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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🪻10分で聴く私本太平記12】ばさら大名1〜2🪷近江愛知川の宿を出て旅を続けていると 土岐左近頼兼という武士とである。彼から、淀川の舟での公卿の名前を教えてもらう by😺

私本太平記26 第1巻 ばさら大名①】

騎旅《きりょ》は、はかどった。

丹波を去ったのは、先おととい。

ゆうべは近江《おうみ》愛知川《えちがわ》ノ宿《しゅく》だった。

そして今日も、春の日長にかけて行けば、

美濃との境、磨針峠《すりばりとうげ》の上ぐらいまでは、

脚をのばせぬこともないと、

馬上、舂《うすず》きかける陽に思う。

「おううい、おおいっ」

呼ぶ者があった。たれなのか、まだ遠い声である。

又太郎と右馬介とは、

「はて?」

手綱を休めて、きき耳すます。

たしかに、二度めの声も、

「高氏どの。高氏どの」

 そう呼んだように思われる。

ところが、近づいたのを見れば、

まったく見も知らぬ人間だった。

 緋総《ひぶさ》かざりの黒鹿毛に乗り、

薙刀なぎなた》を掻《か》い持っている。

もちろん腹巻いでたち。

つまり旅行者当然な半武装をした四十がらみの武者なのだが。

——それはそれとして、相見るやいな、この男、

「わああああ。こりゃ卒爾《そつじ》を申した。

 ごめん、ごめん。

 ……お呼びとめしたのは御辺じゃおざらぬ。

 高氏ちがいじゃ、高氏ちがいじゃ」

と、独りでおかしがッている顔を斜めに振向けながら、

駒もゆるめず、連呼して、駈け抜けてしまった。

 むッとしたに違いない。右馬介が色をなして。

「——うぬ、待てっ」とでも叫びそうに、

あぶみ立ちして、先を睨んだので、又太郎はあわてて制した。

「やれ待て。おかしいぞ、いまの武者は」

「言語道断。

 いずれ近くの受領か郷《さと》武者ではござりましょうが、

 礼をしらぬにも程がある」

「だが、高氏ちがいと申したのは解《げ》せぬ。

 わしを又太郎高氏とは、どうして知るか」

「いかさま、それは」

「罠《わな》かもしれぬぞ。

 俗に申すかまをかけてみる手はよくある。

 めッたに、われから逸《はや》って手に乗るな」

道々には、ひとつの懸念がなくもなかった。

例の献上犬の事件である。

 あの後始末は、伯父憲房がのみこんでくれてはいたが、

六波羅から鎌倉通牒となり、その結果、

さらに又太郎の無断上洛までが発覚となれば、

幕府は怒ッているにちがいない。

 わるくすれば、又太郎の帰国を海道の途上で拉《らっ》し、

鎌倉表へ届けよ、などの令が、すでに出ていないとは限るまい。

 が、今日の旅路を鬱々《うつうつ》と、

そんな先案じにとらわれている彼でもなかった。

春風に嬲《なぶ》らせてゆく面構えのどこかには

「……ままよ」といったふうな地蔵あばたの太々しさが、

いつも多少の笑みを伴っている。

そしてもっと大きな視野へその眉は向っていた。

この横着さは、彼がまだ元服前から、なんのかんのと、

折々に禅でいためつけられて来た那須雲巌寺の客僧、

疎石禅師の鉗鎚《けんつい》のおかげといえぬこともない。

🌺🎼#春は紅、柳は緑 written by #香居 

 

私本太平記27 💐ばさら大名②】

「や。……さっきの武者が」

「なに。あの群れの中に」

「見えまする。しかも、何やら佇《たたず》み合って」

 犬上郡 の野路をすぎ、

不知哉《いさや》川を行くてに見出したときである。

華やかな旅装の一と群れが河原に立ちよどんで、

頻りとこっちを振向いていた。

どうします?

