🍁【源氏物語577 第18帖 松風1】東の院が落成したので 花散里をはじめ夫人達を源氏は移らせた。中央の寝殿は源氏が休憩したり客を招いたりした。
〜東の院が美々しく落成したので、
花散里《はなちるさと》といわれていた夫人を源氏は移らせた。
西の対から渡殿《わたどの》へかけてをその居所に取って、
事務の扱い所、家司《けいし》の詰め所なども備わった、
源氏の夫人の一人としての体面を
損じないような住居《すまい》にしてあった。
東の対には明石の人を置こうと源氏はかねてから思っていた。
北の対をばことに広く立てて、
かりにも源氏が愛人と見て、
将来のことまでも約束してある人たちのすべてを
そこへ集めて住ませようという考えをもっていた源氏は、
そこを幾つにも仕切って作らせた点で
北の対は最もおもしろい建物になった。
中央の寝殿《しんでん》はだれの住居《すまい》にも使わせずに、
時々源氏が来て休息をしたり、
客を招いたりする座敷にしておいた。
🍁【源氏物語578 第18帖 松風2】源氏から上京を促されるものの、明石の君は、身分の低さを不安に思う。姫君を田舎に置くこともできない。明石の君も両親も煩悶する。
〜明石へは始終手紙が送られた。
このごろは上京を促すことばかりを言う源氏であった。
女はまだ躊躇《ちゅうちょ》をしているのである。
わが身の上のかいなさをよく知っていて、
自分などとは比べられぬ都の貴女《きじょ》たちでさえ
捨てられるのでもなく、
また冷淡でなくもないような扱いを受けて、
源氏のために
物思いを多く作るという噂《うわさ》を聞くのであるから、
どれだけ愛されているという自信があって
その中へ出て行かれよう、
姫君の生母の貧弱さを人目にさらすだけで、
たまさかの訪問を待つにすぎない京の暮らしを考えるほど
不安なことはないと煩悶《はんもん》をしながらも明石は、
そうかといって姫君をこの田舎に置いて、
世間から源氏の子として取り扱われないような
不幸な目にあわせることも非常に哀れなことであると思って、
出京は断然しないとも源氏へ答えることはできなかった。
両親も娘の煩悶するのがもっともに思われて
歎息《たんそく》ばかりしていた。
🍁【源氏物語579 第18帖 松風 3】入道夫人の祖父の中務卿親王の別荘が、嵯峨の大井川の側にあった。入道は、明石の上と姫君の住まいにしようと手入れをする。
昔持っておいでになった別荘が
嵯峨《さが》の大井川のそばにあって、
宮家の相続者にしかとした人がないままに
別荘などもそのままに荒廃させてあるのを思い出して、
親王の時からずっと預かり人のようになっている男を
明石へ呼んで相談をした。
「私はもう京の生活を二度とすまいという決心で
田舎へ引きこもったのだが、
子供になってみるとそうはいかないもので、
その人たちのためにまた一軒京に家を持つ必要ができたのだが、
こうした静かな所にいて、
にわかに京の町中の家へはいって
気も落ち着くものでないと思われるので、
古い別荘のほうへでもやろうかと思う。
そちらで今まで使っているだけの建物は
君のほうへあげてもいいから、
そのほかの所を修繕して、
とにかく人が住めるだけの別荘にこ
しらえ上げてもらいたいと思うのだが」
と入道が言った。
🍁【源氏物語580 第18帖 松風4】大堰の別荘の預かり人は、自身の物のようにしている田地などを回収されないかと危うがって、権利を主張する。
〜「もう長い間持ち主がおいでにならない別荘になって、
ひどく荒れたものですから、
私たちは下屋《しもや》のほうに住んでおりますが、
しかし今年の春ごろから内大臣さんが
近くへ御堂《みどう》の普請をお始めになりまして、
あすこはもう人がたくさん来る所になっておりますよ、
たいした御堂ができるのですから、
工事に使われている人数だけでも
どんなに大きいかしれません。
静かなお住居《すまい》がよろしいのなら
あすこはだめかもしれません」
「いや、それは構わないのだ。
というのは内大臣家にも関係のあることで
そこへ行こうとしているのだからね。
家の中の設備などは追い追いこちらからさせるが、
まず急いで大体の修繕のほうをさせてくれ」
と入道が言う。
「私の所有ではありませんが、
持っていらっしゃる方もなかったものですから、
一軒家のような所を長く私が守って来たのです。
別荘についた田地なども荒れる一方でしたから、
お亡くなりになりました民部大輔《みんぶだゆう》さんに
お願いして、
譲っていただくことにしましてそれだけの金は納めたのでした」
預かり人は自身の物のようにしている田地などを
回収されないかと危うがって、
権利を主張しておかねばというように、
鬚《ひげ》むしゃな醜い顔の鼻だけを赤くしながら
顎《あご》を上げて弁じ立てる。
🍁【源氏物語581 第18帖 松風 5】明石入道から 修繕された大堰の山荘を明石の君の家とすると知らせが来た。聡明なやり方だと源氏は思った。
〜「私のほうでは田地などいらない。
これまでどおりに君は思っておればいい。
別荘その他の証券は私のほうにあるが、
もう世捨て人になってしまってからは、
財産の権利も義務も忘れてしまって、
留守居《るすい》料も払ってあげなかったが、
そのうち精算してあげるよ」
こんな話も相手は、
入道が源氏に関係のあることを
におわしたことで気味悪く思って、
私慾《しよく》をそれ以上たくましくはしかねていた。
それからのち、
入道家から金を多く受け取って大井の山荘は修繕されていった。
そんなことは源氏の想像しないことであったから、
上京をしたがらない理由は何にあるかと怪しんでは、
姫君がそのまま田舎に育てられていくことによって、
のちの歴史にも不名誉な話が残るであろうと
源氏は歎息《たんそく》されるのであったが、
大井の山荘ができ上がってから、
はじめて昔の母の祖父の山荘のあったことを思い出して、
そこを家にして上京するつもりであると明石から知らせて来た。
東の院へ迎えて住ませようとしたことに同意しなかったのは、
そんな考えであったのかと源氏は合点した。
聡明《そうめい》なしかただとも思ったのであった。
🍁【源氏物語582 第18帖 松風 6】源氏の作っている御堂は大覚寺の南にあたる所である。明石の君の山荘は、大井川沿いの松の多い中 素朴に建てられている。源氏は 親しい者を明石に迎えに立たせた。
惟光《これみつ》が源氏の隠し事に関係しないことはなくて、
明石の上京の件についても
源氏はこの人にまず打ち明けて、
さっそく大井へ山荘を見にやり、
源氏のほうで用意しておくことは皆させた。
「ながめのよい所でございまして、
やはりまた海岸のような気のされる所もございます」
と惟光は報告した。
そうした山荘の風雅な女主人になる資格のある人であると
源氏は思っていた。
源氏の作っている御堂は大覚寺の南にあたる所で、
滝殿《たきどの》などの美術的なことは大覚寺にも劣らない。
明石の山荘は川に面した所で、
大木の松の多い中へ素朴に寝殿の建てられてあるのも、
山荘らしい寂しい趣が出ているように見えた。
源氏は内部の設備までも自身のほうでさせておこうとしていた。
親しい人たちをもまたひそかに明石へ迎えに立たせた。
🌺【源氏物語 第16帖 松風〈まつかぜ〉】
https://syounagon.hatenablog.com/entry/2023/11/14/211451
🌺【源氏物語 インデックス】
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