まだ除夜の鐘には、すこし間がある。
とまれ、今年も大晦日《おおつごもり》まで無事に暮れた。
だが、あしたからの来る年は。
洛中の耳も、大極殿《だいごくでん》のたたずまいも、
やがての鐘を、
偉大な予言者の声にでも触《ふ》れるように、
霜白々と、待ち冴えている。
洛内四十八ヵ所の篝屋《かがりや》の火も、
つねより明々と辻を照らし、
淡い夜靄《よもや》をこめた巽《たつみ》の空には、
羅生門の甍《いらか》が、夢のように浮いて見えた。
そこの楼上などには、いつも絶えない浮浪者の群れが、
あすの元日を待つでもなく、
飢《う》えおののいていたかもしれないが、
しかし、
とにかく泰平の恩沢《おんたく》ともいえることには、
そこらの篝番の小屋にも、町なかの灯にも、
総じて、酒の香がただよっていた。
都の夜靄は酒の匂いがするといってもいいほど、
まずは穏やかな年越しだった。
「さ、戻りましょうず。……若殿、又太郎さま。
……はて、これは困った。
いつのまにやら、邪気も無う、ようお寝《やす》みだわ」
一色右馬介《いっしきうまのすけ》は苦笑した。
ゆり起しても、若い主人の寝顔は、
居酒屋の床几《しょうぎ》に倚《よ》ったまま、
後ろの荒壁を背に、ぶらぶら動くだけなのである。
「これはちと、参らせすぎたな。やはりお年はお年」
右馬介は侍者《じしゃ》として、
急に自分の酔《よい》をさました。
ここは錦小路の、
俗に“請酒屋《うけざかや》”とも“小酒屋”ともよぶ腰かけ店だ。
こんな所へ、ご案内したと知れただけでも、
あとで上杉殿からどんなお叱りをうけるかと。
都は何度も見ていたが、又太郎ぎみには、初めてのご見物だ。
すべてが、もの珍しくてならないらしい。
ところで、こんどの上洛では、彼も驚目したことだが、
なんと都には、酒屋が殖《ふ》えたものだろう。
——という感を、ここの亭主にただしてみたら、
十年前には醸造元の“本酒屋”も百軒とはなかったものが、
当今では洛中だけでも二百四、五十軒をこえ、
その上、近江の百済寺《くだらでら》で造るのや、
遠くは、博多の練緯酒《ねりぬきざけ》までが
輸入されてくる有様なので、請売りの小酒屋も、
かくは軒を競っておりますので、ということだった。
なるほど、
これは自分たちの国元、関東などでは見られない。
だが、この凄《すさ》まじい酒屋繁昌は、
人心の何を語っているものか。ただ単に、
これも泰平の余沢《よたく》といえる現象なのか。
主従しての、そんな話から浮いて、つい、
「何も土産ぞ。奈良酒とやら百済酒とやら、
ひとつ、飲みくらべてみようではないか」
と、なったものだ。
これは、又太郎から、言い出したこととしても、
こんなにまで飲ませてしまったのは、
重々自分も悪かった、と思うしかない。
「若殿、若殿。もはや相客とて、たれ一人おりませぬ。
さ、立ちましょう。除夜の鐘もそろそろ鳴る頃……」
又太郎は、やっと眼をさました。
醒《さ》めた顔は、いとどあどけないほど若々しくて、
ただまぶしげにニヤリと笑う。
そして、直垂《ひたたれ》の袖ぐちで、
顎《あご》のよだれを横にこすった。
「ああ、よいここちだった。
右馬介、よほど長く眠ったのか、わしは」
又太郎は伸びをした。
その手が、ついでに、曲がっていた烏帽子を直した。
やっと現《うつつ》に返った眼でもある。
その眼もとには、人をひき込まずにいない何かがあった。
魔魅《まみ》の眸にもみえるし、
慈悲心の深い人ならではの物にもみえる。
どっちとも、ふと判別のつきかねる理由は、
ほかの部分の、
いかつい容貌《かおだち》のせいかもしれない。
骨太なわりには、痩肉《そうにく》の方である。
顎《あぎと》のつよい線や、
長すぎるほど長い眉毛だの、大きな鼻梁《びりょう》が、
