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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🪻10分で聴く私本太平記9】大きな御手11〜13〈みて〉🪷淀川の船の中で、博徒たちに持論を展開する鷹狩りの格好の公卿に出会う。ご縁とは不思議なもんだよねー by 😺

私本太平記19 第1巻  大きな御手11】

終日《ひねもす》の舟行《しゅうこう》なので、

退屈もむりはないが、舟の中ほどで、

博奕《ばくち》が始まっていたからである。

たしか花街《いろまち》の神崎あたりで、

どやどや割りこんで来た

今時風《いまどきふう》な若雑人の一と組なのだ。

初めのほどは、酒を酌みつつ、

わざとらしい猥談《わいだん》を放って、

女客が顔赤らめるのを興がッていた程度だったが、

やがてのこと博奕道具を取出すと、

ことば巧みに、そこらの乗客を鴨に引きこんで、

銭の音やら雑言のやりとりに、

眼いろを変えだしたものだった。

 その手練やら軽妙な諧謔《かいぎゃく》などに、

つくづく感じ入ったように、又太郎は。

「右馬介、思い出すなあ。あの連中を見ておると」

「何をですか」

「それ。いつぞや七条河原の田楽舞の掛け小屋へ入った折、

人気者の花夜叉とかいう田楽役者が唄った唄の一と節を……」

「ははあ、花夜叉のあれですか」

 右馬介も思いうかべた。

その節《ふし》までも覚えている。

眼に、若雑《わかぞう》たちの傍若無人ぶりを眺め、

胸では、それをつぶやいてみた。

『わが子は二十《はたち》に成りぬらん

博奕してこそ歩《あり》くなれ

国々の博徒《ばくとう》に。

さすが子なれば

憎からじ

見捨て給ふな

王子ノ住吉、西ノ宮』

「……ても、埒《らち》のない輩《やから》でございますな。

 わが子はどこにと、

 空飛ぶ鳥を見ても案じている親どももありましょうに」

 すると。

——よくよくそれまでは、

怺《こら》えていたものの発憤だったとみえる。

とつぜん、どこかで、

「止めろッ、若雑ども」

 と、舟脚もぎくとするような声で呶鳴った人がある。

「なにっ」

無頼な眼つきが一せいに後ろを向いた。

 ちょっとの間、

その一喝は、どの顔が発したものかわからなかった。

しかし、

さっきから漢書に親しんでいた野駈け姿の若公卿が、

ふと、書物から顔を離して、

うしろの小冠者へ物をいう風なので、

さてはと、舟中の視線はそこへそそがれた。

「これッ、菊王、

 他人《ひと》のすなる博奕《あそび》ごとなどへ、

 なぜ要《い》らざることを申すか。

 ばかな奴よ。黙っていませい」

 きっと、眉にも怒りをみせて叱りつけると、

その人はまた、宋版の漢書へ眼を落して、

何もなかったような姿である。

 頭巾《ずきん》の上に、笠をもかぶっているので、

よくは分らないが三十にはとどくまい。

端正な姿に細太刀もよく似合って、

こんな淀川舟の中では、

鶏群中《けいぐんちゅう》の一鶴《いっかく》といえる

気品もあらそえない。

「はいっ」

 菊王なる侍童には、怖らく不満なのだろう。

大きく口を結び、

面《つら》ふくらませたまま控えてしまった。

だが、

無頼の徒と睨《ね》めあっている彼の眼光といい、

彼の拳にある一羽の鷹の戦闘的な羽づくろいといい、

これは虚勢を張ってみせた若雑どもの胆を冷やすには、

まず充分なものだった。

 無頼だけに眼先もはやい。

なんとなく、

相手に気押されたのも事実だが、

とたんに沸いた乗客のざわめき声は、

すべて自分らに不利だと見ると、

「……こいつはいけねえ」

たちまちの豹変《ひょうへん》も恥じなかった。

俄に、銭や、博奕道具なども、どこかへやって、

「オイ、オイ。そこの小母さんたちよ。

 こっちへ来て坐んな。

 やい、その年よりの荷物を、誰か取ってやらねえか」

などと、人並な人情味をみせ、

すぐ車座を詰めあった。

⛵️🎼spaceship morning written by 藍舟

 

