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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【10分で聴く源氏物語 21帖 乙女10完】六条院に移る中宮と源氏と女君方。紅葉が色づき、中宮の庭が非常に美しくなった。中宮は秋の花紅葉を箱の蓋に入れて紫の上へお贈りになった。優雅で美しい世界by🐱

🌼【源氏物語697 第21帖 乙女52 】春になってからは専念に源氏は宮の五十の御賀の用意をしていた。東の院でも仕事を分担し助けていた。花散里と紫の上とは同情を互いに持って美しい交際をしているのである。

〜春になってからは専念に源氏は

宮の五十の御賀の用意をしていた。

落《おと》し忌《いみ》の饗宴《きょうえん》のこと、

その際の音楽者、

舞い人の選定などは源氏の引き受けていることで、

付帯して行なわれる仏事の日の経巻や仏像の製作、

法事の僧たちへ出す布施《ふせ》の衣服類、

一般の人への纏頭《てんとう》の品々は

夫人が力を傾けて用意していることであった。

東の院でも仕事を分担して助けていた。

花散里《はなちるさと》夫人と紫の女王《にょおう》とは

同情を互いに持って美しい交際をしているのである。

世間までが

このために騒ぐように見える大仕掛けな賀宴のことを

式部卿の宮もお聞きになった。

これまでは

だれのためにも慈父のような広い心を持つ源氏であるが

御自身と御自身の周囲の者にだけは冷酷な態度を

取り続けられておいでになるのを、

源氏の立場になってみれば、

恨めしいことが過去にあったのであろうと、

その時代の源氏夫婦を今さら気の毒にもお思いになり、

こうした現状を苦しがっておいでになったが、

源氏の幾人もある妻妾《さいしょう》の中の

最愛の夫人で女王があって、

世間から敬意を寄せられていることも並み並みでない人が

娘であることは、

その幸福が自家へわけられぬものにもせよ、

自家の名誉であることには違いないと思っておいでになった。

それに今度の賀宴が、

源氏の勢力のもとでかつてない

善美を尽くした準備が調えられているということを

お知りになったのであるから、

思いがけぬ老後の光栄を受けると感激しておいでになるが、

宮の夫人は不快に思っていた。

女御の後宮の競争にも源氏が同情的態度に出ないことで、

いよいよ恨めしがっているのである。

 

🌼【源氏物語698 第21帖 乙女53】六条院の造営が終わった。南西は中宮の旧邸のあった所で、そこは宮のお住居になる。南東は源氏の住む所である。北東の一帯は東の院の花散里、西北は明石の上となる。

〜八月に六条院の造営が終わって、

二条の院から源氏は移転することになった。

南西は中宮の旧邸のあった所であるから、

そこは宮のお住居《すまい》になるはずである。

南の東は源氏の住む所である。

北東の一帯は東の院の花散里、

西北は明石《あかし》夫人と決めて作られてあった。

もとからあった池や築山も都合の悪いのはこわして、

水の姿、山の趣も改めて、

さまざまに住み主の希望を入れた庭園が作られたのである。

南の東は山が高くて、

春の花の木が無数に植えられてあった。

池がことに自然にできていて、

近い植え込みの所には、

五葉《ごよう》、紅梅、桜、藤《ふじ》、

山吹《やまぶき》、岩躑躅《いわつつじ》などを主にして、

その中に秋の草木がむらむらに混ぜてある。

中宮のお住居《すまい》の町はもとの築山に、

美しく染む紅葉《もみじ》を植え加えて、

泉の音の澄んで遠く響くような工作がされ、

流れがきれいな音を立てるような石が水中に添えられた。

滝を落として、奥には秋の草野が続けられてある。

ちょうどその季節であったから、

嵯峨《さが》の大井の野の美観がこのために

軽蔑《けいべつ》されてしまいそうである。

北の東は涼しい泉があって、

ここは夏の庭になっていた。

座敷の前の庭には呉竹《くれたけ》がたくさん植えてある。

下風の涼しさが思われる。

大木の森のような木が深く奥にはあって、

田舎らしい卯《う》の花垣《はながき》などが

わざと作られていた。

昔の思われる花橘《はなたちばな》、

撫子《なでしこ》、薔薇《そうび》、木丹《くたに》などの

草木を植えた中に春秋のものも配してあった。

東向いた所は特に馬場殿になっていた。

庭には埒《らち》が結ばれて、

五月の遊び場所ができているのである。

菖蒲《しょうぶ》が茂らせてあって、

向かいの厩《うまや》には名馬ばかりが飼われていた。

北西の町は北側にずっと倉が並んでいるが、

隔ての垣《かき》には唐竹《からたけ》が植えられて、

松の木の多いのは雪を楽しむためである。

冬の初めに初霜のとまる菊の垣根、

朗らかな柞原《ははそはら》、

そのほかにはあまり名の知れていないような

山の木の枝のよく繁ったものなどが移されて来てあった。

 

