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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【10分で聴く平家物語56】🪷勧進帳〜「法皇は大慈大悲の君であられる、これしきのことをお聞き入られぬはずはない」と勧進帳を引きひろげると、声高らかに読み始めた。文覚のしゃがれた太い声がひびき渡った。

 京に帰ったあと、文覚は高雄の山奥で修行した。

この山には神護寺《じんごじ》という山寺があったが、

久しい間誰も修繕しなかったので荒れるままに放置されている。

春は霞に立ちこめられ、秋は霧の中に捨ておかれ、

傷みきった寺の扉は風に吹き倒された。

そのかみ称徳天皇の御代、和気清麿が建立したというこの伽藍《がらん》も、

今は落葉の中に朽ち果て、甍《いらか》をおかす雨風は、

壁が崩れ落ち柱が倒れてむき出しになった仏壇を朽ちさせていた。

むろん住持の僧もなく、参拝に訪れる人もないので、

この寺の堂内に入るものは日の光、月の光だけである。

この神護寺の有様をみた文覚は、何んとしてもこれを再興しようと心に固く誓い、

それからというもの勧進帳を手にして檀那《だんな》を廻り歩き、

寄進を募ったのであった。

そのある時、文覚は後白河法皇の御所 法住寺殿《ほうじゅうじどの》にやってきた。

御奉加賜れと奏上したが、折しも管絃の催しの時だったので、

誰もこれを法皇に伝えなかった。

いくら待っても一向に返事の気配見えないので、ついに文覚は意を決した。

生来不敵、筋金入りの荒法師であったから、

誰も取りつがぬものときめてずかずか中庭に踏みこんだ。

もとより御前の礼儀作法は知らぬ。

よし知っていたにせよ頓着する男ではない。

絃が鳴り渡る中で、

法皇大慈大悲の君であられる、これしきのことをお聞き入られぬはずはない」

 と勧進帳を引きひろげると、

声高らかに読み始めた。

高く低く心をこめて弾かれる弦楽を圧するように、

文覚のしゃがれた太い声がひびき渡った。

「沙弥《しゃみ》文覚敬いて申す。

貴賤道俗の助成を蒙って、高雄山の霊地に一院を建立し、

現世来世安楽を願わんとする勧進の状。

それおもんみれば真如《しんにょ》は広大、衆生と仏と名を異にするとはいえ、

法性《ほっしょう》随妄《ずいもう》の雲厚く覆って、

十二因縁の峰にたなびいてからこのかた、人間本来の清浄心かすかにして、

未だ三徳《さんとく》四曼《しまん》の大虚《たいこ》あきらかならず。

悲しいかな仏日はやく没して、

生死流転《しょうじるてん》の衢《ちまた》冥々《みょうみょう》たり。

人ただ色に耽り酒に耽る。誰か狂象《きょうぞう》、

跳猿《ちょうえん》の迷を取り除くを得ん。

徒らに人を謗《ぼう》し法を謗す。これあに閻魔《えんま》獄卒の責めを免れんや。

ここに文覚、たまたま俗塵を打ち払って法衣を飾るといえども、

悪行なお心にあって日夜つのり、善言耳にさからって朝暮にすたる。

いたましきかな、ふたたび三悪道に帰りて四生《ししょう》の輪廻に苦しむとは。

この故に釈迦の経文千万巻、巻毎に仏種の因をあかして、縁に随い真を明す教法、

一つとして菩提の彼岸に至らずという事なし。

故に文覚、無常の関門に涙を落し、上下の僧俗を浄土に結縁して、

等妙覚王《とうみょうがくおう》の霊場を建てんとすなり。

それ高雄は山高うして鷲峯山《じゅぶせん》の梢に似、

谷しずかにして商山洞《しょうざんどう》の苔《こけ》敷くに似る、

岩間の清水流れること白布の如く、峰の猿木々の枝に遊ぶ。

人里遠くして汚れなく、地形すぐれて仏天を崇むに格好の地、誰を助成せざらんや。

ほのかに聞く、童子の砂で作りたる仏塔の功徳、たちまち成仏の因縁となる。

いわんや一紙半銭の寄進においてをや。

願わくは建立の大願成就して、皇居安泰の願満たされ、都鄙《とひ》遠近ともに、

僧俗ともに尭舜《ぎょうしゅん》の世の平和を謳歌し、長き太平の世を喜ばん。

殊にまた死者の霊魂死の前後、

身分の上下に関係なくすみやかに一仏真門の台《うてな》にいたり、

法報応三身の功徳集らんことを願う。よって勧進修行の趣、けだし以てかくの如し。

治承三年三月  日文覚

 と読み上げたのである。

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