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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🌊10分で聴く平家物語28】🤱御産①②🌼公卿揃〈くぎょうぞろえ〉〜あの清盛入道も愛娘のお産の時は、狼狽しまくってて愛情深い人だったのかな🌼沓を踏まれて転けてしまった方 気の毒だったなあ💦by😺

平家物語54 第3巻 御産①〈ごさん〉】

鬼界ヶ島を立った丹波少将らの一行は、

肥前国 鹿瀬《かせ》の庄《しょう》に着いた。

宰相教盛は使いをやって、

「年内は波が荒く航海も困難であろうから、

 年が明けてから、京に帰るがよい」

といわせたので一行はここで新年を迎えることにした。

 十一月十二日未明、中宮が産気づかれた。

このうわさで京中はわき立ったが、

御産所の六波羅の池殿《いけどの》には、

法皇行幸されたのをはじめとして、

関白殿以下、

太政大臣など官職をおびた文武百官一人ももれなく伺候した。

 これまでに、女御《にょうご》、

后《きさき》の御産の時に大赦が行なわれたことがあったが、

今度の御産の時も大赦が先例に従って行なわれ、

多くの重罪の者も許された。こうしたなかで、

鬼界ヶ島の俊寛が、

ただ一人許されなかったのは気の毒なことであった。

 

中宮は、安産の願立《がんだて》を行なわれ、

皇子がお生れになったら、

八幡、平野、大原野などへ行啓になるということであった。

神社は大神宮をはじめ二十四カ所、

仏寺は東大寺以下二十カ所で安産が祈られた。

安産読経の御使には、

中宮の侍の中でも官位あるものがえらばれ、

何れも平紋《ひょうもん》の狩衣《かりぎぬ》に帯剣、

お経の施物、御剣《ぎょけん》、御衣《ぎょい》を捧げ持ち、

次々に東の対《たい》より南庭を渡り、

西の中門へ静かに出て行くさまは、

まことに壮厳で美しかった。

 中宮の兄に当る小松大臣重盛は、良いにつけ、悪いにつけ、

騒ぎ立てぬ性格であったが、今度の御産のときでも、

大騒ぎが一段落してから、

長男少将維盛以下の子息の車を続けて御産所に送られ、

御衣四十かさね、銀剣七ふり、

馬十二頭に引かせてこられた。

 

なお伊勢大神宮を始め、安芸の厳島神社など七十カ所余りに、

神馬を寄進し、宮中にも御馬数十匹を奉った。

 一方、有名な寺の高僧たちは、

安産のためあらゆる秘法を動員して、

最後の努力をはらっていた。

すなわち、

仁和寺の御室《みむろ》守覚《しゅかく》法親王は孔雀の法、

天台座主 覚快《かくかい》法親王は七 仏薬師《ぶつやくし》の法、

三井寺の円慶《えんけい》法親王は金剛童子の法、

そのほか五大虚空蔵《ごだいこくうぞう》、六観音から、

普賢延命《ふげんえんめい》にいたるまで、

ありとあらゆる秘法が行なわれたのである。

このため、

護摩《ごま》の煙は御所中にもうもうと立ちこめ、

振る鈴の音は地を這い天にまでのぼる始末、

修法の声は身の毛もよだつようにとどろく有様で、

これでは、どんな物の怪も退散すると思われた。

🪷🎼遠い夜明け written by Heitaro Ashibe

 

