🍁【源氏物語583 第18帖 松風 7】明石の君が源氏に迎えられることは願っていたことではあるが、娘達と別れて暮らす寂しさに入道は朝も昼も物思いに呆としていた。
〜免れがたい因縁に引かれて
いよいよそこを去る時になったのであると思うと、
女の心は馴染《なじみ》深い明石の浦に
名残《なごり》が惜しまれた。
父の入道を一人ぼっちで残すことも苦痛であった。
なぜ自分だけはこんな悲しみを
しなければならないのであろうと、
朗らかな運命を持つ人がうらやましかった。
両親も源氏に迎えられて
娘が出京するというようなことは
長い間寝てもさめても願っていたことで、
それが実現される喜びはあっても、
その日を限りに娘たちと別れて孤独になる将来を考えると
堪えがたく悲しくて、
夜も昼も物思いに入道は呆《ぼう》としていた。
言うことはいつも同じことで、
「そして私は姫君の顔を見ないでいるのだね」
そればかりである。
夫人の心も非常に悲しかった。
🍁【源氏物語584 第18帖 松風8】頑固ではあったが、信頼してきた夫と離れるのが辛い明石の夫人。女房達も、美しい明石の浦を見ることもなくことを寂しく思った。心に沁みる秋であった。
〜これまでもすでに同じ家には住まず
別居の形になっていたのであるから、
明石が上京したあとに
自分だけが残る必要も認めてはいないものの、
地方にいる間だけの仮の夫婦の中でも
月日が重なって馴染《なじみ》の深くなった人たちは
別れがたいものに違いないのであるから、
まして夫人にとっては
頑固な我意の強い良人《おっと》ではあったが、
明石に作った家で終わる命を予想して、
信頼して来た妻なのであるから
にわかに別れて京へ行ってしまうことは心細かった。
光明を見失った人になって
田舎の生活をしていた若い女房などは、
蘇生《そせい》のできたほどにうれしいのであるが、
美しい明石の浦の風景に接する日の
またないであろうことを思うことで
心のめいることもあった。
これは秋のことであったからことに
物事が身に沁《し》んで思われた。
🍁【源氏物語585 第18帖 松風9】出立の日の夜明け、秋風が吹き 虫の声をする門出の日、父も娘も忍ぶことができず泣いていた。夜光の珠のような孫娘の姫君との別れを思い 悲しみに暮れる入道。
〜出立の日の夜明けに、
涼しい秋風が吹いていて、
虫の声もする時、
明石の君は海のほうをながめていた。
入道は後夜《ごや》に起きたままでいて、
鼻をすすりながら仏前の勤めをしていた。
門出の日は縁起を祝って、
不吉なことはだれもいっさい避けようとしているが、
父も娘も忍ぶことができずに泣いていた。
小さい姫君は非常に美しくて、
夜光の珠《たま》と思われる麗質の備わっているのを、
これまでどれほど入道が愛したかしれない。
祖父の愛によく馴染んでいる姫君を入道は見て、
「僧形《そうぎょう》の私が
君のそばにいることは遠慮すべきだと
これまでも思いながら、
片時だってお顔を見ねばいられなかった私は、
これから先どうするつもりだろう」
と泣く。
🍁【源氏物語586 第18帖 松風10】明石入道は落ちてくる涙を拭い隠す。尼君は信頼する夫と離れることを嘆く。明石の上は、せめて見送ってほしいと懇願する。
〜「行くさきを はるかに祈る 別れ路《ぢ》に
たへぬは老いの 涙なりけり
不謹慎だ私は」
と言って、
落ちてくる涙を拭《ぬぐ》い隠そうとした。
尼君が、京時代の左近中将の良人《おっと》に、
「もろともに 都は出《い》でき このたびや
一人野中の 道に惑はん」
と言って泣くのも同情されることであった。
信頼をし合って過ぎた年月を思うと、
どうなるかわからぬ娘の愛人の心を頼みにして、
見捨てた京へ帰ることが尼君をはかなくさせるのであった。
明石が、
「いきてまた 逢ひ見んことを いつとてか
限りも知らぬ 世をば頼まん
送ってだけでもくださいませんか」
と父に頼んだが、
それは事情が許さないことであると
入道は言いながらも途中が気づかわれるふうが見えた。
🍁【源氏物語587 第18帖 松風11】明石入道は、出世を諦め地方官になったが、珠玉のような娘を埋もれさせていいのものかと悩むようになった。娘の明石の君への想いを語る。
〜「私は出世することなどを思い切ろうとしていたのだが、
いよいよその気になって地方官になったのは、
ただあなたに物質的にだけでも
十分尽くしてやりたいということからだった。
それから地方官の仕事も私に適したものでないことを
いろんな形で教えられたから、
これをやめて地方官の落伍《らくご》者の一人で、
京で軽蔑《けいべつ》される人間にこの上なっては
親の名誉を恥ずかしめることだと悲しくて出家したがね、
京を出たのが世の中を捨てる門出だったと、
世間からも私は思われていて、
よく潔くそれを実行したと私自身にも満足感はあったが、
あなたが一人前の少女になってきたのを見ると、
どうしてこんな珠玉を
泥土《でいど》に置くような残酷なことを
自分はしたかと私の心はまた暗くなってきた。
それからは仏と神を頼んで、
この人までが私の不運に引かれて
一地方人となってしまうようなことがないようにと願った。‥
🍁【源氏物語588 第18帖 松風12】明石入道は、これが永遠の別れになること、自分が煙になる夕べまで 姫君の幸せを祈ることだろうと 自分の心のうちを伝える。
〜思いがけず源氏の君を婿に見る日が来たのであるが、
われわれには身分のひけ目があって、
よいことにも悲しみが常に添っていた。
しかし姫君がお生まれになったことで
私もだいぶ自信ができてきた。
姫君はこんな土地でお育ちになってはならない
高い宿命を持つ方に違いないのだから、
お別れすることがどんなに悲しくても私はあきらめる。
何事ももうとくにあきらめた私は僧じゃないか。
姫君は高い高い宿命の人でいられるが、
暫時《ざんじ》の間私に祖父と孫の愛を
作って見せてくださったのだ。
天に生まれる人も
一度は三途《さんず》の川まで行くということに
あたることだとそれを思って
私はこれで長いお別れをする。
私が死んだと聞いても仏事などはしてくれる必要はない。
死に別れた悲しみもしないでおおきなさい」
と入道は断言したのであるが、また、
「私は煙になる前の夕べまで
姫君のことを六時の勤行《ごんぎょう》に
混ぜて祈ることだろう。恩愛が捨てられないで」
と悲しそうに言うのであった。
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