🌑【源氏物語249 賢木61】源氏に属している官吏も 除目《じもく》の結果を見れば不幸であった。 不面目な気がして源氏は家にばかり引きこもっていた。
〜源氏もこの宮のお心持ちを知っていて、
ごもっともであると感じていた。
一方では家司《けいし》として
源氏に属している官吏も
除目《じもく》の結果を見れば不幸であった。
不面目な気がして源氏は家にばかり引きこもっていた。
左大臣も公人として、
また個人として幸福の去ってしまった今日を悲観して
致仕の表を奉った。
帝は院が非常に御信用あそばして、
国家の柱石は彼であると御遺言あそばしたことを思召すと、
辞表を御採用になることができなくて、
たびたびお返しになったが、
大臣のほうではまた何度も繰り返して、
辞意を奏上して、
そしてそのまま出仕をしないのであったから、
太政大臣一族だけが栄えに栄えていた。
国家の重鎮である大臣が引きこもってしまったので、
帝も心細く思召されるし、
世間の人たちも歎《なげ》いていた。
左大臣家の公子たちもりっぱな若い官吏で、
皆順当に官位も上りつつあったが、
もうその時代は過ぎ去ってしまった。
三位《さんみ》中将なども
こうした世の中に気をめいらせていた。
🌑【源氏物語250 第十帖 賢木62】中将は弘徽殿の大后の妹の四の君の婿であるが 反感を持たれ昇進はなかった。始終源氏の所へ来て、学問も遊び事も一緒にしていた。
〜太政大臣の四女の所へ途絶えがちに通いは通っているが、
誠意のない婿であるということに反感を持たれていて、
思い知れというように
今度の除目にはこの人も現官のままで置かれた。
この人はそんなことは眼中に置いていなかった。
源氏の君さえも
不遇の歎《なげ》きがある時代であるのだから、
まして自分などはこう取り扱わるべきであるとあきらめていて、
始終源氏の所へ来て、
学問も遊び事もいっしょにしていた。
青年時代の二人の間に強い競争心のあったことを思い出して、
今でも遊び事の時などに、
一方のすることをそれ以上に出ようとして
一方が力を入れるというようなことがままあった。
春秋の読経の会以外にもいろいろと宗教に関した会を開いたり、
現代にいれられないでいる博士や学者を集めて詩を作ったり、
韻《いん》ふたぎをしたりして、
官吏の職務を閑却した生活をこの二人がしているという点で、
これを問題にしようとしている人もあるようである。
🌑【源氏物語251 第十帖 賢木63】中将はいろいろな詩集を持って遊びに来た。源氏も詩集を出し、詩人達を呼び 韻ふたぎに勝負をつけようとした。
〜夏の雨がいつやむともなく降って
だれもつれづれを感じるころである、
三位中将はいろいろな詩集を持って
二条の院へ遊びに来た。
源氏も自家の図書室の中の、
平生使わない棚の本の中から
珍しい詩集を選《え》り出して来て、
詩人たちを目だつようにはせずに、
しかもおおぜい呼んで左右に人を分けて、
よい賭物《かけもの》を出して
韻ふたぎに勝負をつけようとした。
隠した韻字をあてはめていくうちに、
むずかしい字がたくさん出てきて、
経験の多い博士なども困った顔をする場合に、
時々源氏が注意を与えることがよくあてはまるのである。
非常な博識であった。
「どうしてこんなに何もかもがおできになるのだろう。
やはり前生《ぜんしょう》の因に
特別なもののある方に違いない」
などと学者たちがほめていた。
とうとう右のほうが負けになった。
それから二日ほどして三位中将が負けぶるまいをした。
たいそうにはしないで雅趣のある檜破子《ひわりご》弁当が出て、
勝ち方に出す賭物《かけもの》も多く持参したのである。
🌑【源氏物語252 第十帖 賢木64】中将の次男が「高砂」を歌い出した。源氏は服を一枚脱いで与えた。歌の終わりのところで中将は杯を源氏に勧めた。
〜今日も文士が多く招待されていて皆席上で詩を作った。
階前の薔薇《ばら》の花が少し咲きかけた初夏の庭のながめには
濃厚な春秋の色彩以上のものがあった。
自然な気分の多い楽しい会であった。
中将の子で今年から御所の侍童に出る八、九歳の少年で
おもしろく笙《しょう》の笛を吹いたりする子を
源氏はかわいがっていた。
これは四の君が生んだ次男である。
よい背景を持っていて世間から大事に扱われている子であった。
才があって顔も美しいのである。
主客が酔いを催したころにこの子が
「高砂《たかさご》」を歌い出した。非常に愛らしい。
(「高砂の尾上《をのへ》に立てる白玉椿《しらたまつばき》、
それもがと、ましもがと、
今朝《けさ》咲いたる初花に逢《あ》はましものを
云々《うんぬん》」という歌詞である)
源氏は服を一枚脱いで与えた。
平生よりも打ち解けたふうの源氏はことさらにまた美しいのであった。
着ている直衣《のうし》も単衣《ひとえ》も薄物であったから、
きれいな肌の色が透いて見えた。
老いた博士たちは遠くからながめて源氏の美に涙を流していた。
「逢はましものを小百合葉《さゆりば》の」
という高砂の歌の終わりのところになって、
中将は杯を源氏に勧めた。
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