【私本太平記16 第1巻 大きな御手〈みて〉⑧】
「あれを見い、右馬介」
「おあとに、何か」
「いや、覚一の姿が、まだわしたちを見送っておる」
「はて。見えもせぬ眼で」
「そうでない。見える眼も同じだ。
わしたちを振向かせているではないか」
——この日、都を離れた主従は、
当然、数日後には、
やがて正月十日の頃、二人の姿は、
方角もまるで逆な難波《なにわ》ノ津(大阪)のはずれに見出された。
渡辺党の発祥地《はっしょうち》、
渡辺橋のほとりから、昼うららな下を、
長柄《ながら》の浜の船着きの方へ行く二人づれがそれで。
「若殿、どうしても、思い止まりはできませぬか」
「まだいうのか」
「でも、今日の便船にお乗りになってしもうては」
「そのため幾日も船宿で日を暮して来たのに、
この期《ご》となって」
「——が、難波の諸所も、はからず見ましたこと。
このたびは、ぜひこの辺でお引っ返し願いまする。
お国元のお案じも、ただ事ではございますまい。
右馬介も腹切らねばなりませぬ」
「切れよ、腹の一つや二つ」
「二つとは持ち合せもございませぬで」
「はははは。冗談はやめよう」
「おやめ下さい、無謀なご遍歴も」
「無謀にみゆるか。
又太郎にはしかとした算用もあっての旅路を。
元々、足利ノ庄を立ち出たときから、
こたびこそは、いッその旅、都だけかは、
四国中国までもと、期していたのだ」
「では、初めからご両親やら上杉殿をも、
お騙《あざむ》きのお腹だったので」
「仕方がない。出立前から長途の遍歴などと願っても、
おゆるしのあるはずもなければ」
ここ数日、主従喧嘩づらの論もしたが、
又太郎高氏の初志は、変ろうともしなかった。
機会はふたたびないと彼はいうのである。
東国と西国との距離は、当時、若人の心にすら、
一 期《ご》を思わせる遠さだったことにはまちがいない。
そうした心情は察しられるし、
もしまた、高氏が足利家当主の跡目をつげばなおさらである。
右馬介とて無理解ではありえない。
だが、伊勢路から都を限ってと、
日数までもあらかじめ、主家の両親とは約してあること。
そして
「そちも、ついて行くからには」
と命じられて来たものだ。
これ以上、
若殿の気随気ままに唯々《いい》として引かれたのでは、
何の守役《もりやく》たる効《か》いがあろう。
右馬介は一命をかけても引き止めたい。
「や。あの船着小屋の人立ちは」
不承不承な彼にひきかえ、一方は急に大股となった。
見ていると、
又太郎はもう人中に紛《まぎ》れ込んで、
何やら雑人たちの高ばなしに耳をすましている様子。
それをこなたの右馬介は、磯石に腰かけこんで、
なおさいごの思案に沈んでいた。
するとまた、駈け戻って来た又太郎が、こう叫んだ。
「やよ、右馬介。帰ろう。帰ろうっ。
どうやら北の国で戦乱が起ったらしいぞ。
遍歴などはしておられぬ。
すぐ東国|下野《しもつけ》へ馳《は》せ戻ろうわい」
右馬介は耳を疑った。
何か、ありえぬ空音《くうおん》のように聞えたのである。
「えっ、北方の戦乱ですッて。
戦乱が起ッたと取沙汰しているのでございますか」
武家の扶持《ふち》を食う身が、戦乱の一語ぐらいで、
寝耳に水の驚きをうけたのは、
いささか不覚と省《かえり》みたりしたことも、
よけい彼を戸惑わせたものかもしれない。
もとの船宿の方へ、引っ返してゆく又太郎を追って、
もいちど、念を押してみた。
「北方の乱とは、
もしや九州沿海のお聞き違いではございませぬか。
北にはあらで、南なら、うなずけますが」
「なんで」
はや四十年の昔とすぎておりますが、
蒙古再来の脅《おび》えはいまだに失せておりません。
そのため九州探題の下には、博多警固番をおかれ、
常時、沿海の防禦にそなえておりまする。
が、しばしば異《い》な船影を認めるたび、
すわ、元兵の襲来ぞなどと、九州鎌倉の往還を、
あわてた早馬がムダ駈けする例も、ままございますのでな」
「それとの、誤聞だろうと申すのか」
「おそらくは」
「ばかな」
「ちがいましょうか」
「ちがう。大違いだわ」
又太郎は、一歩も待つなく——
「ともあれ、異変の兆《きざ》しは、蝦夷《えぞ》の空だ。
仔細は船宿で話してくれる。はやく参れ」
時乱に敏感なのは、いつのときでも、
官辺よりは民衆だった。
彼らのつたえる風聞には、
公な文書《もんじょ》だの早馬だのという手間暇なしに、
おそろしい直感力と風速を持っている。
つい今。——又太郎が小耳にはさんだのも、それなのだ。
🌿🎼Restart written by のる
【私本太平記17 第1巻 大きな御手⑨】
奥州北津軽から四国へ帰るという一僧侶が、
長柄の船待ちで、しゃべっていたものである。
津軽の豪族、安藤季長《あんどうすえなが》、
安藤五郎、ほかすべての一族同士が
受領《じゅりょう》の領域を争いあい、
