🍁【源氏物語595 第18帖 松風19】桂の院から明石の上の邸に来た源氏は、庭の手入れをさせる。打ち解けた様子の源氏はいっそう美しい。尼君は老いも憂いも忘れ微笑んでいた。
〜なお修繕を加える必要のある所を、
源氏はもとの預かり人や新たに任命した家職の者に命じていた。
源氏が桂の院へ来るという報《しら》せがあったために、
この近くの領地の人たちの集まって来たのは
皆そこから明石の家のほうへ来た。
そうした人たちに庭の植え込みの草木を直させたりなどした。
「流れの中にあった立石《たていし》が皆倒れて、
ほかの石といっしょに紛れてしまったらしいが、
そんな物を復旧させたり、
よく直させたりすればずいぶんおもしろくなる庭だと思われるが、
しかしそれは骨を折るだけかえってあとでいけないことになる。
そこに永久いるものでもないから、
いつか立って行ってしまう時に心が残って、
どんなに私は苦しかったろう、帰る時に」
源氏はまた昔を言い出して、
泣きもし、笑いもして語るのであった。
こうした打ち解けた様子の見える時に
源氏はいっそう美しいのであった。
のぞいて見ていた尼君は老いも忘れ、
物思いも跡かたなくなってしまう気がして
微笑《ほほえ》んでいた。
🍁【源氏物語596 第18帖 松風20】源氏は袿《うちぎ》を引き掛けたくつろぎ姿で いた。尼君がおられるのに気付き直衣を取り寄せて着替えた。
〜東の渡殿《わたどの》の下をくぐって来る流れの筋を
仕変えたりする指図《さしず》に、
源氏は袿《うちぎ》を引き掛けたくつろぎ姿でいるのが
また尼君にはうれしいのであった。
仏の閼伽《あか》の具などが縁に置かれてあるのを見て、
源氏はその中が尼君の部屋であることに気がついた。
「尼君はこちらにおいでになりますか。
だらしのない姿をしています」
と言って、
源氏は直衣《のうし》を取り寄せて着かえた。
几帳《きちょう》の前にすわって、
「子供がよい子に育ちましたのは、
あなたの祈りを仏様がいれてくだすったせいだろうと
ありがたく思います。
俗をお離れになった清い御生活から、
私たちのためにまた世の中へ帰って来てくだすったことを
感謝しています。
明石ではまた一人でお残りになって、
どんなにこちらのことを想像して
心配していてくださるだろうと済まなく私は思っています」
となつかしいふうに話した。
🍁【源氏物語597 第18帖 松風21】「荒磯かげに心苦しく存じました二葉の松も いよいよ頼もしい未来が思われます日に到達いたしましたが‥」と言うものの、生母の身分がさわりにならぬかと心配する尼君
〜「一度捨てました世の中へ帰ってまいって
苦しんでおります心も、お察しくださいましたので、
命の長さもうれしく存ぜられます」
尼君は泣きながらまた、
「荒磯《あらいそ》かげに心苦しく存じました二葉《ふたば》の松も
いよいよ頼もしい未来が思われます日に到達いたしましたが、
御生母がわれわれ風情の娘でございますことが、
御幸福の障《さわ》りにならぬかと苦労にしております」
などという様子に品のよさの見える婦人であったから、
源氏はこの山荘の昔の主《あるじ》の親王のことなどを
話題にして語った。
直された流れの水はこの話に言葉を入れたいように、
前よりも高い音を立てていた。
住み馴《な》れし 人はかへりてたどれども
清水《しみづ》ぞ宿の主人《あるじ》がほなる
歌であるともなくこう言う様子に、
源氏は風雅を解する老女であると思った。
「いさらゐは はやくのことも 忘れじを
もとの主人《あるじ》や面《おも》変はりせる
悲しいものですね」
と歎息《たんそく》して立って行く源氏の美しいとりなしにも
尼君は打たれて茫《ぼう》となっていた。
🍁【源氏物語598 第18帖 松風 22】源氏は山荘に来た。明石の上は、別離の夜の形見の琴を差し出した。源氏は琴を弾き始めた。まだ絃《いと》の音《ね》が変わっていなかった。
〜源氏は御堂《みどう》へ行って
毎月十四、五日と三十日に行なう普賢講《ふげんこう》、
阿弥陀《あみだ》,
釈迦《しゃか》の念仏の三昧《さんまい》のほかにも
日を決めてする法会《ほうえ》のことを
僧たちに命じたりした。
堂の装飾や仏具の製作などのことも御堂の人々へ指図してから、
月明の路《みち》を川沿いの山荘へ帰って来た。
明石の別離の夜のことが源氏の胸によみがえって
感傷的な気分になっている時に
女はその夜の形見の琴を差し出した。
弾《ひ》きたい欲求もあって源氏は琴を弾き始めた。
まだ絃《いと》の音《ね》が変わっていなかった。
その夜が今であるようにも思われる。
契りしに 変はらぬ琴の しらべにて
絶えぬ心の ほどは知りきや
と言うと、女が、
変はらじと 契りしことを 頼みにて
松の響に 音《ね》を添へしかな
と言う。
こんなことが不つりあいに見えないのは
女からいえば過分なことであった。
明石時代よりも女の美に光彩が加わっていた。
源氏は永久に離れがたい人になったと明石を思っている。
🍁【源氏物語599 第18帖 松風23】源氏は姫君を二条院に引き取ることを考えるが、引き放される明石の心が哀れに思われて ただ涙ぐんで 姫君の顔を見ていた。
〜姫君の顔からもまた目は離せなかった。
日蔭《ひかげ》の子として成長していくのが、
堪えられないほど源氏はかわいそうで、
これを二条の院へ引き取って
できる限りにかしずいてやることにすれば、
成長後の肩身の狭さも救われることになるであろうとは
源氏の心に思われることであったが、
また引き放される明石の心が哀れに思われて
口へそのことは出ずにただ涙ぐんで姫君の顔を見ていた。
子心にはじめは少し恥ずかしがっていたが、
今はもうよく馴れてきて、
ものを言って、笑ったりもしてみせた。
甘えて近づいて来る顔が
またいっそう美しくてかわいいのである。
源氏に抱かれている姫君は
すでに類のない幸運に恵まれた人と見えた。
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