どこか暢《のん》びり間のびしているところなど、
これは西の顔でもなし、京顔でもない。
坂東者《ばんどうもの》に多い特有な骨柄《こつがら》なのだ。
それに、幼いときの疱瘡《ほうそう》のあとが、
浅黒い地肌に妙な白ッぽさを沈めており、
これも女子には好かれそうもない損の一つになっている。
けれど今、従者の一色右馬介にゆり起されて、
無言でニッと見せた羞恥《はにか》み笑いや、
大どかな風貌の魅力さといったらない。
きっとこの郎党は、この若いおあるじのためには、
どんな献身も誓っているのではないかと思われる。
とにかく、醜男《ぶおとこ》の方ではあるが
由緒《よし》ある家の子息ではあろう。
佩《は》いている太刀なども、
こんな小酒屋の客には見ぬ見事な物と、
亭主もさっきから、眼をみはっていた様子だった。
「されば、お眠りはつかのまでしたが、
昼、六波羅を出たばかり。
さだめし、上杉殿のお内でも、この深夜まで、
どこを何して歩いてぞと、お案じのことに相違ございませぬで」
右馬介の分別顔を、
一方は屈託もなく笑い消した。
「ばかな、そんな心配をだれがするものかよ。
こたびの上京こそは、せっかく、よい見学として、
諸所、くまなく見て帰れとは、
国元の父上のみならず、六波羅の伯父上も、
くどいほど申されたことだ。
まして、右馬介も付いておることと」
「その儀は、とく心得ておりまするが、
程なく元旦にもなりますことゆえ」
「そうだ、除夜だなあ。
ことしの除夜の鐘を、都で聞こうとは思わなんだぞ。
明くれば、又太郎も十八歳。
右馬介、おまえとは幾つちがいだっけな」
「ちょうど、十歳上に相成ります」
「十の違いか。わしがその年になるまでには、
きっともう一度、都へ上《のぼ》る日があろうぞ。
鎌倉のありかたと言い、眼に見た都のさまと言い、
これがこのままの世でいるわけはない。
おやじ、もう一|壺《こ》、酒を持ってまいれ」
「や。そのように、お過ごしなされては」
「なぜか今夜は、腸《はらわた》がわしへ歌うのだ。
飲むべき夜なれと、腸が申す。
まあ、そういうなよ右馬介」
分別は、こちら以上にあるお人である。
きかないご気性である点も、日頃の練武修学、
すべてにおいてなのだから、
かくなってはお守役の右馬介も、
黙って控えてしまうしかない。
と、そのとき、
まるで木枯しでも吹きこんで来たように、
この小酒屋の軒ばから、
「オオ。ここはまだ開《あ》いていたぞ。
酒だ、酒だ。おやじ、それに何ぞ温い物でもないか」
と、凄まじい人々の吐く白い息が、
どやどやと、土間いっぱいに込み入って来た。
たちどころに、
土間は小酒屋らしい混雑と雑言《ぞうごん》で、埋まった。
十数名の武者は、
みな小具足《こぐそく》の旅姿だった。
といってもあらましは、
足軽程度の人態《にんてい》にすぎない。
争いあって、一碗ずつの酒を持ち、
干魚か何かを取ってはムシャムシャ食う。
そしてやや腹の虫がおさまり出すと、
こんどは野卑な戯《ざ》れ口《くち》で果てしもない。
彼らには、片隅の先客など、眼の外だった。
又太郎の方でも、思わぬ光景を肴《さかな》として、
声も低めに、ひそと、ただ杯を守っていた。
「右馬介。……どうやら鎌倉者らしいな」
「さようで。話ぶりでは、鎌倉から紀州熊野へ、
何かの御用で行った帰路の者かと察しられますが」
「む。うなずかれることがある。
先ごろ、熊野新宮へ御寄進の大釜《おおがま》一口に、
大檀那《おおだんな》鎌倉ノ執権《しっけん》北条高時と、
御銘《ぎょめい》を鋳《い》らせたものを
運ばせたとか伺っていた。
それの帰りの一と組だろう、この輩《やから》も」
「さてこそです。どうも最前から、
犬を連れているのは妙だなと、見ておりましたが」
「なに犬を。どこに」
