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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【10分で聴く源氏物語 21帖 乙女9】源氏は、夕霧の世話を花散里の君に頼む。花散里は、素直な気質で若君を愛して大切に世話をする。夕霧は、こうした優しい人と夫婦になりえたら幸福であろうと思ったby🐱

源氏物語688 第21帖 乙女43】源氏は、夕霧の世話を花散里の君に頼む。花散里は、素直な気質で若君を愛して大切に世話をする。夕霧は、こうした優しい人と夫婦になりえたら幸福であろうと思った。

〜若君は雲井の雁へ手紙を送ることもできなかった。

二つの恋をしているが、

一つの重いほうのことばかりが心にかかって、

時間がたてばたつほど恋しくなって、

目の前を去らない面影の主に、

もう一度逢うということもできぬかとばかり

歎《なげ》かれるのである。

祖母の宮のお邸《やしき》へ行くことも

わけなしに悲しくてあまり出かけない。

その人の住んでいた座敷、

幼い時からいっしょに遊んだ部屋などを見ては、

胸苦しさのつのるばかりで、

家そのものも恨めしくなって、

また勉強所にばかり引きこもっていた。

源氏は同じ東の院の花散里《はなちるさと》夫人に、

母としての若君の世話を頼んだ。

「大宮はお年がお年だから、

 いつどうおなりになるかしれない。

 お薨《かく》れになったあとのことを思うと、

 こうして少年時代から馴《な》らしておいて、

 あなたの厄介《やっかい》になるのが最もよいと思う」

と源氏は言うのであった。

すなおな性質のこの人は、

源氏の言葉に絶対の服従をする習慣から、

若君を愛して優しく世話をした。

若君は養母の夫人の顔をほのかに見ることもあった。

よくないお顔である。

こんな人を父は妻としていることができるのである、

自分が恨めしい人の顔に執着を絶つことのできないのも、

自分の心ができ上がっていないからであろう、

こうした優しい性質の婦人と

夫婦になりえたら幸福であろうと、

こんなことを若君は思ったが、

しかしあまりに美しくない顔の妻は

向かい合った時に気の毒になってしまうであろう、

こんなに長い関係になっていながら、

容貌《ようぼう》の醜なる点、

性質の美な点を認めた父君は、

夫婦生活などは疎《おろそか》にして、

妻としての待遇にできるかぎりの好意を

尽くしていられるらしい。

それが合理的なようであるとも若君は思った。

そんなことまでもこの少年は観察しえたのである。

 💐🎼#小さな梅の花  written by #マニーラ

 

🌼【源氏物語689 第21帖 乙女44】年末には正月の衣裳を大宮は若君のために仕度あそばされた。幾重ねも美しい春の衣服を見ても心は晴れず 失恋の悲しみに心は沈んでいた。

〜大宮は尼姿になっておいでになるがまだお美しかったし、

そのほかどこでこの人の見るのも

相当な容貌が集められている女房たちであったから、

女の顔は皆きれいなものであると思っていたのが、

若い時から美しい人でなかった花散里が、

女の盛りも過ぎて衰えた顔は、

痩《や》せた貧弱なものになり、

髪も少なくなっていたりするのを見て、

こんなふうに思うのである。

 年末には正月の衣裳を大宮は

若君のためにばかり仕度《したく》あそばされた。

幾重ねも美しい春の衣服のでき上がっているのを、

若君は見るのもいやな気がした。

「元旦だって、私は必ずしも参内するものでないのに、

 何のためにこんなに用意をなさるのですか」

「そんなことがあるものですか。

 廃人の年寄りのようなことを言う」

「年寄りではありませんが廃人の無力が自分に感じられる」

若君は独言《ひとりごと》を言って涙ぐんでいた。

失恋を悲しんでいるのであろうと、

哀れに御覧になって宮も寂しいお顔をあそばされた。

💐🎼#寂しさを募らせて  written by #ゆうり

 

🌼【源氏物語690 第21帖 乙女45】夕霧の若君が、涙の流れるのを 紛らしている様子のかわいそうなのを御覧になって、 宮はほろほろと涙をこぼしてお泣きになった。