私本太平記20 第1巻 大きな御手12 〈みて〉】

こう機嫌を直すと、

彼らは衆の中では最も衆を明るくする特性を持っていた。

——一時はどうなることかと恐れ、

また彼らの体臭に近づきかねていた男女も、

みるみるうちに、彼らのとぼけや冗談に巻きこまれて、

舟は和気藹々《あいあい》な囀《さえず》りを乗せて、

大河の午後をなお溯《のぼ》っている。

「なアみんな、俺たちも悪かったが、

 日がな一日、舟の中じゃ、

 何ぼ何でも飽々《あきあき》するじゃねえか。

 ——たとえばよ、俺たち貧乏人の小伜ときたら、

 何を望もうとしても、生れ落ちた莚《むしろ》からは、

 身うごきも出来ねえ今の世の中と同じようなもンだろうぜ、

 この舟は」

 すっかり乗客と仲よくなったつもりの彼らは、

あたりの人にまでやたらに酒をすすめたりなどしながら、

ここは大河の中とばかり、

言いたい三昧《ざんまい》の舌を振るい出した。

「ええおい。世間の奴らは、

 よく俺たちを鼻つまみにしやがるが、

 いったい、

 俺たちを人非人《ひとでなし》みたいにいう奴らの方は、

 どうなんだと訊きてえんだ」

 そこらから始まって。

「上役人は、賄賂《わいろ》の取り放題だし、

  坊主は強訴《ごうそ》と我欲のほかはねえ金襴《きんらん》の化け物だ。

  地頭は年貢いじめにもすぐ太刀の反《そ》りを見せ、

  妾囲いと田楽踊りをいいことにしていやアがる。

  去年の元亨《げんこう》元年の夏は、

  近年の大飢饉ともいわれたのに、

  いったい公卿の行き仆れや武家の飢死が一人でもあったかい。

  ……ええおい、そこで乳呑みを抱いている女衆よ。

  おめえの乳房なども、いくら絞ったッて、

  赤子の口には一《ひ》と雫《しずく》も垂れはしめえが」

口吻の裏には、いくぶん、

さっきの相手だった公卿主従への面当てもあるような調子だった。

 さすが、これは耳障《みみざわ》りであったらしい。

鷹野姿の公卿は、せっかくの読書を止め、

それをふところに仕舞うと、

自分の方から無頼の仲間へ呼びかけた。

「これこれ、そこな若雑《わかぞう》ども、

 おもしろいことを申したな」

「へえ、面白いとお聞きでございましたか」

「むむ。いったい誰が、そちの申したように、

 賄賂を貪《むさぼ》りおるだろうか」

「へへへへ。誰がって、数えきれたもンじゃございません。

 小物大物、まああなたさまがたの方が、

 よくご存じでございましょう」

「さよう。では、わしの方から話してつかわそうか」

「ぜひ、ひとつ」

「よろしい。舟にも書物にも、わしも折ふし飽いたところだ。

 談義してつかわす程に、その酒を一碗、これへ持ってまいれ」

「えっ、仲間どものこの酒を、

 召上がって下さると仰っしゃいますか? ……」

 公卿もさまざま。

さても風変りな公卿を見るものかな。

 ——こなたの足利又太郎は、

舟べりに凭《もた》せていた身を起して、

思わずその者の鮮烈な存在へ、好奇な眼を凝《こ》らしてしまった。

「……うまい」

 と、一碗の酒を、見事、

息をつかずに飲みほした当の若公卿は、

気を呑まれている無頼の若雑たちへ向って、さらに、

「もう一献酌いで欲しいぞ。なみなみと酌いでおくりゃれ」

と、ほほ笑んでいう。

 それをも、ぐっと干すと、

さすが頭巾笠のうちの眼もともほんのり桜色に染まった。

さて、約束の談義とは、

それからの気概りんりんたるものだった。

🛥️🎼#儀来河内 written by #秦暁

 

私本太平記21 第1巻 大きな御手13】新帝後醍醐の徳を、彼は称える。飢饉には、供御の物も減ぜられ、吏を督して、米価や酒の値上りを正し、施粥小屋数十ヵ所を辻々に設けて、飢民を救わせ給うたとも説く。

 

