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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🪻10分で聴く私本太平記11】大きな御手16〜17完〈みて〉🪷足利又太郎は、足利七代の君 足利家時が若いうちに置文を残し自害したことを聞く。その置文は菩提寺鑁阿寺に家時の霊牌に納めてある。by🐈

私本太平記24 第1巻 大きな御手16】

「……さ。いま伺えば、

 その若公卿が召連れていた侍童の名は、菊王とか」

「たしか菊王と呼んだと思う」

「ならばそれも、天皇に近う仕えまつる近習の御一名、

 前《さき》の大内記、日野蔵人俊基朝臣

 《ひのくろうどとしもとあそん》に相違ございますまい」

「どうしてわかる」

「菊王は、後宇多の院の侍者、寿王冠者の弟とやら。

——そして、とくより日野殿の内に

 小舎人《こどねり》として飼われおる者とは、

 かねがね聞き及ぶところにござりまする」

「そうか。そう分って、

 何やら胸のつかえが下がった気がする。

 みかど後醍醐のおそばには、なおまだ、

 ああした公卿振りの朝臣《あそん》があまたおるのか」

「は。世上、つたえるだけでも、

蔵人殿のほか、日野参議|資朝《すけとも》、

 四条|隆資《たかすけ》、花山院師賢《かざんいんもろかた》、

 烏丸成輔《からすまなりすけ》など、

 いずれも気鋭な朝臣がたが、

 これも豪気なるお若き天子に、

 つねづね侍《かしず》き申しあげ、

 また政務をみそなわす記録所には、

 吉田定房万里小路宣房《までのこうじのぶふさ》、

 北畠親房の三卿を登用召され、

 世間ではそれを“三|房《ぼう》ノ智《ち》”と

 申したりしておりますそうな」

「もっぱら宋学の新説を学びとり、

 儒仏の究理なども旺《さかん》と聞くが」

「されば、天皇おみずからも」

「では、異国の学を鑑《かがみ》として、

 時弊を打ち破り、

 ひいては執権北条の幕府をもくつがえして、

 政治《まつりごと》を遠きいにしえに

 回《かえ》さんとの思し召でもあるか」

「あ。めッたなお口走りは」

 たれか坪の渡りをこなたへ来るらしい跫音《あしおと》だった。

 が、顔を出したのは、引田妙源 という法師武者。

 気づかいは要《い》らぬこれも足利党腹心の一人であった。

 妙源は手造りの草餅を盆にのせて、

うやうやしく又太郎の前にすすめた。

「何かお慰みにと、初春《はる》の蓬《くさ》など探させました。

 甘味は干柿の粉を掻き溜めたもの。

 甘葛《あまずら》とはまた風味もかくべつ違いますので」

 この引田妙源は、

以前、又太郎高氏の父、貞氏の祐筆を勤めていたこともあり、

ここでもその文書上の才能は代官経家に次ぐ地位の者だった。

「お、山里にも、もう蓬《よもぎ》が萌え出たか」

又太郎がその一つ二つを喰べるのを、

妙源はうれし気に見て。

「そうしておいで遊ばすと、

 御幼時のお姿も偲ばれてまいりまする。

 鑁阿寺《ばんなじ》の御参詣には、よう私もお供いたし、

 春なれば、寺ではよく蓬の餅を若殿へ差上げましたもので」

「そうそう、祖先の忌日《きにち》ごとには、

 かならずあの菩提寺の庭を見た。

——足利家代々の苔さびたおくつきに額ずいた後で」

「特に、若殿御元服の日、

 その報告を御先祖にささげられた後で、

 重臣どもの意見の相違から、

 ついに“置文《おきぶみ》”の披見なく、

 御帰館となったことは、なお御記憶でござりましょうが」

「はて、置文とは」

「足利家七代の君、

若殿には御祖父にあたる家時公の御遺書のことでござりまする」

肺腑を突くとは、こんな言を擬して、

一|瞬《とき》、はっと息を呑ませる鋭さをいうのだろう。

又太郎は、いや、かたわらの経家さえも、

粛と、顔いろを研《と》いで、固くなった。

🍃🎼枯れ葉 written by ハヤシユウ 

🙇動画のオープニングは私本太平記24が正しいです🙇

 

私本太平記25 第1巻 大きな御手17完】

——およそ足利家の者にとっては、

先々代の主君家時の話というのは禁句だった。

なぜならば、絶対に公表できない原因で、

しかもまだ三十代に、

あえなく自殺した君だからである。

 ところが。

——その家時の血書の“置文”(遺書)というものが、

菩提寺鑁阿寺のふかくに、

家時の霊牌とひとつに封ぜられているということを、

重なる家臣は知っている。

 ——で、又太郎高氏が元服報告の日にも。

「——もはや御元服なされた上は、お見せすべきだ」

という臣と。

「——いやまだ時節でない。

もっと若殿が御成人の後ならでは」

という臣と、両者二説にわかれたため、

その折にも、それはついに開かれずにしまったほど、

足利家にとっては、

なにしても重大な意味をもつ秘封でもあるらしかった。

「……そうだ、わしとしたことが、

 うかと、あの日のことは忘れておった」

 つぶやいて、面をふかく沈めていた又太郎は、

やがてのこと、その顔と共に、

全身も上げて突っ立った。

「出立するぞ。経家、駒の支度をいそがせろ」

「はっ」

「不覚よ、今日まで見ずに過ぎていたのは。

……帰国の上は、すぐにも、

鑁阿寺の置文をこの眼で拝見せねばならぬ」

 経家も立ちかけたが、妙源と顔見あわせると、

共に姿を揃えて、又太郎の足もとに、

もいちど平伏して言った。

「自然、御披見の日が来たものと存ぜられます。

 怖らくはこれも、御先代の霊のあるところ、

 今日となったことも、決して遅くはございますまい」

🪷🎼寡黙な揺り篭 written by 稿屋隆  

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