「男性というものは、どんな低い身分の人だって、

 心持ちだけは高く持つものです。

 あまりめいったそうしたふうは見せないようになさいよ。

 あなたがそんなに

 思い込むほどの価値のあるものはないではないか」

「それは別にないのですが、

 六位だと人が軽蔑《けいべつ》をしますから、

 それはしばらくの間のことだとは知っていますが、

 御所へ行くのも気がそれで進まないのです。

 お祖父《じい》様がおいでになったら、

 戯談《じょうだん》にでも

 人は私を軽蔑なんかしないでしょう。

 ほんとうのお父様ですが、私をお扱いになるのは、

 形式的に重くしていらっしゃるとしか思われません。

 二条の院などで私は家族の一人として

 親しませてもらうようなことは絶対にできません。

 東の院でだけ私はあの方の子らしくしていただけます。

 西の対《たい》のお母様だけは優しくしてくださいます。

 もう一人私にほんとうのお母様があれば、

 私はそれだけでもう幸福なのでしょうがお祖母《ばあ》様」

 涙の流れるのを

 紛らしている様子のかわいそうなのを御覧になって、

 宮はほろほろと涙をこぼしてお泣きになった。

「母を亡《な》くした子というものは、

 各階級を通じて皆そうした心細い思いをしているのだけれど、

 だれにも自分の運命というものがあって、

 それぞれに出世してしまえば、

 軽蔑する人などはないのだから、

 そのことは思わないほうがいいよ。

 お祖父様が

 もうしばらくでも生きていてくだすったらよかったのだね、

 お父様がおいでなんだから、

 お祖父様くらいの愛は

 あなたに掛けていただけると信じてますけれど、

 思うようには行かないものなのだね。

 内大臣もりっぱな人格者のように世間で言われていても、

 私に昔のような平和も幸福もなくなっていくのは

 どういうわけだろう。

 私はただ長生きの罪にしてあきらめますが、

 若いあなたのような人を、

 こんなふうに少しでも

 厭世《えんせい》的にする世の中かと思うと恨めしくなります」

と宮は泣いておいでになった。

🪷🎼唐紅、枯葉散りて written by #蒲鉾さちこ

 

🌼【源氏物語691 第21帖 乙女46】良房の大臣の賜わった古例で、七日の白馬《あおうま》が二条の院へ引かれて来た。宮中どおりに行なわれた荘重な式であった。二月二十幾日に朱雀院へ行幸があった。

〜元日も源氏は外出の要がなかったから

長閑《のどか》であった。

良房《よしふさ》の大臣の賜わった古例で、

七日の白馬《あおうま》が二条の院へ引かれて来た。

宮中どおりに行なわれた荘重な式であった。

 二月二十幾日に朱雀《すざく》院へ行幸があった。

桜の盛りにはまだなっていなかったが、

三月は母后の御忌月《おんきづき》であったから、

この月が選ばれたのである。

早咲きの桜は咲いていて、

春のながめはもう美しかった。

お迎えになる院のほうでもいろいろの御準備があった。

行幸の供奉《ぐぶ》をする顕官も親王方も

その日の服装などに苦心を払っておいでになった。

その人たちは皆青色の下に桜襲《さくらがさね》を用いた。

帝は赤色の御服であった。

お召しがあって源氏の大臣が参院した。

同じ赤色を着ているのであったから、

帝と同じものと見えて、

源氏の美貌《びぼう》が輝いた。

御宴席に出た人々の様子も態度も

非常によく洗練されて見えた。

院もますます清艶《せいえん》な姿におなりあそばされた。

今日は専門の詩人はお招きにならないで、

詩才の認められる大学生十人を召したのである。

これを式部省《しきぶしょう》の試験に代えて

作詞の題をその人たちはいただいた。

これは源氏の長男のためにわざとお計らいになったことである。

気の弱い学生などは頭もぼうとさせていて、

お庭先の池に放たれた船に乗って出た水上で

製作に苦しんでいた。

夕方近くなって、音楽者を載せた船が池を往来して、

楽音を山風に混ぜて吹き立てている時、

若君はこんなに苦しい道を進まないでも

自分の才分を発揮させる道はあるであろうがと恨めしく思った。

🌸🎼#寒く澄み切った空に冬桜  written by alaki paca

 

🌼【源氏物語692 第21帖 乙女47】「春鶯囀《しゅんおうてん》」が舞われている時、昔の桜花の宴の日のことを院の帝はお思い出しになって「もうあんなおもしろいことは見られないと思う」と源氏へ仰せられた

〜「春鶯囀《しゅんおうてん》」が舞われている時、

昔の桜花の宴の日のことを院の帝はお思い出しになって、

「もうあんなおもしろいことは見られないと思う」

 と源氏へ仰せられたが、

源氏はそのお言葉から青春時代の恋愛三昧《ざんまい》を

忍んで物哀れな気分になった。

源氏は院へ杯を参らせて歌った。

鶯《うぐひす》のさへづる春は昔にてむつれし花のかげぞ変はれる

 院は、

九重を霞《かすみ》へだつる住処《すみか》にも春と告げくる鶯の声

とお答えになった。

太宰帥《だざいのそつ》の宮といわれた方は

兵部卿《ひょうぶきょう》になっておいでになるのであるが、

陛下へ杯を献じた。

いにしへを吹き伝へたる笛竹にさへづる鳥の音《ね》さへ変はらぬ

 この歌を奏上した宮の御様子がことにりっぱであった。

帝は杯をお取りになって、

鶯の昔を恋ひて囀《さへづ》るは木《こ》づたふ花の色やあせたる

 と仰せになるのが重々しく気高《けだか》かった。

この行幸は御家庭的なお催しで、

儀式ばったことでなかったせいなのか、

官人一同が詞歌を詠進したのではなかったのか

その日の歌はこれだけより書き置かれていない。

🌸🎼Japanesq Romance written by MFP【Marron Fields Production】

 

