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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【10分で聴く源氏物語 第12帖 須磨6〈すま〉】源氏は須磨に旅立つ。紫の上は悲しみに暮れる。惜しからぬ 命に代へて 目の前の別れをしばし とどめてしがな‥悲痛な紫の上の歌は、あまりにも哀しいby😿

🌊【源氏物語293 第12帖 須磨27】王命婦は、その恋愛がなかったならお二人に苦しみがなかったかもしれない。自身に責任があるように思われ苦しかった。

命婦は源氏の今日の出立を申し上げて、

この手紙を東宮にお目にかけると、

御幼年ではあるがまじめになって読んでおいでになった。

「お返事はどう書きましたらよろしゅうございましょう」

「しばらく逢わないでも私は恋しいのであるから、

 遠くへ行ってしまったら、どんなに苦しくなるだろうと思うとお書き」

 と宮は仰せられる。

なんという御幼稚さだろうと思って

命婦はいたましく宮をながめていた。

 

苦しい恋に夢中になっていた昔の源氏、

そのある日の場合、ある夜の場合を命婦は思い出して、

その恋愛がなかったならお二人に

あの長い苦労はさせないでよかったのであろうと思うと、

自身に責任があるように思われて苦しかった。

 

返事は、

何とも申しようがございません。宮様へは申し上げました。

お心細そうな御様子を拝見いたします私も非常に悲しゅうございます。

 と書いたあとは、

悲しみに取り乱してよくわからぬ所があった。

 

🌊【源氏物語294 第12帖 須磨28】東宮の御殿は 忍び泣きで満ちていた。世間もだれ一人今度の当局者の処置を至当と認める者はないのであった。

〜咲きてとく 散るは憂《う》けれど 行く春は

 花の都を 立ちかへり見よ

 また 御運の開ける時がきっとございましょう。

とも書いて出したが、

そのあとでも他の女房たちといっしょに悲しい話をし続けて、

東宮の御殿は忍び泣きの声に満ちていた。

 

一日でも源氏を見た者は

皆不幸な旅に立つことを悲しんで惜しまぬ人もないのである。

まして常に源氏の出入りしていた所では、

源氏のほうへは知られていない長女《おさめ》、

御厠人《みかわやうど》などの下級の女房までも

源氏の慈愛を受けていて、

たとえ短い期間で悪夢は終わるとしても、

その間は源氏を見ることのできないのを歎《なげ》いていた。

世間もだれ一人今度の当局者の処置を

至当と認める者はないのであった。

 

🌊【源氏物語295 第12帖 須磨29】皆が皆恩を忘れているのではないが、報復に手段を選ばない恐ろしい政府をはばかって、現在の源氏に好意を表示しに来る人はないのである。

〜七歳から夜も昼も父帝のおそばにいて、

源氏の言葉はことごとく通り、

源氏の推薦はむだになることもなかった。

官吏はだれも源氏の恩をこうむらないものはないのである。

源氏に対して感謝の念のない者はないのである。

大官の中にも弁官の中にもそんな人は多かった。

それ以下は無数である。

皆が皆恩を忘れているのではないが、

報復に手段を選ばない恐ろしい政府をはばかって、

現在の源氏に好意を表示しに来る人はないのである。

 

社会全体が源氏を惜しみ、

陰では政府をそしる者、恨む者はあっても、

自己を犠牲にしてまで、源氏に同情しても、

それが源氏のために何ほどのことにもならぬと思うのであろうが、

恨んだりすることは紳士らしくないことであると思いながらも、

源氏の心にはつい恨めしくなる人たちもさすがに多くて、

人生はいやなものであると何につけても思われた。

 

🌊源氏物語296 第12帖 須磨30】「生ける世の 別れを知らで 契りつつ命を人に限りけるかな はかないことだった」とだけ言った。悲痛な心の底は見せまいとしているのであった

当日は終日夫人と語り合っていて、

そのころの例のとおりに

早暁に源氏は出かけて行くのであった。

狩衣《かりぎぬ》などを着て、簡単な旅装をしていた。

「月が出てきたようだ。

 もう少し端のほうへ出て来て、

 見送ってだけでもください。

 あなたに話すことがたくさん積もったと

 毎日毎日思わなければならないでしょうよ。

 一日二日ほかにいても話がたまり過ぎる苦しい私なのだ」

と言って、

御簾《みす》を巻き上げて、

縁側に近く女王を誘うと、

泣き沈んでいた夫人はためらいながら膝行《いざ》って出た。

 

月の光のさすところに非常に美しく女王はすわっていた。

自分が旅中に死んでしまえばこの人は

どんなふうになるであろうと思うと、

源氏は残して行くのが気がかりになって悲しかったが、

そんなことを思い出せば、

いっそうこの人を悲しませることになると思って、

「生ける世の 別れを知らで 契りつつ

 命を人に限りけるかな

 はかないことだった」

とだけ言った。

悲痛な心の底は見せまいとしているのであった。

 

🌊【源氏物語297 第12帖 須磨31】夜が明けてから家を出るのは見苦しいと思って別れて行った。 道すがらも夫人の面影が目に見えて、源氏は胸を悲しみにふさがらせたまま船に乗った。

〜惜しからぬ 命に代へて 目の前の

別れをしばし とどめてしがな

と夫人は言う。

それが真実の心の叫びであろうと思うと、

立って行けない源氏であったが、

夜が明けてから家を出るのは見苦しいと思って

別れて行った。

 

道すがらも夫人の面影が目に見えて、

源氏は胸を悲しみにふさがらせたまま船に乗った。

日の長いころであったし、

追い風でもあって午後四時ごろに

源氏の一行は須磨に着いた。

旅をしたことのない源氏には、

心細さもおもしろさも皆はじめての経験であった。

大江殿という所は

荒廃していて松だけが昔の名残《なごり》のものらしく立っていた。

唐国《からくに》に 名を残しける 人よりも

ゆくへ知られぬ 家居《いへゐ》をやせん

と源氏は口ずさまれた。

渚《なぎさ》へ寄る波が

すぐにまた帰る波になるのをながめて、

「いとどしく過ぎ行く方の恋しきに

 うらやましくも帰る波かな」

これも源氏の口に上った。

だれも知った業平朝臣《なりひらあそん》の古歌であるが、

感傷的になっている人々はこの歌に心を打たれていた。

来たほうを見ると山々が遠く霞《かす》んでいて、

三千里外の旅を歌って、

櫂《かい》の雫《しずく》に泣いた詩の境地にいる気もした。

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