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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🪻10分で聴く私本太平記 19】藤夜叉9〜10🌸又太郎殿にとっては、わんこを理不尽に蹴ったり、船の中で 気骨のある公家に出会ったり、一目惚れした藤夜叉と恋人になったり濃い度だったねえ😽by🐈

【藤夜叉⑨〈ふじやしゃ〉】

 旅の風はまたふたたび、

馬上の高氏の鬢面《びんづら》をソヨソヨ後ろへ流れてゆく。

 その朝、彼は伊吹を立っていた。

 別れぎわには、佐々木道誉以下、土岐左近らも、

とにかく表面ねんごろに別辞をつくした。

わけて、道誉は、

「きっと、御再会の日をお待ちする。

 その日はさらに、吉《よ》い日の下で」

 ふくみのある言い方と、他日の誓いを、くりかえした。

 高氏の胸には

「……また、いつかは」と呼ぶその声が、

谺《こだま》のように後ろ髪を曳いていた。

——が、それは道誉のでなく、心から心へ聞える藤夜叉の声だった。

 その藤夜叉は、今朝は見えない。

——どこかで今朝はその眸を、人しれず、

牝鹿《めじか》の眼のように泣き濡らしてでもいることか。

 が、口にも出せず、ただ胸のうちだった。

そして不破ノ関をこえ、関ヶ原もすぎると、

去る者うとしとか、おのずから、高氏の眉も、日頃の彼に返っていた。

「なんと右馬介、とこうして、国へ帰ると、はや二月だな」

「はい。春の遅い足利ノ庄も、みな梢につぼみを持って、

 若殿のご帰国を、お待ちしておりましょうず」

「だが、伊吹の泊りは、ちと道草をくい過ぎたような」

「いや、わずか二た夜、さしたる遅れでもございますまい」

「それがなぜか、長い惰眠《だみん》にでも溺れていた気がする。

 まるで長夜《ちょうや》の夢から醒めたような今日の空ではあるよ。

 もう、あのような大酒は以後きっと慎もう」

「これで二度めのお誓いでございますな。どうか三度めのないように」

「帰国の後は、ゆめ、人には申すなよ」

「申しますまい」

「何事もぞ」

「はっ、何事も」

 返辞は素直だが、右馬介は、にやりと笑ってみせる。

 ……さては、こやつ。

 と、高氏も苦笑を催す。

 昨夜の田楽見物からあとの仔細を、

この男、うすうす承知なのではないか。と思えば、すこし後ろめたかった。

けれど、藤夜叉との秘《ひそ》か事《ごと》も、

余人《よじん》ならぬ右馬介一人の胸にたたまれているぶんにはと、

そこは腹心の郎党のよさ、ひそかに多寡《たか》はくくられる。

 ところで。

 と高氏はまた、馬上の春風に想《おも》い耽《ふ》ける。

——こんどの長い遍歴でいったい自分はなにを得たろうか、と。

 ——あなたは井の中の蛙《かわず》です。

 これは常々、母からいわれつけていたことだった。

その母はまた門出の日こうもいった。

 よく世間を見ていらっしゃい。

あなたは八幡殿からの正しいお裔《すえ》。

けれどまた、野州足利ノ庄で生れたままの田舎冠者《いなかかじゃ》、

少しは他人の情や憂き目にもお会いになってみなければ……と。

 そして、

手ずから縫った守り袋の地蔵菩薩を餞別《はなむけ》にくれたのだった。

が、その守り袋は、つい、藤夜叉へ与えてしまった。

「……はて、母にはすまぬことを」

 彼はふと、悔いに噛まれた。

 与えるにせよ、物にもよる。

なんで藤夜叉へ、あれを与えてしまったろうか。

——母は、女に与えよとて、地蔵菩薩の守り袋を、

旅の子の門出にくれたわけではなかった。

 母にすまないことをしたと思う。

が高氏は、気どがめを、しいて心のすみへ押しやった。

そして自分勝手な考え方をいつかしていた。

母の願いは、わが子が多少とも世間を知って帰ることにあったのだから、

その点では決して母を裏切ってはいないのだ、と。

「母の仰せどおり、わしは観《み》て来た。

……井の中の蛙が世間の端をのぞいたほどな旅かも知れぬが」

 彼は自負する。

 この旅が無為でなく、大いに学び得た旅だったとは、信じているのだ。

 が、さて。

 時勢のうごきとか、世相の表裏とかいった対象になると、

彼の思考にはちと大きすぎた。

茫漠、つかみどころのない気もする。

🌺🎼#butterfly dream written by #hotaru sounds

 

【藤夜叉⑩〈ふじやしゃ〉】

 淀川舟で見かけた一朝臣の姿も、

伊吹のばさら大名の言なども、

顧みれば、なにか偶然めいた感である。

それが一世の指向とは俄にも信じ難い。

 さればとて、現朝廷が、

これまでのごとき無気力な朝廷でないことだけは、

確かだった。

——またいま、堂上に流行の学風や新思想が、

その目標とするところは、

幕府なき天皇一元の復古にあるのだという ささやきも、

「……さもあらんか」

 と、うなずかれる。

 だが、都のちまたは、酒屋繁昌やら田楽流行である。

この正月風景にしろ、そんな兆《きざ》しは、

上下どこにも見られはしない。

すでに一部の若公卿は、密勅を帯びて、

諸州を潜行しているほどにまで、事はすすんでいると、

道誉や左近らは説いたが、はたして、それもどこまでが真か。

——もし事実なら、

その彼らがあんな婆娑羅な奢《おご》りにぬくもっていること自体

すでにおかしい。

いかに北条幕府のみだれが末期症状であろうとも、

あれで、“世直し”を行《や》ろうなどは片腹いたい。

「さても、分らぬことだらけぞ」

 一日ごとに、駒は、東国へ近づいていたが、

都の空へ遠ざかるほど、彼が学びえた見聞の判断にも、

視野をかえた懐疑の雲が生じていた。

 旅も早や、すでに三河路《みかわじ》。

 右馬介が駒をとめて。

「若殿、吉良へお立寄りなされますか」

「いや寄るまい。他日他日」

 そこもよそに、通りすぎる。

 三河幡豆郡《はずぐん》地方には、

足利一族の吉良、西条、一色、今川、東条などの諸党がいた。

——が、海道もここまで来れば、富士、箱根はもう眼のさき。

はや帰心ひたぶるな高氏だった。

 かくて、二月の初め。

 足利ノ庄の曹司又太郎高氏は、

およそ九十日ぶりで、忍び遍歴の旅を了え、わが領国の土をふんだ。

 そして、父母のいる屋形の地、

一族郎党のむらがり住む足利の町へ、

もう一歩で入ろうとする渡良瀬川を眼の前にしたときである。

思いがけないものに彼は待たれた。

——そこに屯《たむろ》していた一群の騎馬は、

たちまち高氏主従をとりかこんで、下馬を命じ、

彼に向って、執権高時の名による問罪ノ状を読みきかせた。

🌺🎼#camping in rain written by #のる

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