——犬の一語が、ふと彼らの耳を刺したとみえる。
大勢の眼が初めて、ぎょろと、二人を見た。
だが、又太郎の視線とは、
ぶつかり合うよしもない。
なるほど、立派な犬が人々の蔭にいたのだ。
紀州犬としても優れた名犬にちがいなかろう。
琥珀色《こはくいろ》にかがやく眼、
黒く濡れ光っている鼻頭《びとう》のほか、
全身の毛は雪を思わせる。そして大きなこと、
白熊のようなといってもよい。
「ははあ、御献上物だな、この犬殿も」
酒板に頬杖《ほおづえ》ついて眺めつつ、
彼の酔眼にはその犬が、だんだん、
北条高時その人みたいに見えてきた。
高時が、鎌倉御所のうちで、そうであるように、
この犬も、武者足軽の群臣をしたがえ、
旅路にも持ち歩かせているらしい
高麗縁《こうらいべり》の半畳《はんだたみ》を土間に敷かせ、
その上へ、ゆったりと、尻をすえているのである。
首輪は太縒《ふとより》の紅白の絹づな、
銀のかざり鎖《ぐさり》。
わきには、布直垂《ぬのびたたれ》の犬飼が二人、
主に仕えるごとく付添っていた。
そしてここへ着くやいな、
犬殿への供御《くご》の物を、
まず第一にと、ささげていた。
「…………」
滑稽である。じつにおかしい。
おそらく又太郎には、
犬好きな執権の有名なる犬痴性《けんちせい》が、
この奇妙な実在によって、
よけいおかしく思い出されていたものだろう。
現執権高時の田楽《でんがく》(土俗的な歌舞)ずきも、
狂《きょう》に近いが、
闘犬好みは、もっと度をこしたものである。
鎌倉府内では、月十二回の上覧闘犬があり、
それを美食で肥えさすのに、
憂身《うきみ》をやつさぬ者は少ないとか。
だから名犬といえば、
銭《ぜに》百貫から数百貫の高値をよび、
わけて高時自身の愛犬が、
あまたの家来に護られて道を行けば、往来人は笠をぬいで、
路傍にひざまずくといった風な奇観も珍しくはないという。
「……ふ、ふふふふ」
つい、又太郎は、
独り笑いを杯に咽《むせ》ばせてしまった。
と共に、酒に酔った犬飼の手綱《たづな》を抜け、
いつのまにか側へ来て、
自分の足もとを嗅いでいた紀州犬の鼻ヅラを見たので、
いきなり足をあげて蹴飛ばした。
——それは、まったく彼の意識なき衝動か、
酒興《しゅきょう》の発作ではあったらしいが。
人間どもに仕えられて、
近ごろ驕《おご》っていた犬である。
けんっ——
と、するどく悲鳴して、四肢を退くと、
怒りを眸に示して、ひくく唸《うな》った。
犬以上にも驚いたのは、
飲みはしゃいでいた人間どもの方である。
場所はせまい小酒屋の土間。
「——すわ」
といっても、
小早い身うごきは出来ッこない。
どっと、壁を背にした空間を前に作って、
さて、
あらためて一せいに相手の在る所を睨《ね》めすえた。
「やいっ。——蹴ったな、蹴りおったな。
神宮の禰宜《ねぎ》どのから、
鎌倉殿へ御覧に入れようがため、おれどもが預かって、
道中これまで護って来た大切な、おん犬をば」
宰領《さいりょう》は、足軽頭か。
太刀のつかを叩いて、犬の代りに、吠えている。
「は、は、は、は。……おん犬とは」
またしても、又太郎が嘲笑するので、
右馬介は気が気でなく、
酒板の下で、その袖を、引っ張った。
そして、自分が詫《わ》びようとでも思ってか、
床几の腰を浮かしかけると、
「右馬介、おまえは黙っておれ。
わしのしたことだ、わしが物申す」
すると、返辞は、足軽頭が奪い取って。
「なに、物申すだと。
御献上のおん犬に、土足をくれて、なんの言い条がある」
「ある」
又太郎は、残りの一杯を、ゆっくり飲みほした。
「犬に訊け。蹴ったのではない。
足で頭をなでてやったまでのことだ」
「ば、ばかな言い抜けを。蹴られもせぬおん犬が、
なんであんな声を立てるものか」
