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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🪻10分で聴く私本太平記10】大きな御手14〜15〈みて〉🪷尊氏主従は山道を歩いていると、若党3人を連れた武士に会う。足利家の跳び領の関係者🌟手厚くお世話してもらう二人 。足利家めちゃすごいby😸

私本太平記22 第1巻 大きな御手14〈みて〉】

「さても、あのあと、どうなったかな?」

「最前の舟の出来事で」

「さればよ。あの若公卿の演舌など、

もすこし聞いていたかった。惜しいことを」

「まことに、

異態《いてい》な長袖《ちょうしゅう》でございましたな。

公卿と申せば、ただなよかに、

世事も知らぬ気にとりすましている貴人かとのみ、

心得ておりましたるに」

「ああいう公卿も居る時世かと、わしもまた初めて知った。

ひそかに、観《み》やッたところ、

鷹野の狩装《かりよそお》いはしていたが、

獲物は持たぬ。

そのうえ、手に披《ひら》いていた漢書の題簽《だいせん》には

資治通鑑《しじつがん》”としてあった」

「その資治通鑑とか申しますのは」

「近年、堂上を風靡《ふうび》していると聞く

 異国の新しい学説の書だ。

 いわゆる宋学と申すもの。

 程朱《ていしゅ》の新説とか、

 温公《おんこう》の通鑑などを読まぬものは、

 頭のふるい古公卿じゃといわるるそうな。

 ……これは時勢の流行の一つと、

 六波羅の伯父上からも伺うたのだが」

「ははあ、では舟で見かけたあの仁《じん》などが、

 つまり当世の、

 新公卿とでも申すものでございましょうか」

「いや、そんな衒学《げんがく》だけなら、

 なにも眼を瞠《みは》りはしない。

 わしが奇異を感じたのは、べつな点だ。

 あの乗合客の中で、

 独り他念なく読書三昧の態《てい》だったが、

 その閑《しずか》な姿には、

 どことなく、武人の骨ぐみが出来ている。

 すこしも体に隙がない。

 ——およそ公卿が

 日頃に武技の鍛錬《たんれん》もしているという世は

 いったい何を語るものか。

 そぞろわしは怖ろしくなった。

 武門の子のわしが、こんなことでいいのかしらと思われての」

道は登るばかりであった。

丹波境の重畳《ちょうじょう》たる山が、

巨大な夜の胸を押しつけていた。

「……ただ、かえすがえす惜しかったのは、

 堂上ではいかなる人か、

 または今、官職なき町公卿か、その名も訊かれぬことだった。

 が、いつかはまた」

 急に、ぷつんと黙ったのは、

 そのとき、山蔭の出会いがしらに、

 数名の人影と松明の光が、彼の瞼を射たためであった。

土地《ところ》の武士か。

若党三人を前後に連れ、ひとりは胴巻姿で、馬上だった。

 なにか高声で通りかけたが、

ふと道をよけて たたずんでいた又太郎主従の影を不用意に知ると、

ぎくとしたような駒驚きを脚もとにひびかせた。

「……旅人か?」

と馬上で言ったようである。

 不慮な山中の遭難者はめずらしくない。

武士でさえも小勢だと、しばしば裸にされたり、

みなごろしに遭ったりする。

こんな物騒さは又太郎も、道中耳に飽いたほどだが、

洛中ですら群盗の出没は、

都名物の一つと聞かされたには、唖然とした記憶がある。

「……旅人でおざる。お通りください」

 右馬介が、親切に言った。

道は谷添いなので、馬を交わすのがせいぜいなのだ。

 しかし、馬上の顔も若党たちも、

じっとこっちを確かめている風で、

たやすくは前をよぎりもしない。

猜疑心《さいぎしん》は時代の通有性だった。

又太郎の方でも特にいやな奴輩《やつばら》だとは考えもしない。

🏔️🎼山のあやかし written byゆうり

 

