治承三年十一月二十日、
清盛の軍勢は法皇の御所を取り囲んだ。
「平治の乱の時と同じように、御所を焼打ちするそうだ」
という流言が広がって、
御所の中は、上を下への大騒ぎとなった。
その混乱のさなかに、
平宗盛が車をかって御所へやってきた。
「急いでお乗り下さい。お早く」
単刀直入の宗盛の申し入れに法皇も驚かれた。
「一体何事が起ったのじゃ、
わしに何か過失があったとでもいうのか、
成親や俊寛のように遠国へ流すつもりなのだろう?
わしが政務に口を出すのは、まだ天皇が幼いからじゃ、
それもいけないというのなら、
以後、政治には関りはもたぬことにしよう」
「いや、そのことではないようでございます。
とにかく、世の中が一時《いっとき》落着くまででも、
鳥羽殿にお移り頂きたいという父の願いでして」
「それならば、そなたが、
そのまま供奉《ぐぶ》してまいれ」
法皇の言葉に一瞬たじろいだが、
それでも彼は供奉しようとはしなかった。
この様子を見た法皇は、
改めて亡き重盛の忠誠を思い浮べるのであった。
「やはり重盛とは格段におとった兄弟じゃわい。
先年も、かような目に逢うところを、
重盛の一身を賭しての諫言で、事なく済んだものだが、
今や諫める者もいなくなれば、清盛の勝手だからのう」
とつぶやかれたのであった。
法皇は車に乗られたが、
お供とは名ばかりで、数人の北面の武士と、
金行《こんぎょう》という身分卑しい僧侶が一人、
ほかには法皇の乳母の二位殿一人であった。
改めて、いくつかの地震の予言を思い出し、
法皇の胸中を察して悲しさに顔を掩った。
鳥羽殿に着くと、どうやってまぎれ込んだものか、
大膳大夫信業《だいぜんのだいふのぶなり》が
法皇の御前に伺候した。
このなじみ深い近臣の出現に
法皇もひどく嬉し気に見えたが、
側近くに呼びつけると、
「何か、今夜あたり殺されそうな気がしてならぬのじゃ、
ついては、行水などして身を清めておきたいのだが」
といわれた。
唯でさえ、今朝からの出来事で気の転倒していた信業だが、
法皇の仰せを有難くうけ給わると、
早速、そのへんの垣根を壊して薪を作り、
釜に水をくみ入れて、即製の行水をつくった。
臆する色もなく一人で西八条の邸に出かけ、
聞けば、人一人御前にはおらぬとのこと、
余りのことと思いまする。
私ひとりがお傍にいても別に差し障りがあろうとは思えませぬ。
是非、お側にまいりたいと思いますが」
といった。
法印にはかねがね好感を抱いていた清盛は、
「貴方ならば誤ることもないわ、早く行きなさい」
と異例のお供を許したので、
法印は鳥羽殿に飛んでいった。
法皇は、乳母の二位殿を横に坐らせて、
お経を読んでおられたが、読みながらも、
とめどなく涙を流しておられる様子に、
法印もつい貰い泣きをしてしまった。
二位の尼御前が、
「法印殿、法皇様には、
昨日の朝、御所でお食事を召し上ってからは、
夕べも今朝も召し上らず、夜分もお休みにならず、
これではお命にかかわること故、
心配いたしておりますのじゃ」
と心細そうにいった。
「いやいや、平家も楽しみ栄えて二十余年、
そろそろ限りのくる頃と思えます。
まして、天照大神、正八幡、ましてや、
ご信仰厚い日吉山王《ひえさんのう》七社が、
法皇をお見捨てになるような事がござりましょうか。
やがて賊臣は、水の泡の如く消え失せ、
再びご政務は法皇の御手に戻ること間違いなしと存じまする」
と面に誠を現して慰める法印の言葉に、
法皇の顔にも、漸くほっとした思いが立ち戻られた様子であった。
引き続いた多くの殿上人の災難を
ひどく気に病んでおられたところへ、
法皇が鳥羽殿にお移りになったと聞いて以来、
食事もろくろく咽喉《のど》を通られず、
病気と称されて寝殿にこもる日が多かった。
夜になると、臨時のご神事と称し、
清涼殿でひたすら法皇の無事を祈られるのであった。
【平家物語76 第3巻 完 城南離宮〈せいなんのりきゅう〉】
その頃 内裏《だいり》の主上から、
鳥羽殿にある法皇の許に、
ひそかにお便りがあった。
「かような世になりましては、
天皇の位にあっても何の意味がありましょうか?
出家して山林流浪の行者にでもなろうかと思います」
法皇はこれに対して直ぐお返事をおつかわしになった。
「余りそのようにはお考えにならない方がよろしいでしょう。
貴方がそうやって御位に即いていられるのも、
私にとっては一つの頼みなので、
おっしゃるように出家でもなさってしまわれたら、
誰を頼りにしたらよいでしょうか?
とにかくこの私が、
どうにかなるのを見送ってからのことになすって下さい」
涙ぐまれるのであった。
ご信任厚い公卿殿上人も、
今は、死んだり殺されたりして、
古くからお仕えする人で残っているのは、
宰相入道成頼《さいしょうにゅうどうなりより》、
民部卿入道親範《みんぶきょうにゅうどうちかのり》の
二人という淋しさであったが、
この二人も、近頃の時勢に厭気がさし、
出家の決心を固め、親範は大原、成頼は高野にと、
それぞれ分け入って、
静かな読経の日々を過す身となった。
座主を辞任、
変って再び前座主《さきのざす》
明雲《めいうん》大僧正が座主になった。
ようやく思い通りに事も運び、
関白には娘婿が就任し、後顧の憂いなしと見た清盛は、
「政務は主上のよろしいように」
といって福原に引きこもってしまった。
盛がこの事を主上に言上するために参内すると、
主上は、
「法皇自らがお譲り下されたものなら、
喜んで政務も見ようが、
そうでもないものには関りは持ちたくない。
関白とお前とで好きなようにやるがよかろう」
という素気ないご返事であった。
城南離宮鳥羽殿《せいなんのりきゅうとばどの》に、
冬も半ば近くをお過しになった法皇の日常は、
わびしいという一言に尽きるものがあった。
雪の降りつもった庭には訪れる人もなく、
水の張りつめた池には鳥の羽ばたきも聞えなかった。
大寺《おおでら》の鐘の音を聞いていると、
白楽天の詩にある遺愛寺《いあいじ》の鐘を聞く想いがし、
又|西山《にしやま》の雪景色は
香炉峰《こうろほう》の眺めを思わせた。
かつてはお耳に達したこともないような
砧《きぬた》の響き、道を行く人の足音、
車のきしりなど枕辺の近くに聞えることもあり、
雲井の上では及びもつかない下々の生活にも、
思いをはせられることが多くなっていた。
何かにつけて思い出すのは、
盛んなりし頃のいろいろのお遊び事、
ご参詣の行事、
又|御賀《おんが》の儀式の盛大なさまなど、
事々に涙の種とならないものはなかった。
そんな明け暮れのうちに、いつしか治承三年も暮れて、
新しい年がやってきた。
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