ついに陸奥《みちのく》一帯に布陣し出したということだった。
いや、一僧の言だけでなく、
べつな旅商人らしい男も、
「なんのなんの。もう諸所では合戦の最中だ。
槍、刀、馬の鞍など、白河ノ関からこっちでさえ、
去年の三倍にも値が刎《は》ね上がッている」
と、ひとり力《りき》んだ証言をしていた。
「ほう。……では、蝦夷の空は戦《いくさ》かいな」
群集、多くの顔は、うららかに聞いていた。
もう源平争覇の社会を眼に見た人間は地上にいない。
蒙古襲来の国難なども、
老人の炉辺話でしかなかったのである。
四十年の無事泰平は、誰からも、
全く過去の悪夢を忘れさせていた。
やがて主従は、ゆうべの船宿の一室にいた。
又太郎は風聞の仔細を語った上で。
「……が喃《のう》、右馬介。
足利の地にとっては、
こりゃ対岸の火災とは見ておれまいぞ。
乱が大きくなれば、必定《ひつじょう》、
鎌倉幕府からわが家へも、出兵の令が降るであろうし、
なおまた……」
ここまで言いかけると、彼はその地蔵あばたの頬を、
笑み割れそうにほころばせた。
「知らぬか。——“
一雲を見て凶天を知る”という言葉もあるのを」
🪷🎼これから始まる、朝 written by roku
【私本太平記18 第1巻 大きな御手⑩】
難波《なにわ》の旅寝をその夜かぎりとして、
次の日の主従《ふたり》はもう京へのぼる淀川舟の上だった。
「いい川だなあ、淀川は」
舟べりに肱をもたせて、
又太郎はうつつなげな詠嘆を独り洩らしていた。
「——わしの性分か。
わしは大河のこの悠久な趣《おもむき》が妙に好ましい。
川へ泛《う》かぶと、心もいつか暢々《のびのび》してくる」
「まことに」
右馬介は、すぐ相槌を打った。
「私としても、今日はヤレヤレという心地です。
天の助けか、一路ご帰国と、俄に、ご翻意くださいましたので」
「はははは。右馬介のやれやれと、
わしの暢々とを一つにされては迷惑だぞ。
“相似テ相似ズ”と申すものだ」
「はて、昨夜もめずらしい一語を伺いましたな。
“一雲ヲ見テ凶天ヲ知ル”とか」
「ウム」
「いま仰っしゃった語も、何かの詩句にでもございますので」
「宋の人、文天祥の詩とやら聞いた。
ちょっと、おもしろい詩ではある」
「どうせ、すぐ忘れましょうが、
舟の徒然《つれづれ》にひとつお聞かせを」
「こういうのだ」
又太郎は低い声で詩を誦《ず》した。
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忙裏《ぼうり》、山、我ヲ看《み》ル
閑中、我、山ヲ看ル
相似テ、不相似《あいにず》
忙ハ総《すべ》テ、閑ニ不及《およばず》
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「ははあ。……なるほど」
「わかる」
「わかりませんな」
「では、山を見るがいい」
「されば、左には摂津の六甲、龍王岳。
右には、生駒、金剛山のはるかまでが霞の中に」
「右馬介は、今、山を見ている」
「確かに」
「だが、あたふたと、忙裏に暮れている日には、
山と人間の位置は逆になる」
「すると、どうなります」
「山が人間を眺めていよう」
「つまり、閑《しずか》であれば、人が山を見。
忙しければ、人は山に見られているということなので」
「ま、そうだな。すべての忙は、
閑には敵わぬとでもいっておこうか」
「さてさて。若殿にはご幼少から、
よく足利学校の書庫《ふみぐら》で、沢山な書をごらんなので」
「いや、この一詩は、
立寄られた疎石禅師《そせきぜんじ》から示されたものよ。
……ああ、あの御僧も、
その後、どこを雲水しておらるるやら」
ふと、眸《ひとみ》をあげたときだ。
期せずして、乗合い客の一人物の眼と、
彼の眼とが、なんとはなく、ゆき会った。
舟は、老幼男女、いっぱいな客を盛っている。
尼、傀儡《くぐつ》師、旅商人、
工匠《たくみ》、山伏など——雑多だった。
——その中で、何かに腰かけ、独り静かに、
読書していた狩猟装束《かりいでたち》の若公卿がある。
後ろには、拳《こぶし》に鷹をすえた小冠者も控えていた。
「…………」
じっと、こちらを射たのも一瞬、
公卿の眼はすぐ書物の上に他念もない。
紙面の宋版の木活字が時にひらひら風にうごくのを、
又太郎はなお凝視していた。
——山、我を看るか。我、山を看るか。
公卿の注視も、じつは又太郎の方にあるのかも分らない。
午《ひる》をまたいで、舟は江口、
鳥飼などの岸へ寄るたびに、なお、乗客を加えていた。
降りる者も見えたのに、後客《あときゃく》のうちには、
やっと身を立ち支えている者もある。
🛥️🎼夕日へと船出する written by 藍舟
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