「いや、獣《けもの》がしんによろこぶと、
ああいう声を出すものだ」
「こいつめが、人を小馬鹿にするもほどがある。
酔うての上の悪戯《わるさ》かと思えば、
さては故意にやったな。
検断所《けんだんじょ》へつき出してやる。
さあ立て。者ども、そいつらを引っぱり出せ」
「まあ、待て、
わしの言が、うそかほんとか、見た上にしても遅くあるまい。
これこれ、そこな犬殿の家来。
もいちどわしの前へそれを曳いて来い」
「どうする」
言ったのは、大勢の端で、
犬を抑えていた布直垂《ぬのひたたれ》の犬使いらしい男だった。
「——おれが抑えていればこそだが、押ッ放したら、
汝《わ》れのどこへ噛ぶりつくかも知れぬぞよ」
「おおよいとも。もいちど足であやしてやる。放せ」
放されたが、犬は一気にバッとは来ない。
要心ぶかく、のそのそと近づいた。
そして、底知れぬ獰猛《どうもう》さを
雪白の毛並みにうねらせた。だのに又太郎は、
われから革足袋《かわたび》の片方を上げて、
彼の鼻ヅラへ見せている。
犬は疑った。ちょっと、姿勢を低くした。
が、それは支度か、いきなり桃色の口をかっと裂き、
相手の足首へ咬《か》ぶりついた。
咄嗟《とっさ》に、又太郎はその足を引くことなく、
逆に、足のツマ先へ槍のごとき迅さを加え、
犬の喉ふかくまで突ッこんだ。
それは、あるまじき光景だった。
異様な絶叫が人の耳を打ち、
白い尾も胴体も意気地なくころがッた。
いや、それも見ず、
又太郎は小酒屋を飛び出していた。
幾人かを刎《は》ね飛ばした覚えはある。
だが、振向いて後ろへ呼ぶには、数百歩の宙を要した。
「右馬介、右馬介っ。早く来い。逃げるが一手だぞ」
わざと五条橋を避け、
主従とも、七条河原へまぎれたのは、
相手の追尾《ついび》よりも、帰る先と、
身分を知られることの方が、
より恐《こわ》かったからにちがいない。
「いやどうも、若殿のお悪戯《わるさ》には、
驚きまいた。物にもよりけり、相手にもよるものを」
「やはり酒のなせる業《わざ》だったな」
「そんなお悪いご酒癖《しゅぐせ》とは、
ついぞ今日まで、右馬介も存じませんでしたが」
「はははは。犬も悪かった。
あの傲慢《ごうまん》な生き物が、
わしには、まざと、
鎌倉の執権殿そッくりに見えてきたのだ。そこが酒だな。
もう余りは過ごすまい」
「ここは闇の河原、ご放言も、まず大事ございませぬが、
そんなお胸の底のものは、
他所では、ゆめ、おつつしみなされませ。
先刻の小酒屋でのお振舞なども、
金輪際《こんりんざい》、ご口外は」
「右馬介は、いつまでわしを子供と思うてぞ。
知っている。心得ておるよ。
……ところで、除夜の鐘はまだか」
「はて。除夜はとうに過ぎておりまする。
やがて東山の空も白みましょうず」
「では、はや元日か。
さても、おもしろい年を越えたな。
今年は初春《はる》の夢占《ゆめうら》も
よからん気がするぞ。
なあ右馬介、もう寝るまもあるまい。
宿所へ戻って、若水《わかみず》でも汲むとしようよ」
やがて二人の姿が帰って行った先は、
北ノ六波羅の一|郭《かく》だった。
むかしは平家一門の車駕《しゃが》が
軒なみの甍《いらか》に映えた繁昌のあとである。
平家亡んで、
源 頼朝、実朝の幕府下にあったのもわずか二、三十年。
——以後、北条氏がとって代ってからは、
中興のひと北条|泰時《やすとき》の善政、
最明寺時頼《さいみょうじときより》の堅持、
とまれ、北条家七代の現執権高時の今にいたるまで、
侍どころ所司《しょし》、検断所、越訴《えっそ》奉行などの
おびただしい鎌倉使臣が居留している
その政治的|聚落《じゅらく》も、
いつか百年余の月日をここにけみしていた。
夜はしらむ。
年輪をかさねた六波羅松の松の奏《かな》でに。
