾《あや》に薄紫を重ねて、
藍《あい》がかった直衣《のうし》を、
帯もゆるくおおように締めた姿で立ち
「釈迦牟尼仏弟子《しゃかむにぶつでし》」と名のって
経文を暗誦《そらよ》みしている声も
きわめて優雅に聞こえた。
幾つかの船が唄声《うたごえ》を立てながら
沖のほうを漕《こ》ぎまわっていた。
形はほのかで鳥が浮いているほどにしか見えぬ船で
心細い気がするのであった。
上を通る一列の雁《かり》の声が楫《かじ》の音によく似ていた。
涙を払う源氏の手の色が、
掛けた黒木の数珠に引き立って見える美しさは、
故郷《ふるさと》の女恋しくなっている青年たちの心を
十分に緩和させる力があった。
🌊【源氏物語315 第12帖 須磨49🌕】中秋の十五夜‥源氏は 宮廷の音楽が思いやられた。「二千里外故人心」と源氏は吟じた。青年たちは涙を流して聞いている。
〜初雁《はつかり》は 恋しき人の つらなれや
旅の空飛ぶ声の悲しき
と源氏が言う。
良清《よしきよ》、
かきつらね 昔のことぞ 思ほゆる
雁はそのよの友ならねども
民部大輔《みんぶたゆう》惟光《これみつ》、
心から 常世《とこよ》を捨てて 鳴く雁を
雲のよそにも 思ひけるかな
前右近丞《ぜんうこんのじょう》が、
「常世《とこよ》出《い》でて 旅の空なる かりがねも
列《つら》に後《おく》れぬ ほどぞ慰む
仲間がなかったらどんなだろうと思います」
と言った。
常陸介《ひたちのすけ》になった親の任地へも行かずに
彼はこちらへ来ているのである。
煩悶《はんもん》はしているであろうが、
いつもはなやかな誇りを見せて、
屈託なくふるまう青年である。
明るい月が出て、
今日が中秋の十五夜であることに源氏は気がついた。
宮廷の音楽が思いやられて、
どこでもこの月をながめているであろうと思うと、
月の顔ばかりが見られるのであった。
「二千里外故人心《にせんりぐわいこじんのこころ》」
と源氏は吟じた。
青年たちは例のように涙を流して聞いているのである。
🌊【源氏物語316 第12帖 須磨50 】去年の同じ夜に、なつかしい御調子で昔の話をいろいろあそばすふうが院によく似ておいでになった帝も源氏は恋しく思い出していた。
〜この月を入道の宮が
「霧や隔つる」とお言いになった去年の秋が恋しく、
それからそれへといろいろな場合の初恋人への思い出に心が動いて、
しまいには声を立てて源氏は泣いた。
「もうよほど更《ふ》けました」
と言う者があっても源氏は寝室へはいろうとしない。
見るほどぞ しばし慰む めぐり合はん
月の都は はるかなれども
その去年の同じ夜に、
なつかしい御調子で昔の話をいろいろあそばすふうが
院によく似ておいでになった帝も源氏は恋しく思い出していた。
「恩賜御衣今在此《おんしのぎょいいまここにあり》」
と口ずさみながら源氏は居間へはいった。
恩賜の御衣もそこにあるのである。
憂《う》しとのみ ひとへに物は思ほえで
左右にも 濡《ぬ》るる袖《そで》かな
とも歌われた。
🌊【源氏物語317 第12帖 須磨51】九州の長官の大弐の一行の娘達は源氏が須磨に隠棲されていると聞いた。源氏の情人だった五節の君は 哀愁の情に堪えられないものがあった
〜このころに九州の長官の大弐《だいに》が上って来た。
大きな勢力を持っていて一門郎党の数が多く、
また娘たくさんな大弐ででもあったから、
婦人たちにだけ船の旅をさせた。
そして所々で陸を行く男たちと海の一行とが合流して
名所の見物をしながら来たのであるが、
どこよりも風景の明媚《めいび》な須磨の浦に
源氏の大将が隠栖していられるということを聞いて、
若いお洒落《しゃれ》な年ごろの娘たちは、
だれも見ぬ船の中にいながら身なりを気に病んだりした。
その中に源氏の情人であった五節《ごせち》の君は、
須磨に上陸ができるのでもなくて
哀愁の情に堪えられないものがあった。
源氏の弾《ひ》く琴の音《ね》が
浦風の中に混じってほのかに聞こえて来た時、
この寂しい海べと薄倖《はっこう》な貴人とを考え合わせて、
人並みの感情を持つ者は皆泣いた。
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