 二の足をふむ右馬介のたじろぎも、

又太郎には眼の隅のものでもなかった。

駒脚はまっすぐにそのまま不知哉川の河原へ近づいている。

 先はこっちを待っていたに違いない。

さいぜんの黒鹿毛に乗った侍は、そこの群れを一人離れて、

すぐこなたへ寄って来た。

 が、前とは異なって、ていねいに。

「あいや高氏どの。

つい今ほどの失礼は、 平におゆるしあれよ。

 連れの御方に追いつかんと、上わの空なるぶざまでおざった。

 ははははは、それにさぞ、御不審でもおわせしならん」

 歯ぐきを見せて意味もなくよく笑う男である。

 装いなど、ひとかどの者とも見えるに、

 又太郎にはその人柄に何かいやしさを覚えずにいられない。

「なんの、いらぬ御会釈。それよりはまず伺いたい。

 わしを高氏とは、よう分りよの」

「いや、それしきなことぐらいは。ハハハハ」と、

またぞろ哄笑して、

「——年暮《くれ》の頃より疾《と》く承知いたしておる。

 野州足利ノ庄 のおん曹司が、忍び上洛しておらるるとは、

 世間は知らいでも、

 それがしの耳目《じもく》となっておる

 放免 《ほうめん》(目明し)どもはみな賢い奴、

 すぐ嗅《か》ぎ知って来たことでおざる」

さてはいけない。運の尽《つ》きよ、

ただではすむまい。

 又太郎の後ろにあって、

右馬介は、キシキシと体が軋《きし》み鳴るような緊迫した顔を

硬《こわ》め、手を太刀へ忍ばせていた。

 けれど、安手によく笑う侍は、

なお、下種《げす》な歪《ゆが》み笑いを面に消さずに。

「オオそれよ。また数日前には、そこな郎従とおふたりで、

 淀川舟を山崎辺で降りられたことがおありであろ。

 これは放免の報らせでのうて、

 さる貴人の座にてお話に出たことだが」

「……いかにも。そして」

「その御方の言では、六波羅の内にも、

 かつて見たことのない薄あばたの一曹司と、

 終日、ひとつ舟に乗り合せたが、

 そも、いずこの曹司ならんか。

 ……どこやら大容《おおよう》な風、そして異相、

 まことに凡《ただ》ならぬ者と、

 頻りにお気にかけておられしゆえ、それがしが推量にて、

 それこそ、

 忍び上洛中の足利貞氏 の嫡子又太郎高氏にて候わん、

 と申せしところ、小膝を叩かれて、

 あな惜し、さる良き機縁をば逸せしかと、

 いたく残念がッておられ申した」

 意外な彼のことばに。

「では、そのお人は、前ノ大内記日野俊基朝臣でおわそうが」

「や、御存知か」

「わしも、あとにて知った」

「いよいよ、御縁がある」

「ところで御辺は何者」

「申しおくれた」

 彼は、急にあわてて。

「——禁裡大番 《きんりおおばん》の武者、 

  美濃国 の住人 土岐左近頼兼 《ときさこんよりかね》と申すもの。

 この正月にて解番《げばん》となりしゆえ、

 国元へまかり帰る途中でおざる」

「では、わしも告げよう。察しのとおり、

 自分は足利又太郎高氏 にちがいないが、

 先刻、高氏ちがいと申されたのは、いかなるわけか」

「さ、それが奇遇。

 お年頃もお名も、まったく同じ高氏殿が、

 もひとりあれにおらるるのじゃ。

 ハハハハ、世間はせまい。高氏殿と高氏殿とが、

 かかる道にて行き会うとは」

 この世間に、自分と同じ高氏という“名のり”を持つ人間が、

もひとりいたとは初耳だった。

さして、ふしぎとはなしえないまでも、

土岐左近の言のごとく、人生途上、

まこと行路の一奇遇にはちがいない。

 が、その同名の高氏とは、

いったい、何処のいかなる素姓《すじょう》の人物なのか。

——左近が語るところを次に陳《の》べてみるならば。

この近江路の要衝《ようしょう》を占める愛知《えち》、

犬上、坂田の諸郡にまたがる豪族といえば、

古くから近江源氏と世に呼ばるる佐々木定綱

高綱らの末裔《まつえい》の門たるは、

改めていうまでもない。

 だが、鎌倉初期において、佐々木系は二つに分れ、

一は江南の六角家、

一は江北の京極家となっている。

💐🎼#かぐや-kaguya-月のゆりかご written by #田中芳典   

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