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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🪻10分で聴く私本太平記14】ばさら大名5〜6🪷 執権高時殿が剃髪したときに、お付き合いで剃髪した佐々木殿。同じ高氏で同名だったので、佐々木殿は佐々木道誉と名乗ることにした。婆娑羅すぎるby😽

私本太平記30 第1巻 ばさら大名⑤】

——ははあ。

かかる態の人物の生き方やら嗜好をさしていうものか。

又太郎はふと思いついた。

ちかごろ“婆娑羅《ばさら》”という流行語をしきりに聞く。

おそらくは、

田楽役者の軽口などから流行《はや》り出したものであろうが、

「ばさらな装い」とか。「ばさらなる致しかた」とか。

または

「——ばさらに遊ぼう」「ばさらに舞え」

「世の中ばさらに送らいでは」などと、

その語意、その場合も、さまざまにつかいわけられている。

 むかし山門の法師間には

“六方者《ろっぽうもの》”という語があったが、

婆娑羅の意味は、それに近くてもっと広い。

——花奢《かしゃ》、狼藉《ろうぜき》、風流、

放縦、大言、大酒、すべての伊達《だて》をさしてもいうし、

軌道を外れた行為や、とりすました者への反逆や、

そうした世のしきたりに斟酌《しんしゃく》しない

露悪的な振舞いをも、ひッくるめて、

——婆娑羅に生きる人。

といったりする。

 だから今の世には、鎌倉のばさら執権の下に、

ばさら御家人、ばさら市人《いちびと》、ばさら大尽、ばさら尼、

さては、

ばさら商売の田楽役者までが無数にいるのはふしぎでなかった。

「……読めたわ。ここの佐々木も、つまりはその、

 ばさら大名という者であったるか」

 又太郎の心のうちにも、

やっと談笑に溶《と》けうる支度ができつつあった。

 すぐ酒盤《しゅばん》が出る。

右馬介や土岐左近へも、陪膳《ばいぜん》が供された。

「坂東人《ばんどうびと》はみな酒がおつよいとうけたまわるが」

 と、佐々木高氏。

「なかなか。まだ自分ごときは曹司(部屋住み)の身でござれば」

 と足利高氏

「ご遊歴とは、よい御身分。お羨ましい」

「いや、それもわびしい微行《しのび》の旅にすぎぬこと」

「鎌倉政所をお憚《はばか》りよの。

 とかく、掟縛《おきてしば》りはうるさいでのう。

……しかしお気づかい召されな。

万一あるとも、執権どのへは、

この高氏がいかようにもおとりなし申そうほどに」

 そこでふと、

「はははは。おん許も高氏、それがしも高氏。

気をつけぬと、こりゃ、ややこしい」

と、打笑った。

🌷🎼#眠るクラゲ written by #MATSU 

 

私本太平記31 第1巻 ばさら大名⑥】

春昼《しゅんちゅう》、酒はよくまわる。

又太郎もつよいたちだが、佐々木にも大酒の風がある。

 城内の大庭には、紅梅白梅が妍をきそい、

ここには杯交のうちに気をうかがい合う両高氏の笑いがつきない。

はからずも、

これこそ“婆娑羅”な酒《さか》もり景色か。

「ときに……」と、

又太郎からたずねた。

「ぶしつけなれど、御出家にしては余りに早すぎるお頭《つむり》、

 いかなる発心《ほっしん》なあって?」

「ヤ、これですか」

 佐々木は、酒照りも加えて、

一そう青々とかがやいている頭へちょっと手をやって。

「もとより出家ではおざらん。

いうならば、おつきあいの剃髪《ていはつ》とでも申すべきか」

「はて、異なおつきあいを」

「戯言《ざれごと》とおききあるな。

じつを申そう。仕儀はかようなわけでおざった」

——少年時、彼は、執権高時のそばで小姓役をつとめ、

元服祝いなども、鎌倉御所でなされたほどに寵をうけた。

 ところが高時にはまま“おん物狂い”と

人もいう得たいのしれぬ奇病がある。

 そのため先年、

病後の床あげを機《しお》に、薙髪《ちはつ》して入道となった。

同日、佐々木高氏も

「いささか君に殉じ奉る心で……」と、

惜しげもなく髪をおろした。

高時は「佐々木のような者こそ御家人の鑑ぞ」と、

大いに愛《め》でて、

“道誉《どうよ》”という法名までつけてくれた。

——それからの彼への眷顧《けんこ》はまた格別だった。

やがて佐々木が近江七郡守護の職を嗣《つ》ぐ身となっても、

その御信頼は変っていないと、彼自身いうのであった。

「それは、御奇特千万」

 聞《き》き人《て》は笑うのはよろしからずと考えて笑わなかった。

からからと笑ったのは佐々木である。

「執権どのは、常日頃、そうした事のみが、

およろこびのお方なのだ。なべて眼に見えぬことは、

効《か》いもない。

せっかく道誉という法名をいただいたことだし、

いっそ頭《つむり》もこの方がすずやかと、

以来、常時の態《てい》とはいたしておるが」

 きらと、その眸を又太郎高氏の額に射澄まし、

ことばをかえていい出した。

「そうだ、天下の守護大名中に、

 高氏が二人おるのもまぎらわしい。

 以後、それがしは道誉を名のろう。

 高氏という名のりは、足利どの御一人にて持ち給え」

なんによれ、興を主として興に生きるのが、

ばさら者の、ばさら精神というものか。

 彼も少々酔い気味だが、

「今後はおん身一人で“高氏”を名のり給え。

 自分の名は“道誉”でとおす」

などの言辞は、まったく即興的である。

 いやその佐々木が、執権高時の剃髪に殉じて、

共に頭をまろめたなども、半ば即興の機智かもしれない。

 これでは、高時に仕えた小姓の頃、

無二の者と愛されたのも道理である。

犬好き、遊宴好き、田楽狂の執権が、

彼を愛した所以《ゆえん》は、

おそらく彼の田楽役者的な頓才や諂《へつら》いではなかったか。

——と又太郎高氏は、さげすみつつも、

またつい、佐々木道誉の話し上手につりこまれては、

「……が、しかし一種の人物」

 と自然に同調もされてしまう。

 こうした小半日のすえ。

「いささか酔うた」

 道誉は顔を撫で、

「高氏どの、ちと醒ましに庭へ出ようか。

——夜《よ》は夜《よる》を新たにして、

また趣向をかえた杯としようほどに」

と、みずから先に席を離れた。

高氏も大庭へ降りて立つ。

 右馬介、土岐左近、家臣小姓たちも、

ふたりの逍遥につづいて行った。

山城の曲輪は、四山の嵐気《らんき》を断っているが、

伊吹の中腹である、何といっても風は冷たい。

「おつかれかな、高氏どの」

「いや、ひどく快《こころよ》いのです。

それに奇木大石、泉や流れのおもしろさ。

庭造りの結構にも、酔眼が醒まされる」

「ほ。御賞美にあずかったか。

 自慢に似たれど、これも自分の造庭でおざる。

 ……おうここらで、茶など一碗献じようか。

 茶亭のしたくはよかろうな。土岐どのは、先へ行け」

 左近の姿が、木立の中の小道に消えると、

道誉は右馬介と家臣らを見て、

「何せい、茶堂は手ぜま。そちたちは、戻って休息せい」

と、しりぞけた。

🌷🎼#Zen Dawn written by #こおろぎ  

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