🪷【源氏物語427 第14帖 澪標1】須磨の夜の夢に父帝がお姿をお現しになって以来 痛心であった源氏。御菩提を弔うために法華経の八講を催した。
〜須磨《すま》の夜の源氏の夢に
まざまざとお姿をお現わしになって以来、
父帝のことで痛心していた源氏は、
帰京ができた今日になって
その御菩提《ごぼだい》を早く弔いたいと仕度《したく》をしていた。
そして十月に法華経《ほけきょう》の八講が催されたのである。
参列者の多く集まって来ることは昔のそうした場合のとおりであった。
🪷【源氏物語428 第14帖 澪標2】大后は源氏を追い落とせなかったと口惜しく思う。帝は源氏をお召しになり政治についても隔てのない進言をお聞きになる。
〜今日も重く煩っておいでになる太后は、
その中ででも源氏を不運に落としおおせなかったことを
口惜《くちお》しく思召《おぼしめ》すのであったが、
帝《みかど》は院の御遺言をお思いになって、
当時も報いが御自身の上へ落ちてくるような恐れを
お感じになったのであるから、
このごろはお心持ちがきわめて明るくおなりあそばされた。
時々はげしくお煩いになった御眼疾も快くおなりになったのであるが、
短命でお終わりになるような予感があって
お心細いためによく源氏をお召しになった。
政治についても隔てのない進言をお聞きになることができて、
一般の人も源氏の意見が多く採用される宮廷の現状を喜んでいた。
🪷【源氏物語429 第14帖 澪標3 】朱雀帝は朧月夜の尚侍が頼る人がないふうに見えるのを哀れに思し召した。帝は泣いておいでになった。
〜帝は近く御遜位《ごそんい》の思召しがあるのであるが、
尚侍《ないしのかみ》がたよりないふうに見えるのを
憐《あわ》れに思召した。
「大臣は亡《な》くなるし、
大宮も始終お悪いのに、
私さえも余命がないような気がしているのだから、
だれの保護も受けられないあなたは、
孤独になってどうなるだろうと心配する。
初めからあなたの愛はほかの人に向かっていて、
私を何とも思っていないのだが、
私はだれよりもあなたが好きなのだから、
あなたのことばかりがこんな時にも思われる。
私よりも優越者がまたあなたと恋愛生活をしても、
私ほどにはあなたを思ってはくれないことはないかと、
私はそんなことまでも考えてあなたのために泣かれるのだ」
帝は泣いておいでになった。
🪷 【源氏物語430 第14帖 澪標4】朧月夜の尚侍が涙をこぼしているのをご覧になる朱雀帝、どんな罪も許してしまうと思し召され、愛情が深まるばかりである。
〜羞恥に頬を染めているためにいっそうはなやかに、
愛嬌がこぼれるように見える尚侍も
涙を流しているのを御覧になると、
どんな罪も許すに余りあるように思召されて、
御愛情がそのほうへ傾くばかりであった。
「なぜあなたに子供ができないのだろう。
残念だね。
前生の縁の深い人とあなたの中にはすぐにまた
その悦《よろこ》びをする日もあるだろうと思うとくやしい。
それでも気の毒だね、親王を生むのでないから」
こんな未来のことまでも仰せになるので、
恥ずかしい心がしまいには悲しくばかりなった。
🪷【源氏物語432 第14帖 澪標6】東宮の御元服があった。十二でおありになるがお綺麗で源氏に瓜二つである。母宮はそれを人知れず苦労にしておいでになった。
十二でおありになるのであるが、
御年齢のわりには御大人《おんおとな》らしくて、
おきれいで、
ただ源氏の大納言の顔が二つできたようにお見えになった。
まぶしいほどの美を備えておいでになるのを、
世間ではおほめしているが、
母宮はそれを人知れず苦労にしておいでになった。
帝も東宮のごりっぱでおありになることに御満足をあそばして
御即位後のことをなつかしい御様子でお教えあそばした。
🪷【源氏物語433 第14帖 澪標7】朱雀帝は譲位され、承香殿の女御の皇子が東宮に。源氏は内大臣。摂政は致仕の左大臣にお譲りになった。
〜この同じ月の二十幾日に譲位のことが行なわれた。
太后はお驚きになった。
「ふがいなく思召すでしょうが、
私はこうして静かにあなたへ御孝養がしたいのです」
と帝はお慰めになったのであった。
東宮には承香殿《じょうきょうでん》の女御のお生みした皇子が
お立ちになった。
すべてのことに新しい御代《みよ》の光の見える日になった。
見聞きする眼に耳にはなやかな気分の味わわれることが多かった。
源氏の大納言は内大臣になった。
左右の大臣の席がふさがっていたからである。
そして摂政《せっしょう》にこの人がなることも当
然のことと思われていたが、
「私はそんな忙しい職に堪えられない」
と言って、
致仕《ちし》の左大臣に摂政を譲った。
🪷少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋 ぜひご覧ください🪷 https://syounagon.jimdosite.com