google.com, pub-8944455872984568, DIRECT, f08c47fec0942fa0

いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🌊10分で聴く平家物語40】🍃鼬〈いたち〉の沙汰⚔️信連合戦①〜イタチが騒いだのを不安視した後白河院、陰陽師に占わせた。その後、源頼政と高倉宮(以仁王)の謀反が露見し 宮は女官に扮し脱出したby🐈

平家物語85 第4巻 いたちの沙汰】

さて、後白河法皇は、

成親、俊寛のように自分も遠い国、

遥かな小島に流されるのではなかろうかと、

お考えになっていたが、

そういうこともないまま鳥羽殿に

治承四年までお暮しになっていた。

この年の五月十二日の正午《ひる》ごろ、

鳥羽殿の中で鼬《いたち》がおびただしく走り騒いだ。

常にないことである。

法皇は何の兆《きざし》かと自ら占われて、

近江守仲兼《おうみのかみなかかね》、

その時まだ

鶴蔵人《つるくらんど》とよばれていたのを御前に呼ばれた。

「この占いを持って安倍泰親《あべのやすちか》のもとへ行き、

 しかと考えさせて、吉凶の勘状を取って参れ」

仰せを受けた仲兼は、安倍泰親のもとへ急いだが、

折悪しく家におらず、

白川まで赴いて法皇の勅諚《ちょくじょう》を伝えた。

やがて卜占《ぼくせん》した泰親が記した勘状を懐にして

鳥羽殿へ急いだ仲兼は、

御所の前ではたと立止った。

警固の武士が厳重に門を固めている。

何んと頼んでも門を通さない。

御所の勝手知っている仲兼は土塀《どべい》を乗りこえ、

大床《おおゆか》の下を這《は》って、

法皇の御座まで進み、

御座の切板の隙間から泰親の勘状を差しあげたのであった。

法皇がこれを開いてご覧になると、

「この三日のうちに、お喜びのこと、並びにお嘆きのこと」

と記してある。法皇は、

「この憂き身に喜びのことありとは結構だが、

 嘆きとは何か。この上また、いかなる辛い目にあうのか」

と仰せられた。

 さて翌五月十三日、前右大将宗盛、

父清盛入道の所に行き、法皇のことを度重ねて説いたので、

清盛もようやく思い直し、

法皇を鳥羽殿から出し奉って都へ移し、

八条|烏丸《からすまる》にある美福門院を法皇の御所とした。

この三日のうちの喜び、という泰親の占いは、

これを指したのである。

こういう情勢のなかで、

新宮の合戦に敗れた熊野別当湛増は、

急飛脚をもって高倉宮謀叛のことを都へ知らせたのである。

前右大将宗盛は顔色を変えて、

このとき福原の別荘にあった入道にこれを伝えた。

入道相国は一瞬疑うように宗盛の顔をみつめて沈黙したが、

忽ち顔を朱に染めて激怒した。

「それがまことなら、

 高倉宮を直ちに搦《から》め取って、

 土佐の畑《はた》へ流してしまえ」

と、こう命じた。

この衝にあたったのは公卿で二条大納言 実房《さねふさ》、

職事《しきじ》は頭弁光雅《とうのべんみつまさ》である。

武士には源大夫判官兼綱《げんだいふのはんがんかねつな》と

出羽判官光長の二人。

この源大夫判官というのは、源三位頼政の次男である。

この人を謀叛鎮圧の使者の中に加えたというのは、

平家が頼政の陰謀画策を

まだ察知していないということを意味する。

高倉宮逮捕の一行は、

甲冑に身を固めた兵三百余騎を引きつれて、

月明らかな道を宮の御所へ向った。

🥀🎼orchestral battle written by H

 