平家物語55 第3巻 御産②〈ごさん〉】

ところで中宮の御産は、陣痛は続くのだが、難産である。

なかなかご誕生にならない。

つきそっていた入道清盛や奥方は、

ただ胸に手を押しあてたまま、おろおろするばかりで、

頼りにならぬことおびただしい。

人びとが、うかがいを立てても、

「どうかうまくやってくれ、

 よいように急いでやってくれ」

と声をふるわすばかりであった。

戦場なら、こんなみじめな思いはしないと、

後程人に話したが、

人の親清盛の狼狽《ろうばい》ぶりは想像にあまりあるものがある。

 このご難産に、殿中でお祈りする者は、

房覚《ぼうかく》、性運《しょううん》の両僧正、

俊尭《しゅんぎょう》法印、豪禅《ごうぜん》、

実全《じつぜん》両僧都などで、

何れも僧伽《そうが》の句などをくり返し読み秘法をつくした。

中でも法皇は、この時、

熊野御参詣の前でご精進中であったのだが、

わざわざ中宮の帳の近くに坐られて、

千手経を声高く読経されたのであった。

「たとえ、どんな悪霊でも、

 この老法師がここにいる以上近づくはずはない。

 いまとりついている物の怪は、

 何れも皇恩で人となったのだから、

 物の怪に報恩の心はなくとも、

 祟《たた》りをなすことが出来ようか、

 悪霊共よ、速かに退散せよ」

といわれると、

今まで荒れ狂っていた物の怪もしばしはしずまったのである。

さらに、

「女人の難産にも、

 心をこめて大悲呪《だいひじゅ》を称えれば、

 鬼神退散、安産疑いなし」

と、水晶の数珠を取りだして押しもむと、

中宮はご安産であったばかりでなく、

産れたのは皇子であった。

「ご安産です。皇子ご誕生ですぞ」

とみすの中から躍るように出て来て、

喜び声で高らかに告げたのは

中宮亮重衡《ちゅうぐうのすけしげひら》卿、

法皇を初め、関白太政大臣以下の公卿たち、

下々《しもじも》にいたるまで、どっと歓びの声をあげた。

歓声は御所から門外に、そして京の街々を包んだ。

清盛は嬉しさのあまり、

声を立てて泣いたという。

 小松大臣《こまつのおとど》は、

金銭を九十九文、皇子の枕元において心から祈った。

「天を父とし、地を母と定め給え。

 ご寿命は不老長寿の仙人のように保ち給え。

 御心には天照大神入らせ給え」

そして古式に従って桑の弓に蓬《よもぎ》の矢をつがえ、

天地四方を射たのであった。

🪷🎼繰り返す、穏やかな日々の中で written by 蒲鉾さちこ

 

平家物語56 第3巻 公卿揃〈くぎょうぞろえ〉】

乳母には、平大納言時忠の奥方が選ばれた。

これは後に帥典侍《そつのすけ》と呼ばれた人である。

 法皇はやがて、御所へ還御になったが、

清盛は余りの嬉しさに、お土産にと、砂金一千両、

富士綿二千両を進呈したのは、

今までに類のないことだけに、

人々に異様な感じを与えたようである。

 今度の御産《ごさん》にあたっては、

変ったことがいろいろあった。

その第一は、何といっても、法皇が、自ら祈祷者として、

祈られたことだったろう。

その二には、后《きさき》御産の行事として、

御殿の棟から甑《こしき》を落す習慣があり、

皇子の時は南、皇女の時は北と決まっていたが、

この時には間違って北に落してしまい、

慌てて落し直すという珍事《ちんじ》があった。

悪い前兆でなければよいが、と思った人もいたらしい。

 一番面白かったのは、

清盛の日頃に似合わぬあわて方であった。

重盛は、例によって、

少しも騒がないところは立派だったが、

気の毒だったのは、宗盛が奥方を難産で失い、

職を一時やめて引こもってしまったことである。

この奥方は、最初、

皇子の乳母になる予定の人であっただけに、

突然の逝去は惜しまれた。

 面白い話では、七人の陰陽師《おんようし》が呼ばれて、

千度のお祓《はらい》をした際のことだったが、

中に掃部頭時晴《かもんのかみときはる》という老人がいた。

供も少く人の群を、かきわけかきわけ進む内に、

右の沓《くつ》を踏み抜かれてしまった。

あわててまごまごしている内に、

冠までも落されてもとどりがむき出しになってしまった。

きちんと礼装をつけた老人が、

冠をとられてまごついている格好はどうにもおかしく、

見ていた公卿殿上人はわあっと笑い出してしまった。

 とにかく今度のお産には、

その他いろいろ不思議なこともあったが、

その時はたいして気にもならなかったことが、

後から考えると、成るほどと思うことが多かった。

 公卿殿上人は続々お産のお祝に、

清盛邸へ集り、その時不参の人々も後からもれなく、

お祝に集ったようである。

💐🎼Spirito written by のる

 

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