「——いま汝らの怨《えん》じた上の者とは、

 みな武家であろうがの。

 よいか、守護、地頭、その余の役人、

 武家ならざるはない今の天下ぞ。

 ——その上にもいて、

 賄賂取りの大曲者《おおくせもの》はそも誰と思うか。

 聞けよ皆の者」

彼の演舌は、若雑輩のみが目標ではなさそうな眸だった。

「それなん鎌倉の執権高時の内管領

 長崎 円喜《えんき》の子、

 左衛門尉《さえもんのじょう》高資《たかすけ》と申す者よ。

 うそでない証拠も見しょう。

 きのう今日、蝦夷津軽から兵乱の飛報が都に入っておる。

 ——因《もと》を洗えば、それも長崎高資の賄賂から起っておる」

又太郎は、きき耳すました。

 はからずも、

彼が長柄《ながら》の埠頭《ふとう》で知った風説と、

それは符節《ふせつ》が合っている。

——北方禍乱の原因を、なお、若公卿はこう説明する。

 津軽の安藤季長や同苗《どうみょう》五郎らが、

一族同士の合戦におよぶまでには、しばしば相互から、

鎌倉|政所《まんどころ》へ直々の訴えに出ていたのだが、

内管領の高資は多年にわたって、

両者のどっち側からも、わいろを取っていたのである。

 その果てが、もつれに一そう、もつれを深め、

相互、

「かくては埒《らち》もあかじ」

とばかり、

ついに陸奥《みちのく》の火の手になったものだという。

又太郎は、うなずいた。

「さてこそ、いよいよ北方の乱は確実」

彼の帰心は矢のごときものがある。

 だが、溯《のぼ》り舟は、いとど遅い。

また、若公卿の弁舌も酒気に研《と》がれて、

止《とど》まることを知らなかった。

「——かつはまた執権北条の底ぬけな驕奢《きょうしゃ》、

 賭け犬ごのみ、田楽狂い、日夜の遊興沙汰など、

 何一つ、民の困苦をかえりみはせぬ武家の幕府よ。

  ……が、それにひきかえ、

 この都では、御即位あって以来の、

 みかどの御善政ぶりを、

 汝らは皆、眼にも見てきたことであろうが」

新帝後醍醐の徳を、彼は、頌《うた》い上げるように、

ここで称える。

 前年の飢饉には、供御《くご》の物も減ぜられ、

吏を督して、米価や酒の値上りを正し、

施粥《せがゆ》小屋数十ヵ所を辻々に設けて、

飢民《きみん》を救わせ給うたとも説く。

 また、天皇親政このかた、

おちこちの新関《しんせき》は撤廃し、

記録所を興して、寺社の訴訟も親しく聴かれ、

御余暇といえ、学殖のお養い、禅の研鑽《けんさん》など、

聖天子たるの御勉強には、

大御心のたゆむお暇も仰げぬという。

——すると、大事なところで。

「お客人、山崎でお降りのお客人。

 船が着く、立たっしゃらぬか」

船頭の声に、又太郎は、われに返った。

惜しくはあったが、

かねてから主従《ふたり》は、ここで降りる予定であった。

 ここは淀川の北岸、山崎ノ郷。

古くは、河陽《かや》の離宮やら江口神崎におとらぬ灯やら、

関所もあった跡だという。

 しかし、いまは遊歴でもあるまい又太郎主従に、

何の目的があって、こんな古駅の人となったのか。

しかもあの、鷹野姿の若公卿には、

多分な好奇心も残しながら、

なぜ、せっかくな舟を途中で降りてしまったものか。

「いつか暮れたな、春の日も」

「オ。……晩鐘が鳴っておりまする」

光明寺か、海印寺の鐘か」

「どこぞ里の旅籠《はたご》で一夜をお待ちなされますかな、

 それとも」

「いや歩こうよ。

 まだ腰糧《こしがて》(弁当)もあるし、

 疲れたら山寺の庫裡《くり》でも叩こう。

 が、右馬介は気うといか」

「いや、終日《ひねもす》の舟で、

 たくさん居眠っておきましたから、

 私もいっこう大事ございませぬ」

 西国街道を横ぎッて、

夕けむりの暗い軒端の並ぶ石ころ坂を登りぬけると、

辻には

“是より北、大枝《おおえ》越え丹波路”の道標《みちしるべ》が見え、

振返れば、さっき別れてきた大淀の流れも、

にぶい銀の延べ板みたいに暮れ残っている。

🛥️🎼 遠い約束 written by  こばっと

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