🍁【源氏物語589 第18帖 松風13】明石の浦の朝霧に 船の隔たっていくのを見る入道の心は ただ呆然としていた。一行は、無事に京に入り 目立たぬように大堰の山荘に移った。
〜車の数の多くなることも人目を引くことであるし、
二度に分けて立たせることも
面倒なことであるといって、
迎えに来た人たちもまた
非常に目だつことを恐れるふうであったから、
船を用いてそっと明石親子は立つことになった。
午前八時に船が出た。
昔の人も身にしむものに見た明石の浦の朝霧に
船の隔たって行くのを見る入道の心は、
仏弟子《ぶつでし》の超越した境地に
引きもどされそうもなかった。
ただ呆然《ぼうぜん》としていた。
長い年月を経て都へ帰ろうとする尼君の心もまた悲しかった。
かの岸に 心寄りにし 海人船《あまぶね》の
そむきし方に 漕《こ》ぎ帰るかな
と言って尼君は泣いていた。
明石は、
いくかへり 行きかふ秋を 過ごしつつ
浮き木に乗りて われ帰るらん
と言っていた。
追い風であって、
予定どおりに一行の人は京へはいることができた。
車に移ってから
人目を引かぬ用心をしながら 大井の山荘へ行ったのである。
🍁【源氏物語590 第18帖 松風14】山荘は風流で趣がある。明石の上は物思いばかりされて 源氏の形見の琴を弾いていると、松風の音が荒々しく合奏をしかけてきた。
〜山荘は風流にできていて、
大井川が明石でながめた海のように前を流れていたから、
住居《すまい》の変わった気もそれほどしなかった。
明石の生活がなお近い続きのように思われて、
悲しくなることが多かった。
増築した廊なども趣があって
園内に引いた水の流れも美しかった。
欠点もあるが住みついたならきっとよくなるであろうと
明石の人々は思った。
源氏は親しい家司《けいし》に命じて
到着の日の一行の饗応をさせたのであった。
自身で訪ねて行くことは、
機会を作ろう作ろうとしながらも
おくれるばかりであった。
源氏に近い京へ来ながら物思いばかりがされて、
女は明石《あかし》の家も恋しかったし、
つれづれでもあって、
源氏の形見の琴《きん》の絃《いと》を鳴らしてみた。
非常に悲しい気のする日であったから、
人の来ぬ座敷で明石がそれを少し弾《ひ》いていると、
松風の音が荒々しく合奏をしかけてきた。
🍁【源氏物語591 第18帖 松風15】源氏は、他から耳に入ると気まずいと思って、嵯峨野の御堂にかこつけて 紫の上に明石の君が上京したことを知らせる。
〜横になっていた尼君が起き上がって言った。
身を変へて 一人帰れる 山里に
聞きしに似たる 松風ぞ吹く
女《むすめ》が言った。
ふるさとに 見し世の友を 恋ひわびて
さへづることを 誰《たれ》か分くらん
こんなふうにはかながって 暮らしていた数日ののちに、
以前にもまして逢いがたい苦しさを切に感じる源氏は、
人目もはばからずに大井へ出かけることにした。
夫人にはまだ明石の上京したことは言ってなかったから、
ほかから耳にはいっては気まずいことになると思って、
源氏は女房を使いにして言わせた。
「桂《かつら》に私が行って
指図をしてやらねばならないことがあるのですが、
それをそのままにして長くなっています。
それに京へ来たら訪ねようという約束のしてある人も
その近くへ上って来ているのですから、
済まない気がしますから、そこへも行ってやります。
嵯峨野《さがの》の御堂《みどう》に
何もそろっていない所にいらっしゃる仏様へも
御挨拶に寄りますから二、三日は帰らないでしょう」
🍁【源氏物語592 第18帖 松風16】紫の上は、桂の院に明石の人を迎えたと気づくと 嬉しいこととは思えず、仙人の碁を見物していた木こりの斧が朽ちていた逸話で不愉快な思いを伝えた。
〜夫人は桂の院という別荘の
新築されつつあることを聞いたが、
そこへ明石の人を迎えたのであったかと気づくと
うれしいこととは思えなかった。
「斧《おの》の柄を新しくなさらなければ
(仙人《せんにん》の碁を見物している間に、
時がたって気がついてみるとその樵夫《きこり》の
持っていた斧の柄は朽ちていたという話)
ならないほどの時間はさぞ待ち遠いことでしょう」
不愉快そうなこんな夫人の返事が源氏に伝えられた。
「また意外なことをお言いになる。
私はもうすっかり昔の私でなくなったと
世間でも言うではありませんか」
などと言わせて夫人の機嫌を直させようとするうちに昼になった。
🍁【源氏物語593 第18帖 松風17】源氏は大堰の山荘に来た。今さらのようにこの人に深い愛を覚えながら、生まれた姫君を見て また感動した。源氏は姫君を非常に可愛いと思った。
〜微行《しのび》で、
しかも前駆には親しい者だけを選んで
源氏は大井へ来た。
夕方前である。
いつも狩衣《かりぎぬ》姿をしていた明石時代でさえも
美しい源氏であったのが、
恋人に逢うがために引き繕った直衣《のうし》姿は
まばゆいほどまたりっぱであった。
女のした長い愁《うれ》いもこれに慰められた。
源氏は今さらのようにこの人に深い愛を覚えながら、
二人の中に生まれた子供を見てまた感動した。
今まで見ずにいたことさえも
取り返されない損失のように思われる。
左大臣家で生まれた子の美貌を世人はたたえるが、
それは権勢に目がくらんだ批評である。
これこそ真の美人になる要素の
備わった子供であると源氏は思った。
無邪気な笑顔の愛嬌《あいきょう》の多いのを
源氏は非常にかわいく思った。
🍁【源氏物語594 第18帖 松風18】源氏は明石の上に 今日の邸に移るように言ったが、明石は、気後れしている。源氏はいろいろに明石の心をいたわったり、将来を堅く誓ったりしてその夜は明けた。
〜乳母《めのと》も
明石へ立って行ったころの衰えた顔はなくなって
美しい女になっている。
今日までのことを
いろいろとなつかしいふうに話すのを聞いていた源氏は、
塩焼き小屋に近い田舎の生活をしいてさせられてきたのに
同情するというようなことを言った。
「ここだってまだずいぶんと遠すぎる。
したがって私が始終は来られないことになるから、
やはり私があなたのために用意した所へお移りなさい」
源氏は明石に言うのであったが、
「こんなふうに田舎者であることが少し直りましてから」
と女の言うのも道理であった。
源氏はいろいろに明石の心をいたわったり、
将来を堅く誓ったりしてその夜は明けた。
少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋🪷も ぜひご覧ください🌟https://syounagon.jimdosite.com

- 価格: 3572000 円
- 楽天で詳細を見る