近くの八坂《やさか》ノ神の庭燎《にわび》、
祇園《ぎおん》の神鈴など、
やはり元朝は何やら森厳《しんげん》に明ける。
明けて、ことしは元亨《げんこう》二年だった。
頼朝の没後から百二十二年目にあたる初春《はる》である。
又太郎は一室で、清楚な狩衣《かりぎぬ》に着かえ、
烏帽子も新しくして、若水を汲むべく、
庭の井筒《いづつ》へ降り立っていた。
上杉|兵庫頭《ひょうごのかみ》憲房《のりふさ》である。
ここはその邸内だったのはいうまでもない。
「アア都は早いな」
井筒のつるべへ手をかけながら、
又太郎はゆうべの酔の気《け》もない面《おもて》を、
梅の梢《こずえ》に仰向けた。
「——国元のわが家の梅は、まだ雪深い中だろうに。
……右馬介、ここのはもうチラホラ咲いているの」
「お国元のご両親にも、今朝は旅のお子のために、
朝日へ向って、ご祈念でございましょうず」
又太郎に、返辞はなかった。
彼も若水の第一をささげて、
まず東方の人に、拝《はい》をしていた。
彼にとれば、ここは旅先の仮の宿所だ。
ひまで、のんきで、身をもてあますほどである。
が、伯父の上杉憲房には寸暇も見えない。
元日の朝、
大書院から武者床《むしゃゆか》を通した広間で、
家臣の総礼をうけたさい、
共に屠蘇《とそ》を祝ったりはしたが、
あとは顔を合せる折すらなかった。
次々の賀客を迎え、客がとぎれると、
彼自身、
駒飾《こまかざ》りした騎上の人となって出て行くし、
夜は夜で、探題からの迎えがくる。
「いや、六波羅勤めも忙しいものだな。
伯父上が口ぐせに、帰国の日を待つお気持ちもわかる」
二日の昼。
彼は一ト綴《とじ》の和歌の草稿をふところに、
冷泉為定《れいぜいためさだ》の四条の住居を訪ねていた。
東国育ちの武家の子又太郎にしては、
そんな文雅な人を訪うのはためらわれたが、
これは母との約束だった。
元来、
母系は勧修寺家《かんじゅじけ》の公卿《くげ》出であったから、
彼の母もわが子をただあじけない坂東骨《ばんどうぼね》一辺の
粗野な武人には仕立てたくはなかったのだろう。
兵家必修の日課のほか、
つねづね彼へ和歌の学びをもすすめていた。
そしてこんどの上京には、
ぜひ冷泉どのの門をたたいて、
末長く詠草を見ていただくようにお願いせよと、
手紙まで持たせられて来たのであった。
折よく、在宅していた為定は、
「おう、めずらしいお文」
と、手にした仮名文《かなぶみ》をなつかしみ、
さてまた、これがその人の子息かと、
ひと間のうちに、しげしげと見て。
「ほ。其許《そこもと》がこのお便りにある
足利清女《あしかがせいじょ》どのの御嫡男かの」
「いえ……」
と又太郎は、うすらあばたの頬を、どぎまぎ紅くして、
さらに居ずまいを改めた。
「——早逝《そうせい》でしたが、兄義高があり、
私は次男にございまする」
「が、まあ、兄君がおわさねば、
其許がお世継じゃろうが。して御官位は」
「申しおくれました。
——下野国《しもつけ》足利ノ庄の住《じゅう》、
貞氏《さだうじ》の次男、
利又太郎|高氏《たかうじ》といいまする。
十五で元服の折、治部大輔《じぶのたゆう》、
従五位下をいただきましたが、何もわからぬ田舎者で」
「御卑下《ごひげ》にはおよばぬ」
為定は、うちけして。
「下野足利ノ庄といえば、天皇領の御住人」
「はい。足利ノ庄の内には、世々、八条院の御旧領があり、
それが今上《きんじょう》の御料に移されておりますゆえ、
畏《おそ》れあれど、申さばわが家は、
朝廷の一|被官《ひかん》でもござりまする」
「それ御覧《ごろう》じ。
お血筋といえば北条殿には劣らぬ正しい源家の流れ。
家職といえば現帝の御被官。
なぜ、遠いお旅をば、供人も召されずに」
「とかく、故なき上洛は、