平家物語86 第4巻 信連合戦①〈のぶつらかっせん〉】

🙇信連を信達と間違っておりました。すみません🙇

この日五月十五日、満月である。

三条の御所で高倉宮は、

雲間にかくれ移る皓々《こうこう》たる月を眺めていた。

遥か東国に下した密使の行方、

そして源氏勢の反応、

あるいは俄かに可能性をおびて

身に迫ってきた皇位のことに思いを廻らせていたのであろうか。

雲間をよぎる月の光を浴びた宮の姿は、

無心に月夜を楽しむとも見えた。

この時、

息せき切って宮の御所に現れたのは入道頼政の急使である。

宮の御乳母の子、

六条亮大夫宗信

《ろくじょうのすけのだいふむねのぶ》は

使いの手紙をあわただしく宮の御前にひらいた。

「宮のご謀叛のことすでに露顕、

 宮を土佐の畑《はた》へお流し申さんと、

 官人ども検非違使別当の命を受けてお迎えに向う。

 急ぎ御所を出でさせ給い、三井寺へ入らせ給え。

この入道頼政も即刻御許に参じ奉らん」

意表を衝《つ》く知らせである。

 

宮は狼狽《ろうばい》した。

才覚すぐれたとはいえ、

月を賞《め》で虫に聴く風雅の道に今まで過して来た宮である。

危急の際の身の処置に、

殆んどなすところなく呆然とするばかりであった。

このとき宮の御前近くにあったのは

長兵衛尉長谷部信連

《ちょうひょうえのじょうはせべののぶつら》という侍、

進み出て気転の策を申し上げた。

「かくなる上は、もう外に方途はございませぬ。

  女房装束に変装されて、お逃れ遊ばしませ」

これは妙案であると、側近が手を借して、

宮の髪は忽ち解かれて下げられ、

衣を何枚も重ねて、市女笠《いちめがさ》をかぶられ、

顔をかくした。

御所の門を出た女装の宮のお供は、

傘《からかさ》を持った六条亮大夫、

袋にものを入れて頭にのせた鶴丸という童、

あたかも若侍が女を迎えて連れて行く姿であった。

三井寺へ向って北に落ちて行く一行は道を急いだ。

途中に大きな溝があったので、

宮は女であることを忘れ、

われ知らず軽やかに飛び越えた。

これを見た通行人たちは、

「なんとはしたない女房の溝の越えようか」

といって立止まり、いぶかし気に見つめたので、

宮の一行はますます足を早めた。

 

御所の留守居役は、

長兵衛尉長谷部信連であったが、

残っていた女房たちを御所のあちこちへ隠しおき、

さて見苦しいものがあったら取り片づけておこうと

部屋部屋を見廻るうちに、

宮の居間の枕もとに笛が忘れられているのを見つけた。

小枝《さえだ》と名づけられた高倉宮愛蔵の一管である。

「これは宮さまご秘愛の笛、

  余りに心|急《せ》かれてのご失念か、

  思い出されればお嘆きあるに相違なし」

と咄嗟《とっさ》に笛を掴むと宮のあとを追った。

ものの五町と走らぬうちに追いついた信連が、

宮に笛を差し出せば、

手にした宮の顔は喜色に溢れた。

「われ死なば、この笛も棺の中に入れてくれよ。

 信連よ、このまま余の供をしてくれぬか」

と宮は頼まれたが、信連は答えた。

「間もなく御所には

 検非違使の役人どもが参るはずでございます。

 その御所に人一人おらぬとはまことに残念に存じまする。

 その上、

 あの御所にこの信連いるとは世間もよく存じておること、

 今夜おりませぬならば、

 さぞかし奴らは夜逃げをしたと思いましょう、

 これが信連口惜しゅう存じまする。

 この信連は弓矢取る身、

 かりそめにも名を惜しみます。

 ご安心召されませ、

 押し寄せる役人どもをしばしあしらった後、

 一方を打破って、後程、宮のお側に参じ仕ります」

こういった信連はただ一人御所へ引き帰した。

🌕🎼月下美人 written by まんぼう二等兵

少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋🪷も ぜひご覧ください🌟https://syounagon.jimdosite.com