🌼【源氏物語699 第21帖 乙女54】 秋の彼岸の頃 源氏一家は六条院へ移った。中宮のおはいりになることは少しお延ばしさせた。おとなしい、自我を出さない花散里を同じ日に東の院から移転させた。

〜秋の彼岸のころ源氏一家は六条院へ移って行った。

皆一度にと最初源氏は思ったのであるが、

仰山《ぎょうさん》らしくなることを思って、

中宮のおはいりになることは少しお延ばしさせた。

おとなしい、

自我を出さない花散里を同じ日に東の院から移転させた。

春の住居《すまい》は

今の季節ではないようなもののやはり全体として

最もすぐれて見えるのがここであった。

車の数が十五で、前駆には四位五位が多くて、

六位の者は特別な縁故によって加えられたにすぎない。

たいそうらしくなることは源氏が避けてしなかった。

もう一人の夫人の前駆その他もあまり落とさなかった。

長男の侍従がその夫人の子になっているのであるから

もっともなことであると見えた。

女房たちの部屋の配置、

こまごまと分けて部屋数の多くできていることなどが

新邸の建築のすぐれた点である。

五、六日して中宮が御所から退出しておいでになった。

その儀式はさすがにまた派手《はで》なものであった。

源氏を後援者にしておいでになる方という幸福のほかにも、

御人格の優しさと高潔さが衆望を得ておいでになることが

すばらしいお后《きさき》様であった。

この四つに分かれた住居《すまい》は、

塀《へい》を仕切りに用いた所、

廊で続けられた所などもこもごもに混ぜて、

一つの大きい美観が形成されてあるのである。

 

🌼【源氏物語700 第21帖 乙女55完】紅葉がむらむらに色づいて、中宮の前のお庭が非常に美しくなった。夕方に風の吹き出した日、中宮はいろいろの秋の花紅葉を箱の蓋に入れて紫夫人へお贈りになるのであった。

〜九月にはもう紅葉《もみじ》がむらむらに色づいて、

中宮の前のお庭が非常に美しくなった。

夕方に風の吹き出した日、

中宮はいろいろの秋の花紅葉を

箱の蓋《ふた》に入れて紫夫人へお贈りになるのであった。

やや大柄な童女が深紅《しんく》の袙《あこめ》を着、

紫苑《しおん》色の厚織物の服を下に着て、

赤|朽葉《くちば》色の汗袗《かざみ》を上にした姿で、

廊の縁側を通り渡殿《わたどの》の

反橋《そりはし》を越えて持って来た。

お后が童女をお使いになることは

正式な場合にあそばさないことなのであるが、

彼らの可憐《かれん》な姿が

他の使いにまさると宮は思召したのである。

御所のお勤めに馴《な》れている子供は、

外の童女と違った洗練された身のとりなしも見えた。

お手紙は、

心から 春待つ園は わが宿の

紅葉を風の つてにだに見よ

というのであった。

若い女房たちはお使いをもてはやしていた。

こちらからはその箱の蓋へ、下に苔《こけ》を敷いて、

岩を据《す》えたのを返しにした。

五葉の枝につけたのは、

風に散る 紅葉は軽し 春の色を

岩根の松に かけてこそ見め

という夫人の歌であった。

よく見ればこの岩は作り物であった。

すぐにこうした趣向のできる夫人の才に源氏は敬服していた。

女房たちも皆おもしろがっているのである。

「紅葉の贈り物は秋の御自慢なのだから、

 春の花盛りにこれに対することは言っておあげなさい。

 このごろ紅葉を悪口することは立田《たつた》姫に遠慮すべきだ。

 別な時に桜の花を背景にしてものを言えば

 強いことも言われるでしょう」

こんなふうにいつまでも若い心の衰えない源氏夫婦が

同じ六条院の人として中宮と風流な戯れをし合っているのである。

大井の夫人は他の夫人のわたましがすっかり済んだあとで、

価値のない自分などはそっと引き移ってしまいたいと思っていて、

十月に六条院へ来たのであった。

住居《すまい》の中の設備も、

移って来る日の儀装のことも源氏は他の夫人に劣らせなかった。

それは姫君の将来のことを考えているからで

迎えてからも重々しく取り扱った。

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