鎌倉の幕府の忌《い》むところでございまする。
が、父貞氏の健やかなうち、
少しなと世上の見聞《けんもん》を広うしておきたいものと、
たって父母にねだって出て参ったのです。
忍びやかでこそ、六波羅の身寄りの家にも置かれますので」
「なるほど、朝家《ちょうか》の御被官であるだけでなく、
幕府の御家人でもおわせられたの。こりゃ、むずかしかろ」
やはり世事にはうとそうな老歌人の言である。
為定は抜け歯の多い口をあいて笑った。
老歌人の為定から
「……お供も召されずお一人でか」と、
いぶかられたのもむりはない。
いつもの右馬介さえ今日は連れていなかったのだ。
都は知らず東国では源氏の名流、
武門の雄と見なされている足利氏の曹司《ぞうし》である。
ゆらい遠国者の上洛ほど
派手をかざって来るものといわれているのに、
飄《ひょう》として、一人で門を叩くなどはおかしい。
先で偽者と過《あやま》られなかったのも、
思うに、彼にはこんな場合もあろうかと、
とくに心をつかってくれたらしい母の添文《そえぶみ》のお蔭だった。
彼にもそれが分っていよう。
やがて為定の門を辞して、あてどなく町を行くうち、
ふと、石の地蔵尊を路傍に見かけると、
何やら袂の物を供物にささげてそれへ額《ぬか》ずいていた。
それは為定の家で茶菓子に出た粉熟《ふずく》であったが、
甘葛《あまずら》と餅で作った美しい五色の菓子は、
彼がまだ手を合せているうちから、
そこらにいた貧しげな童《わっぱ》たちが、
互いに翡翠《かわせみ》みたいな鋭い眼でねらっていた。
もちろん又太郎は、自分が十歩とも去らないうちに、
供物が消えてしまうであろうことも知っていた。
——が、又太郎には快かった。
いつからか、母は地蔵尊を信仰していて。
「そなたを生んだ難産の折もお救いであったし、
そなたの疱瘡《ほうそ》の軽うすんだのもお蔭であったぞや。
どうぞ、そなたも生涯の守護仏として給《た》べ」と、
何度聞かされていたことかしれない。
でも、これまでは、そんな心にもなれなかったものが、
ふと旅の路傍で、こだわりもなく、
今のような姿を神妙に彼が見せたのは、
これも母と離れて、かえって、子の中に、
母がほんとに分っていたからであろう。
——で、彼は途々、
母がよく夜語りにした地蔵尊の仏説などを、
独り想いつづけながら歩いた。
羅刹《らせつ》地獄の六道の
娑婆苦《しゃばく》も能く救うというお地蔵さまも、
まことは、一仏二体がその本相であり、
半面は慈悲をあらわしているが、
もう半面の裏のおすがたは、
忿怒《ふんぬ》勇猛な閻魔王《えんまおう》であって、
もともと一個のうちに、大魔王と大慈悲との、
二つの性《さが》を象《かたど》っているものですよ、
と母はよく言った。
——幼い耳に沁《し》みたそのふしぎさやら怪しさが、
彼にはいまだにこびりついている。
「……そうか。地蔵の両面とは、
つまりは、そのままこの又太郎高氏のことだった。
わが子の両面をよう知っている母上が、
それで、たびたびこのわしに」
彼はその日、心にきめた。
母のことばに従って、
地蔵菩薩を以て終身の守護にしようと思ったのである。
六波羅はもう夕《ゆうべ》の灯だった。
彼の姿を見ると、右馬介はすぐ侍部屋から走り出て迎えたが、
なにか冴えない容子ですぐ告げた。
「若殿。ついにここのご宿所を嗅《か》ぎつけてまいりましたぞ」
「嗅ぎつけて。……誰がだ」
「大晦日《おおつごもり》の小酒屋での」
「あ。あの犬家来どもか。それが」
「探題殿へ訴え出たため、
検断所から何やら御当家へきついお沙汰のようです」
「足利又太郎と知ったのか」
「そこのほどは分りませぬが、
上杉殿には、甥《おい》どのが立帰ったら、
すぐにも旅支度して、東《あずま》へ帰れとの仰せなので」
