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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🪻10分で聴く私本太平記13】ばさら大名3〜4🪷土岐左近より 佐々木判官高氏殿の紹介を受ける。佐々木家の屋敷に泊まることになる🏠佐々木殿、なかなか面白いお方とみゆる by🐈

私本太平記28 第1巻 ばさら大名③】

ところで“名のり”を高氏と称する当の人物というのは、

その江北京極家の当主であった。

つまりこの地方の守護大名

佐々木佐渡ノ判官《ほうがん》高氏殿こそがその人なので……と、

土岐左近は、

一応の紹介の辞でもすましたような、したり顔で

「足利家も源氏の御嫡流、佐々木殿も頼朝公以来の名族。

 申さばおなじ流れのお裔《すえ》、

 ここでお会いなされる御縁が、自然待っていたものとぞんずる」

舌にまかせてここまで述べた。

しかし自分の小細工を疑われてもと、考えたらしく。

「じつは最前、あなた様を佐々木殿と見違えたのは、

 供の列を先にやって、野路の茶店で憩《いこ》うておるうち、

 ふと、当の殿を見失うたので、

 慌てて後より追っかけたための粗忽《そこつ》でおざった。

 くれぐれ、無礼はおゆるしを」

 そんなことはどうでもいいように、

又太郎は彼方の群れをチラと見やって。

「会う会わぬは、わしの所存でない。佐々木殿の望みか、

 それとも御辺の一存か」

「いやいや、云々《しかじか》の仔細でと、お噂を申したところ、

 すりゃ、ぜひお目にかかりたい。

 なおまた今宵は、

柏原《かしわばら》のわが屋形に御一泊たまわらば、

 殊のほかな幸いだがと、

あれ、あのように、供人らも控えさせて、

不知哉川もお渡りなく、お待ち申しておられますわけで」

 又太郎は、後ろへ言った。

「右馬介。どう答えよう」

「……せっかくなれば」

「そうだなあ、こちらは飄然《ひょうぜん》たる旅人にすぎぬが」

「まず、大事ございますまい」

 右馬介もやや警戒心をほぐした容子だ。

眼に言外のものをいわせて頷き返す。

 はやくも土岐左近は、佐々木高氏のそばへ駒を廻して行った。

そして何かささやいていたが、すぐ取って返すなり、

又太郎主従へ向ってこう告げた。

「佐々木殿には、なにぶん、ここは路傍のこと。

 ごあいさつもなりかぬれば、

自身はお客人《まろうど》の先導として、

一と足さきに屋形へ駈けん。

……陽もまだ高し、

後よりゆるゆる御案内して参れよとの仰せでおざった。

いざ、お供いたしましょうず」

——なるほど、

見てあれば、河原立ちしていた供人の同勢は、

弓、長柄《ながえ》などを燦々《さんさん》とゆるぎ出して、

もうそこの舟橋を彼方へ渡りかけている。

 なぜか案内の土岐左近はやたらにしッしッと駒を追う。

——ために磨針峠の上、

番場の茶屋についたのも思いのほか早く、

琵琶湖の夕照がまだ後ろにはよく見えた。

「どうぞ、お息休めに」

茶屋の床几には先発した佐々木家の臣十名ほどが待ちうけていた。

青磁の馬上杯に銚子を添え持ち

「……お水がわりに」と、

鞍わきから馬上へすすめる。

「お。これは甘露」

八献、十献、又太郎はたてつづけに飲む。

 同様に右馬介もすすめられたが、彼は飲まない。

むしろ又太郎の余りに人を疑わぬ態度も心もとなく、

密《ひそ》かな警戒心を内に。

「土岐どの。当のお屋形はあと何里ほど」

「柏原はすぐでござるが、なお伊吹へかけて少々登るので」

「では、伊吹山の中腹か」

「されば、ちと急がぬことには」

さてこそ、ここの“待ち家来”は

松明《たいまつ》持ちのためかとわかった。

 柏原から北へ、やがてまた、伊吹の裾をやや登ってゆく。

もちろん宵はとッくに過ぎていた。

やがて縞目《しまめ》をなす杉林のおくに、

高楼の灯やら庭上の篝火《かがり》やら、

そこの一郭だけが蛍かごのように明るく見えた。

 先に帰館した高氏の命か、

総門内では、衆臣が立ち迎える。

ただちに、又太郎主従は客殿へ、また湯殿へ、

そして、膳部まで出てしまった。

夜はすでに晩《おそ》かったし、疲れもある。

で、対面は翌日にという配慮らしい。

💐🎼#Bloom inside written by #Anonyment  

 