🌼【源氏物語693 第21帖 乙女48】楽器が御前へ召された。兵部卿の宮が琵琶、内大臣は和琴、十三絃が院の帝の御前に差し上げられて、琴は例のように源氏の役になった。皆名手で、絶妙な合奏楽になった。

〜奏楽所が遠くて、

細かい楽音が聞き分けられないために、

楽器が御前へ召された。

兵部卿の宮が琵琶《びわ》、内大臣は和琴《わごん》、

十三|絃《げん》が

院の帝《みかど》の御前に差し上げられて、

琴《きん》は例のように源氏の役になった。

皆名手で、絶妙な合奏楽になった。

歌う役を勤める殿上役人が選ばれてあって、

「安名尊《あなとうと》」が最初に歌われ、

次に桜人《さくらびと》が出た。

月が朧《おぼ》ろに出て美しい夜の庭に、

中島あたりではそこかしこに

篝火《かがりび》が焚《た》かれてあった。

そうしてもう合奏が済んだ。

🌸🎼#徒桜  written by #のる

 

🌼【源氏物語694 第21帖 乙女49】帝は皇太后を訪問あそばした。太后は過去の御自身の態度の非を悔いておいでになった。源氏はどう自分の昔を思っているであろうと恥じておいでになった。

〜夜ふけになったのであるが、

この機会に皇太后を御訪問あそばさないことも

冷淡なことであると思召《おぼしめ》して、

お帰りがけに帝はそのほうの御殿へおまわりになった。

源氏もお供をして参ったのである。

太后は非常に喜んでお迎えになった。

もう非常に老いておいでになるのを、

御覧になっても帝は御母宮をお思い出しになって、

こんな長生きをされる方もあるのにと残念に思召された。

「もう老人になってしまいまして、

 私などはすべての過去を忘れてしまっておりますのに、

 もったいない御訪問をいただきましたことから、

 昔の御代《みよ》が忍ばれます」

 と太后は泣いておいでになった。

「御両親が早くお崩《かく》れになりまして以来、

 春を春でもないように寂しく見ておりましたが、

 今日はじめて春を十分に享楽いたしました。

 また伺いましょう」

 と陛下は仰せられ、源氏も御|挨拶《あいさつ》をした。

「また別の日に伺候いたしまして」

 還幸の鳳輦《ほうれん》をはなやかに

百官の囲繞《いにょう》して行く光景が、

物の響きに想像される時にも、

太后は過去の御自身の態度の非を悔いておいでになった。

源氏はどう自分の昔を思っているであろうと恥じておいでになった。

一国を支配する人の持っている運は、

どんな咀《のろ》いよりも強いものであるとお悟りにもなった。

🌿🎼#il tuo cuore written by#のる

 

🌼【源氏物語695 第21帖 乙女50】朧月夜の尚侍も静かな院の中にいて、過去を思う時々に、源氏とした恋愛の昔が今も身にしむことに思われた。近ごろでも源氏は好便に託して文通をしているのであった。

〜朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《ないしのかみ》も

静かな院の中にいて、過去を思う時々に、

源氏とした恋愛の昔が今も身にしむことに思われた。

近ごろでも源氏は好便に託して文通をしているのであった。

太后は政治に御|註文《ちゅうもん》をお持ちになる時とか、

御自身の推薦権の与えられておいでになる

限られた官爵の運用についてとかに思召しの通らない時は、

長生きをして情けない末世に苦しむというようなことを

お言い出しになり、御無理も仰せられた。

年を取っておいでになるにしたがって、

強い御気質がますます強くなって

院もお困りになるふうであった。

🌕🎼 #滅びの墓 written by いまたく

 

🌼【源氏物語696 第21帖 乙女51】君は秋の除目《じもく》の時に侍従に任ぜられた。雲井の雁を忘れる時がないのであるが、大臣が厳重に監視しているのも恨めしくて、無理をして逢ってみようともしなかった。

源氏の公子はその日の成績がよくて進士になることができた。

碩学《せきがく》の人たちが選ばれて

答案の審査にあたったのであるが、

及第は三人しかなかったのである。

そして若君は秋の除目《じもく》の時に侍従に任ぜられた。

雲井《くもい》の雁《かり》を忘れる時がないのであるが、

大臣が厳重に監視しているのも恨めしくて、

無理をして逢ってみようともしなかった。

手紙だけは便宜を作って送るというような

苦しい恋を二人はしているのであった。

 源氏は静かな生活のできる家を、

なるべく広くおもしろく作って、

別れ別れにいる、

たとえば嵯峨の山荘の人なども

いっしょに住ませたいという希望を持って、

六条の京極の辺に中宮の旧邸のあったあたり

四町四面を地域にして新邸を造営させていた。

式部卿の宮は来年が五十におなりになるのであったから、

紫夫人はその賀宴をしたいと思って

仕度《したく》をしているのを見て、

源氏もそれはぜひともしなければならぬことであると思い、

そうした式もなるべくは新邸でするほうがよいと、

そのためにも建築を急がせていた。

💐🎼ひみつの恋 written by ゆうり

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