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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【10分で聴く源氏物語 第10帖 賢木8】漢の戚夫人が呂后に さいなまれたようなことまではなくても、世間の嘲笑を負わねばならぬ人になるに違いないと藤壺の宮はお思いになる‥紫式部 すごい知識 by🐱

🌗【源氏物語221 第十帖 賢木33】藤壺の宮は、目立たぬよう御所にお入りになる。東宮は母君にお会いになり喜び甘えておいでになった。

漢の初期の戚《せき》夫人が

呂后《りょこう》に

苛《さいな》まれたようなことまではなくても、

必ず世間の嘲笑を負わねばならぬ人に

自分はなるに違いないと

中宮はお思いになるのである。

 

これを転機にして

尼の生活にはいるのが

いちばんよいことであるとお考えになったが、

東宮にお逢いしないままで姿を変えてしまうことは

おかわいそうなことであるとお思いになって、

目だたぬ形式で御所へおはいりになった。

 

源氏はそんな時でなくても

十二分に好意を表する慣《なら》わしであったが、

病気に托《たく》して供奉《ぐぶ》もしなかった。

贈り物その他は常に変わらないが、

来ようとしないことは

よくよく悲観しておいでになるに違いないと、

事情を知っている人たちは同情した。  

東宮はしばらくの間に美しく御成長しておいでになった。

ひさびさ母宮とお逢いになった喜びに夢中になって、

甘えて御覧になったりもするのが非常におかわいいのである。

 

🌗【源氏物語222 第十帖 賢木34】藤壺の宮は自分が髪が短くなり黒い着物などを着て なかなかお会いできなるなることを東宮に伝える。東宮は涙がこぼれた事を恥ずかしく思った。

〜この方から離れて信仰の生活にはいれるかどうかと

御自身で疑問が起こる。

しかも御所の中の空気は、

時の推移に伴う人心の変化をいちじるしく見せて

人生は無常であるとお教えしないではおかなかった。

太后の復讐心に燃えておいでになることも面倒であったし、

宮中への出入りにも不快な感を与える官辺のことも

堪えられぬほど苦しくて、

自分が現在の位置にいることは、

かえって東宮を危うくするものでないかなどとも

煩悶《はんもん》をあそばすのであった。

「長くお目にかからないでいる間に、

 私の顔がすっかり変わってしまったら、

 どうお思いになりますか」

中宮がお言いになると、

じっと東宮はお顔を見つめてから、

「式部のようにですか。そんなことはありませんよ」

とお笑いになった。

たよりない御幼稚さがおかわいそうで、

「いいえ。式部は年寄りですから醜いのですよ。

 そうではなくて、髪なんか式部よりも短くなって、

 黒い着物などを着て、

 夜居《よい》のお坊様のように

 私はなろうと思うのですから、

 今度などよりもっと長くお目にかかれませんよ」

 宮がお泣きになると、

 東宮はまじめな顔におなりになって、

「長く御所へいらっしゃらないと、

 私はお逢いしたくてならなくなるのに」

とお言いになったあとで、涙がこぼれるのを、

恥ずかしくお思いになって顔をおそむけになった。

 

🌗【源氏物語223 第十帖 賢木35】恋に苦しむ源氏は、母君の桐壺の御息所の兄君の律師のいる雲林院で経を読んだり仏勤めをして過ごす。

〜お肩にゆらゆらとするお髪《ぐし》がきれいで、

お目つきの美しいことなど、 御成長あそばすにしたがって

ただただ源氏の顔が一つまたここにできたとより思われないのである。

お歯が少し朽ちて黒ばんで見えるお口に笑みをお見せになる美しさは、

女の顔にしてみたいほどである。

 

こうまで源氏に似ておいでになることだけが玉の瑕《きず》であると、

中宮がお思いになるのも、 取り返しがたい罪で世間を恐れておいでになるからである。

源氏は中宮を恋しく思いながらも、

どんなに御自身が冷酷であったかを 反省おさせする気で引きこもっていたが、

こうしていればいるほど見苦しいほど恋しかった。

 

この気持ちを紛らそうとして、

ついでに秋の花野もながめがてらに雲林院へ行った。

源氏の母君の桐壺の御息所《みやすどころ》の兄君の 律師《りっし》がいる寺へ行って、

経を読んだり、仏勤めもしようとして、

二、三日こもっているうちに身にしむことが多かった。

 

🌗【源氏物語224 第十帖 賢木36】場所が場所であるだけ人生の無常さばかりが思われる源氏。とはいえ紫の上が気になるのは、大した道心でもないわけである。

〜木立ちは紅葉をし始めて、

そして移ろうていく秋草の花の哀れな野をながめていては

家も忘れるばかりであった。

学僧だけを選んで討論をさせて聞いたりした。

場所が場所であるだけ人生の無常さばかりが思われたが、

その中でなお源氏は恨めしい人に

最も心を惹かれている自分を発見した。

 

朝に近い月光のもとで、

僧たちが閼伽《あか》を仏に供える仕度をするのに、

からからと音をさせながら、

菊とか紅葉とかをその辺いっぱいに折り散らしている。

こんなことは、ちょっとしたことではあるが、

僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、

未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、

 

自分は自分一人を持てあましているではないかなどと

源氏は思っていた。

律師が尊い声で

「念仏衆生《ねんぶつしゆじやう》

 摂取不捨《せつしゆふしや》」

と唱えて勤行《ごんぎょう》をしているのがうらやましくて、

この世が自分に捨てえられない理由はなかろうと思うのといっしょに

紫の女王《にょおう》が気がかりになったというのは、

たいした道心でもないわけである。

 

🌗【源氏物語225 第十帖 賢木37】始終 手紙や歌を書き合っている二人は夫人の字がまったく源氏のに似たものになっている。源氏は教育に成功したと思った。

幾日かを外で暮らすというようなことを

これまで経験しなかった源氏は

恋妻に手紙を何度も書いて送った。

 出家ができるかどうかと試みているのですが、

 寺の生活は寂しくて、

 心細さがつのるばかりです。

 もう少しいて

 法師たちから教えてもらうことがあるので滞留しますが、

 あなたはどうしていますか。

などと檀紙に飾り気もなく

書いてあるのが美しかった。

あさぢふの露の宿りに君を置きて

四方《よも》の嵐《あらし》ぞしづ心なき

という歌もある情のこもったものであったから

紫夫人も読んで泣いた。

返事は白い式紙《しきし》に、

風吹けば先《ま》づぞ乱るる色かはる

浅茅《あさぢ》が露にかかるささがに  

とだけ書かれてあった。

「字はますますよくなるようだ」

と独言《ひとりごと》を言って、

微笑しながらながめていた。

始終手紙や歌を書き合っている二人は、

夫人の字がまったく源氏のに似たものになっていて、

それよりも少し艶な女らしいところが添っていた。

どの点からいっても自分は教育に成功したと

源氏は思っているのである。

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