「伯父上は、奥か。
——いや旅支度など急がずともよい。
ちょうどおいでなれば、ほかにお願いもある。
さは案じるな、右馬介」
言いすてて、彼はすぐ奥へ入った。
「和殿《わどの》の六波羅泊りも、はや二十日余りだの。
洛中洛外の見物も、まずは、あらましというところか」
「はい。ここをわが家のように、わがままばかりして」
「なんの、他人行儀」
上杉憲房は以前からこの甥が好きらしい。
短所もよく知っているのである。
又太郎の方でもあまたな一族中でもほかならぬ人と、
甘えた恃《たの》みを抱いていた。
それはこの人が、
母の兄であるという親近感だけのものではなかった。
「——その上にもです。右馬介から聞けば、
私のつまらぬ悪戯《わるさ》から、御当家へまで、何か、
探題殿よりむずかしい御尋問の沙汰がありましたとか」
「御献上の犬へ、和殿が足を食らわせたとかいうあの事よな。
よいではないか。わしはおもしろいと思うておる。
ただし鎌倉の執権殿と、そなたの母者《ははじゃ》には、
べつな意味で、いずれへも聞かせられんがの。はははは」
まるで、おだてるような語調だが、すぐ声を落して。
「ま、先刻。右馬介へも申しておいたが、
とにかく、こたびの和殿の旅は公《おおやけ》ではない。
去年《こぞ》の暮、
足利の御厨《みくりや》から伊勢の神宮へ、
例年の貢《みつ》ぎあるを幸いに、
その上納物の列に和殿を加えて、
帰路をそっと、この都へ、立ち廻らせたものじゃった。
……いちどは都も見せておきたい、という親心と、
和殿のたってな宿願でな」
「はい」
「で。犬の沙汰などは些事《さじ》とするも、
万が一、さる密《ひそ》か事《ごと》が公となってはまずい。
あとの処理はこの憲房にまかせられ、
早うここを立つのが上策ではあるまいかの。
かたがた、都の内にも、もう見る所もあるまいし」
「されば、もとより仰せには従いますが、
ただもう一事、心残しがございますので」
「まだ、なんぞ?」
「うけたまわれば明三日、
帝《みかど》には朝覲《ちょうきん》の行幸《みゆき》
(天皇が父皇の御所へ拝賀にゆくこと)あらせられる由。
今日、冷泉どのをお訪ねした折、伺いましたが」
「そりゃ、相違ないが。して」
「いずれは御警固として、六波羅衆も、
お立ち迎えいたすことでございましょうず。
又太郎とて治部大輔《じぶのたゆう》、
無位の布衣《ほい》でもございませぬ。
立武者のうちに加えて、よそながらでも、
御盛儀を拝するわけにはゆきますまいか。
せっかく、都へ来あわせていた身の冥加《みょうが》に」
憲房は黙ってしまった。
甥の熱意に、聞き惚れていたわけではない。
当惑顔というものだった。
また、若さというものは、
分別者には出ない奇想を抱くものだと半ばあきれ顔にも見える。
しかし憲房にも、
その願望をかなえてやりたい気は多分にあった。こんどの旅にしても、
単なる都見物が当人の目的でもなし、
また肉親のすすめでもない。
いまの当主|貞氏《さだうじ》に継いで、
いつかは当然、又太郎高氏が、
足利一族の棟梁《とうりょう》に立つ日がくる。
——で、この惣領《そうりょう》の教養には、
欠くところないつもりだが、
ただ、なにぶん東国の一平野に育ったままではと、
それのみは彼の母すら不満としていたからだった。
どう説いたか、または憲房が、
すすんで一策を案じたのか。
ついに彼の望みはきかれ、よそながらでも、
明日の行幸を拝してからの帰国と話はきまった。
くれぐれ、その直後にはすばやく離京するようにと、
憲房は念を押した。
伯父甥、それらの相談で夜をおそくした。
又太郎はすぐには枕になずめなかった。
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