私本太平記23 第1巻 大きな御手15〈みて〉】

「やっ、もしや?」

 とつぜん、馬上の者が、

土にぽんと音をさせて降り立ったので、

それには主従も、何事かと、

怪訝《いぶか》りを持たないわけにゆかなかった。

「おう、間違いはない」と、

武士は又太郎の前へひざまずいた。

そしてもいちど、松明の下から、

しげしげと仰ぎ見て——

「おそれながらあなた様は、

 下野国《しもつけ》足利ノ庄の若殿、又太郎高氏様と見奉りますが」

「なに。わしを又太郎高氏と知ってか」

「知らいでどう仕りましょう。

 多年、足利表のお厩《うまや》にも召使われておりましたれば」

「では、篠村に来ておるわが家の郎党よな」

「はっ。御一族の松永殿に従って、

  足利ノ庄より

 この丹波篠村の御領所へ移ってまいった一名にござりまする。

 ……がしかし、若殿には、いかなるわけで、かかる遠くまで」

「さてはそうか。

じつはその篠村の領所を訪ねんと、これまで参った途中よ。

 篠村まで、あと道のりはどれほどか」

「なんの御案内仕りまする。

 汚《むさ》い鞍《くら》ではございますが、

 どうぞ、それがしの駒の背へ」

「が、そちは」

「京へ罷《まか》る途中でございましたが、

 それどころかは。これより篠村へ引っ返しまする。

 いざ疾《と》う御馬上に」

 武士はみずから馬の口輪を取り、

連れの若党を叱咤して、元の道へ走らせた。

彼らの在所篠村の領家(領主の代務所)へ先触れさせたものだろう。

 丹波篠村ほか数ヵ村は、

下野国《しもつけ》とは遠く離れているが、

足利家代々相続の飛び領の地だった。

同様な小領土は、他地方にもあり、

ここだけではないのである。

 で、そうした離れ領土には、

本国から一族の確かな者をやって、

そこに土着させておく。

年貢取立ての代務やら主家との連絡など、

つまり国司目代と似たようなものだった。

「おう、お見えらしい」

 領家の門前には、

先ぶれをうけた代官の松永経家、書記の引田妙源などが、

驚き顔を並べて出迎えていた。

 ——頃はもう夜半をすぎた時刻だった。

 

「経家、昨夜は夜半《よわ》に驚かしてすまなんだな」

むさぼり眠って、さて醒めて、

湯浴み食事などもすました翌る日。

 一室には、又太郎のための上座が設《しつら》えられていた。

代官の松永経家は下座に平伏して。

「どう仕りまして。御本国におわせば、

 かけ替えもない大事なお体。

 その君が、どうしてと、一時は胆を冷やしましたが、

 やがて御仔細を伺って」

「はははは、胸をなでたか。

 ……ところで経家、さっそくだが、

 脚のよい駒二頭に鞍をおかせ、旅糧《たびがて》なども、

 着けさせておいてくれい」

「はや、今日にも」

「馬を借ろうがため立寄ったまで。

 蝦夷の乱とも聞いたので帰国をいそぐ」

「お引止めはいたしますまい。北方の変はおろか、

 当地にて観ておりましても、

 世上、ただならぬものを、特に近年は覚えまする」

「そちもな……、そう観《み》るか」

「あらたに即位あらせられしお若きみかどの、

 比類のない御英邁《ごえいまい》さを伺うにつけ。

 また、天皇親政と謳《うと》うて、

 時弊《じへい》の刷新に、

 意気をあげている一部の公卿がたをながめましても」

「オ。思いあたるわ」

と、又太郎はここで、

 淀川舟で乗り合わせたた異色な若公卿の言動をつぶさに告げて——

「そも、ああいう公卿振りが、今様な近時の禁中なのであろうか。

  またその人は、いかなる身分のものやらと、

  いまだに謎としておるが」

と、聞くうちにも、

首かしげている経家にただしてみた。

🍃🎼#梅に鶯 written by #ハヤシユウ 

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