🪷【源氏物語570 第19帖 薄雲 1】源氏の冷淡に思われることも地理的に斟酌をしなければならないと自分を納得させていた明石の上。男の心を顕わに見なければならないことは苦痛であろうと彼女は躊躇していた。
〜冬になって来て川沿いの家にいる人は
心細い思いをすることが多く、
気の落ち着くこともない日の続くのを、源氏も見かねて、
「これではたまらないだろう、
私の言っている近い家へ引っ越す決心をなさい」
と勧めるのであったが、
「宿変へて待つにも見えずなりぬれば
つらき所の多くもあるかな」
という歌のように、
恋人の冷淡に思われることも
地理的に斟酌《しんしゃく》をしなければならないと、
しいて解釈してみずから慰めることなどもできなくなって、
男の心を顕《あら》わに見なければならないことは苦痛であろうと
明石は躊躇《ちゅうちょ》をしていた。
🪷【源氏物語571 第19帖 薄雲2】源氏は、姫君を紫の上に預けること、袴着を二条院で行いたいと明石の上に伝えた。明石の上は、姫君を手放しがたく思い、心が乱れていた。
〜あなたがいやなら姫君だけでもそうさせてはどう。
こうしておくことは将来のためにどうかと思う。
私はこの子の運命に予期していることがあるのだから、
その暁を思うともったいない。
西の対《たい》の人が姫君のことを知っていて、非常に見たがっているのです。
しばらく、あの人に預けて、
袴着《はかまぎ》の式なども公然二条の院でさせたいと私は思う」
源氏はねんごろにこう言うのであったが、
源氏がそう計らおうとするのでないかとは、
明石が以前から想像していたことであったから、
この言葉を聞くとはっと胸がとどろいた。
「よいお母様の子にしていただきましても、
ほんとうのことは世間が知っていまして、
何かと噂《うわさ》が立ちましては、
ただ今の御親切がかえって悪い結果にならないでしょうか」
手放しがたいように女は思うふうである。
🪷【源氏物語572 第19帖 薄雲3】明石の上は、姫君を紫の上に託すという源氏の提案に、悩みながらも それならば無心でいる今のうちに夫人の手へ譲ってしまおうかという考えが起こってきた。
〜「あなたが賛成しないのはもっともだけれど、
継母の点で不安がったりはしないでおおきなさい。
あの人は私の所へ来てずいぶん長くなるのだが、
こんなかわいい者のできないのを寂しがってね、
前斎宮《ぜんさいぐう》などは幾つも年が違っていない方だけれど、
娘として世話をすることに楽しみを見いだしているようなわけだから、
ましてこんな無邪気な人にはどれほど深い愛を持つかしれない、
と私が思うことのできる人ですよ」
源氏は紫の女王《にょおう》の善良さを語った。
それはほんとうであるに違いない、
昔はどこへ源氏の愛は落ち着くものか想像もできないという噂が
田舎にまで聞こえたものであった源氏の多情な、
恋愛生活が清算されて、
皆過去のことになったのは今の夫人を源氏が得たためであるから、
だれよりもすぐれた女性に違いないと、こんなことを明石は考えて、
何の価値もない自分は決してそうした夫人の競争者ではないが、
京へ源氏に迎えられて自分が行けば、
夫人に不快な存在と見られることがあるかもしれない。
自分はどうなるもこうなるも同じことであるが、
長い未来を持つ子は結局夫人の世話になることであろうから、
それならば無心でいる今のうちに
夫人の手へ譲ってしまおうかという考えが起こってきた。
🪷【源氏物語573 第19帖 薄雲4】明石の尼君は、「母親の身分次第で 子どもの人生は変わる。あなたは母として姫君の最も幸福になることを考えなければならない」と 姫君を手放しがたい明石の上を説得する。
しかしまた気がかりでならないことであろうし、
つれづれを慰めるものを失っては、自分は何によって日を送ろう、
姫君がいるためにたまさかに訪ねてくれる源氏が、
立ち寄ってくれることもなくなるのではないかとも煩悶《はんもん》されて、
結局は自身の薄倖《はっこう》を悲しむ明石であった。
尼君は思慮のある女であったから、
「あなたが姫君を手放すまいとするのはまちがっている。
ここにおいでにならなくなることは、どんなに苦しいことかはしれないけれど、
あなたは母として姫君の最も幸福になることを考えなければならない。
姫君を愛しないでおっしゃることでこれはありませんよ。
あちらの奥様を信頼してお渡しなさいよ。
母親次第で陛下のお子様だって階級ができるのだからね。
源氏の大臣がだれよりもすぐれた天分を持っていらっしゃりながら、
御位《みくらい》にお即《つ》きにならずに一臣下で仕えていらっしゃるのは、
大納言さんがもう一段出世ができずにお亡《か》くれになって、
お嬢さんが更衣《こうい》にしかなれなかった、
その方からお生まれになったことで御損をなすったのですよ。
まして私たちの身分は問題にならないほど恥ずかしいものなのですからね。
また親王様だって、大臣の家だって、良い奥様から生まれたお子さんと、
劣った生母を持つお子さんとは人の尊敬のしかたが違うし、
親だって公平にはおできにならないものです。
姫君の場合を考えれば、
まだ幾人もいらっしゃるりっぱな奥様方のどっちかで姫君がお生まれになれば、
当然肩身の狭いほうのお嬢さんにおなりになりますよ。
一体女というものは親からたいせつにしてもらうことで
将来の運も招くことになるものよ。
袴着《はかまぎ》の式だっても、
どんなに精一杯のことをしても大井の山荘ですることでははなやかなものになるわけはない。
そんなこともあちらへおまかせして、
どれほど尊重されていらっしゃるか、
どれほどりっぱな式をしてくだすったかと聞くだけで満足をすることになさいね」
と娘に訓《おし》えた。
少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋🪷も ぜひご覧ください🌟https://syounagon.jimdosite.com