私本太平記29 第1巻 ばさら大名④】

「さすが花奢《かしゃ》だな、右馬介」

「おなじ守護大名ながら、

 下野国の御家風と、ここの佐々木屋形では」

「まさに、月とすっぽん」

 ——翌朝、起き出てみると、

総曲輪《そうぐるわ》は砦《とりで》づくりらしいが、

内の殿楼、庭園の数寄《すき》など、

夜前の瞠目《どうもく》以上だった。

遠くの高欄《こうらん》をちらと行く侍女やら

上﨟《じょうろう》の美しさも、都振りそッくりを、

この伊吹の山城《やまじろ》へ移し植えたとしか思えない。

 それにつけ、又太郎は、

「当主高氏とは、そも、どんな?」

 と、今日の会見が変に待たれた。

やがて。

夜前に約した時刻になると、土岐左近が迎えにみえ、

ふたりを誘ってべつな広間へみちびいた。

 上座《かみざ》の茵《しとね》は、

上下なしの意味か、親しみの心か、二つならべて敷いてある。

右馬介は、もちろん末座。

 そして又太郎だけが、ずっと進んで、

その一つに着こうとしたとき、

廊の杉戸口からつかつかと入って来た佐々木高氏が、

もひとつの茵を前に、

「やあ」

とだけいって、ひと呼吸ほどな間《ま》を措き、

「御着座を」

すすめながら、自身も共にどっかと坐った。

当時の作法、いうまでもなくあぐらである。

「ご迷惑とは存じたが、下野と近江とでは、

 またのお会いもいつの日かと、土岐が申すままお引留め申した。

お見知りおきください。

身どもが佐々木佐渡ノ判官高氏でおざる」

「御同様に。……足利又太郎高氏におざりまする」

「はははは。高氏と高氏、これがまことの名のり合いよの」

せつなの印象では、この初対面も、

又太郎には何か心にそぐわない“他人”を感じただけだった。

足利高氏と佐々木高氏。

——名のりは同じであっても、

どこひとつ、自分とは似ても似つかない。

「これはあかの他人だ」、

すぐ夜来の期待も他愛なく潰《つい》えていた。

 が今、佐々木高氏が胸をそらして笑った朗らかな顔と、

その異形《いぎょう》なる身粧《みなり》とには、

俄に眼を拭《ぬぐ》わされたことでもある。

——予想とは全然|外《はず》れていたにしても、

天下、かずある守護大名中には、

こんな異例な大名もあるかと、

あらためて目前の一人物に白紙となって

細やかな眼をこらさずにいられなかった。

 きのう、途々での土岐左近の話だと

「——お年もあなたと同じくらい」と聞かされたが、

いま会ってみれば、ちと違う。二ツ三ツは上であろう。

いや風采といい大人びた態度など十も年上に覚えられる。

が、やはりほんとのところは二十を少し出たぐらいか。

そんな若さなのに、である。

見れば佐々木は、

みごとに頭を青々と剃りまろめた“入道高氏”なのだった。

といってべつに、法体《ほったい》ではない。

 身なりはむしろ女装にも勝るけんらんさで、

白地絖《しろじぬめ》に葦手《あしで》模様を

小紫濃《こむらご》のなかに散らした小袖、

それへ袖のない“陣座羽織り”というものを着て、

袴も唐織りらしい綺羅《きら》、

前差しの小刀も美作《びさく》な黄金づくりである。

これ以上流行の粋も尽しようがないほどだ。

 かつまた、隠し化粧もしているのであるまいか。

頬うるわしく唇紅く、

小鼻のわきの黒子《ほくろ》に

好色的ないやらしさが気づかれるほかは、

いかにも近江七郡の守護大名らしい恰幅《かっぷく》の重さと、

どこやらに狡《ずる》さをかくした微笑までそなえている。

💐🎼#二胡のための小品オリエンタリズムwritten by #小林樹 

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