🪻【源氏物語412 第13帖 明石74】源氏の名残惜しい様子に皆 同情する。良清は 明石の上を よほどお気ににいっただろうと少し面白くない。
〜女の関係を知らない人々はこんな住居《すまい》も、
一年以上いられて別れて行く時は
名残があれほど惜しまれるものなのであろうと単純に同情していた。
良清などはよほどお気に入った女なのであろうと憎く思った。
侍臣たちは心中のうれしさをおさえて、
今日限りに立って行く明石の浦との別れに
湿っぽい歌を作りもしていたが、
それは省いておく。
🪻【源氏物語413 第13帖 明石75】明石入道は出立の日の饗応を設け、皆に立派な旅装一揃いづつ、源氏の衣服は精選して調整した。狩衣のところに明石の上の歌があった。
波出立の日の饗応《きょうおう》を入道は派手に設けた。
全体の人へ餞別《せんべつ》に
りっぱな旅装一揃《そろ》いずつを出すこともした。
いつの間にこの用意がされたのであるかと驚くばかりであった。
源氏の衣服はもとより質を精選して調製してあった。
幾個かの衣櫃《ころもびつ》が
列に加わって行くことになっているのである。
今日着て行く狩衣《かりぎぬ》の一所に女の歌が、
寄る波に たち重ねたる 旅衣
しほどけしとや 人のいとはん
と書かれてあるのを見つけて、
立ちぎわではあったが源氏は返事を書いた。
かたみにぞ かふべかりける 逢ふことの
日数へだてん 中の衣を
というのである。
🪻【源氏物語414 第13帖 明石76】源氏は今まで着ていた衣を明石の上にあげた。自身のにおいの沁んだ着物がどれだけ有効な物であるかを源氏はよく知っていた。
〜「せっかくよこしたのだから」
と言いながらそれに着かえた。
今まで着ていた衣服は女の所へやった。
思い出させる恋の技巧というものである。
自身のにおいの沁《し》んだ着物が
どれだけ有効な物であるかを源氏はよく知っていた。
「もう捨てました世の中ですが、
今日のお送りのできませんことだけは残念です」
などと言っている入道が、
両手で涙を隠しているのがかわいそうであると源氏は思ったが、
他の若い人たちの目にはおかしかったに違いない。
🪻【源氏物語415 第13帖 明石77】入道は国境まで送ると言う。源氏は名残惜しさに涙を拭う。美しい源氏に入道も気が遠くなったように萎れてしまった。
〜世をうみに ここらしほじむ 身となりて
なほこの岸を えこそ離れね
子供への申しわけにせめて国境まではお供をさせていただきます」
と入道は言ってから、
「出すぎた申し分でございますが、
思い出しておやりくださいます時がございましたら
御音信をいただかせてくださいませ」
などと頼んだ。
悲しそうで目のあたりの赤くなっている源氏の顔が美しかった。
「私には当然の義務であることもあるのですから、
決して不人情な者でないと
すぐにまたよく思っていただくような日もあるでしょう。
私はただこの家と離れることが名残《なごり》惜しくてならない、
どうすればいいことなんだか」
と言って、
都出《い》でし 春の歎《なげ》きに 劣らめや
年ふる浦を 別れぬる秋
と涙を袖で源氏は拭《ぬぐ》っていた。
これを見ると
入道は気も遠くなったように萎《しお》れてしまった。
🪻【源氏物語416 第13帖 明石78】明石の君は悲しみに沈みきっている。捨てていく恨めしい源氏が、また恋しく泣き続けている。母の夫人もなだめかねていた。
〜それきり起居《たちい》もよろよろとするふうである。
明石の君の心は悲しみに満たされていた。
外へは現わすまいとするのであるが、
自身の薄倖《はっこう》であることが悲しみの根本になっていて、
捨てて行く恨めしい源氏が
また恋しい面影になって見えるせつなさは、
泣いて僅かに洩《も》らすほかはどうしようもない。
母の夫人もなだめかねていた。
🪻【源氏物語417 第13帖 明石79】悲しむ娘に、夫人は明石入道に不満をもらす。入道は、源氏にお考えがあるに違いないと言いつつも、苦しくなり部屋の片隅にいた。
〜「どうしてこんなに苦労の多い結婚をさせたろう。
固意地《かたいじ》な方の言いなりに
私までもがついて行ったのがまちがいだった」
と夫人は歎息《たんそく》していた。
「うるさい、
これきりにあそばされないことも残っているのだから、
お考えがあるに違いない。
湯でも飲んでまあ落ち着きなさい。
ああ苦しいことが起こってきた」
入道はこう妻と娘に言ったままで、
室の片隅《かたすみ》に寄っていた。
🪻【源氏物語418 第13帖 明石80】夫人や乳母に恨み言を言われるし、入道の心は疲れ果てた。昼間は寝て夜は起き出す。池に落ちたり、岩角に腰を下ろし損ねて怪我もした。
〜妻と乳母《めのと》とが口々に入道を批難した。
「お嬢様を御幸福な方にしてお見上げしたいと、
どんなに長い間祈って来たことでしょう。
いよいよそれが実現されますことかと存じておりましたのに、
お気の毒な御経験をあそばすことになったのでございますね。
最初の御結婚で」
こう言って歎《なげ》く人たちもかわいそうに思われて、
そんなこと、こんなことで入道の心は前よりずっとぼけていった。
昼は終日寝ているかと思うと、
夜は起き出して行く。
「数珠《じゅず》の置き所も知れなくしてしまった」
と両手を擦《す》り合わせて
絶望的な歎息《たんそく》をしているのであった。
弟子たちに批難されては月夜に出て
御堂《みどう》の行道《ぎょうどう》をするが池に落ちてしまう。
風流に作った庭の岩角《いわかど》に腰をおろしそこねて
怪我《けが》をした時には、
その痛みのある間だけ煩悶《はんもん》をせずにいた。
🪻【源氏物語419 第13帖 明石81】源氏は浪速に船をつけて祓いをした。住吉の神にも帰洛の日が来た報告をし京に戻った。
〜源氏は浪速《なにわ》に船を着けて、
そこで祓《はら》いをした。
住吉の神へも無事に帰洛《きらく》の日の来た報告をして、
幾つかの願《がん》を実行しようと思う意志のあることも
使いに言わせた。
自身は参詣《さんけい》しなかった。
途中の見物などもせずにすぐに京へはいったのであった。
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