🪷【源氏物語 579 第19帖 薄雲10】明石の姫君は二条院に着いた。紫の上の居間で菓子を食べなどしていたが、そのうちあたりを見まわして母のいないことに気がつくと、かわいいふうに不安な表情を見せた。
〜暗くなってから着いた二条の院のはなやかな空気は
どこにもあふれるばかりに見えて、
田舎に馴れてきた自分らがこの中で暮らすことは
きまりの悪い恥ずかしいことであると、
二人の女は車から下りるのに躊躇《ちゅうちょ》さえした。
西向きの座敷が姫君の居間として設けられてあって、
小さい室内の装飾品、手道具がそろえられてあった。
乳母の部屋は西の渡殿の北側の一室にできていた。
姫君は途中で眠ってしまったのである。
抱きおろされて目がさめた時にも泣きなどはしなかった。
夫人の居間で菓子を食べなどしていたが、
そのうちあたりを見まわして母のいないことに気がつくと、
かわいいふうに不安な表情を見せた。
源氏は乳母を呼んでなだめさせた。
残された母親はましてどんなに悲しがっていることであろうと、
想像されることは、源氏に心苦しいことであったが、
こうして最愛の妻と二人でこのかわいい子をこれから育てていくことは
非常な幸福なことであるとも思った。
🪷【源氏物語580 第19帖 薄雲11】紫の上は、明石の姫君を大切に世話をする。抱いたり、ながめたりすることが またとない喜びであり、姫君も懐いていった。乳母も紫の上と親しくなった。
〜どうしてあの人に生まれて、この人に生まれてこなかったか、
自分の娘として完全に瑕《きず》のない所へは
なぜできてこなかったのかと、
さすがに残念にも源氏は思うのであった。
当座は母や祖母や、
大井の家で見馴れた人たちの名を呼んで泣くこともあったが、
大体が優しい、美しい気質の子であったから、
よく夫人に親しんでしまった。
女王《にょおう》は可憐《かれん》なものを得たと
満足しているのである。
専心にこの子の世話をして、
抱いたり、ながめたりすることが夫人のまたとない喜びになって、
乳母も自然に夫人に接近するようになった。
ほかにもう一人身分ある女の乳の出る人が乳母に添えられた。
🪷【源氏物語581 第19帖 薄雲12】明石姫君の袴着の式が行われた。姫君が袴の紐を互いちがいに襷形《たすきがた》に胸へ掛けて結んだ姿がいっそうかわいく見えた。
〜袴着《はかまぎ》は
たいそうな用意がされたのでもなかったが
世間並みなものではなかった。
その席上の飾りが雛《ひな》遊びの物のようで美しかった。
列席した高官たちなどはこんな日にだけ来るのでもなく、
毎日のように出入りするのであったから目だたなかった。
ただその式で姫君が
袴の紐《ひも》を互いちがいに
襷形《たすきがた》に胸へ掛けて結んだ姿が
いっそうかわいく見えたことを言っておかねばならない。
大井の山荘では毎日子を恋しがって明石が泣いていた。
自身の愛が足らず、
考えが足りなかったようにも後悔していた。
尼君も泣いてばかりいたが、
姫君の大事がられている消息の伝わってくることは
この人にもうれしかった。
十分にされていて
袴着の贈り物などここから持たせてやる必要は
何もなさそうに思われたので、
姫君づきの女房たちに、
乳母をはじめ新しい一重ねずつの華美な衣裳を
寄贈《おく》るだけのことにした。
🪷【源氏物語582 第19帖 薄雲13】明石の上がと気がかりで、年内にまた源氏は大井へ行った。寂しい山荘住まいをして、唯一の慰めであった子供に離れた明石の上に同情して源氏は絶え間なく手紙を送っていた。
〜子さえ取ればあとは無用視するように
女が思わないかと気がかりに思って
年内にまた源氏は大井へ行った。
寂しい山荘住まいをして、
唯一の慰めであった子供に離れた女に同情して
源氏は絶え間なく手紙を送っていた。
夫人ももうこのごろではかわいい人に免じて
恨むことが少なくなった。
正月が来た。
うららかな空の下に二条の院の源氏夫婦の幸福な春があった。
出入りする顕官たちは七日に新年の拝礼を行なった。
若い殿上役人たちもはなやかに
思い上がった顔のそろっている御代《みよ》である。
それ以下の人々も心の中には苦労もあるであろうが、
表面はそれぞれの職業に楽しんでついているふうに見えた。
🪷【源氏物語583 第19帖 薄雲 14】源氏は、花散里の姫君の性格がきわめて善良で、無邪気で、自分にはこれだけの運よりないのであるとあきらめることを知っていた。源氏にとって心安らぐ女人である。
〜東の院の対《たい》の夫人も品位の添った暮らしをしていた。
女房や童女の服装などにも洗練されたよい趣味を見せていた。
明石の君の山荘に比べて近いことは
花散里《はなちるさと》の強味になって、
源氏は閑暇《ひま》な時を見計らってよくここへ来ていた。
夜をこちらで泊まっていくようなことはない。
性格がきわめて善良で、無邪気で、
自分にはこれだけの運よりないのであると
あきらめることを知っていた。
源氏にとってはこの人ほど気安く思われる夫人はなかった。
何かの場合にも
紫夫人とたいした差別のない扱い方を源氏はするのであったから、
軽蔑《けいべつ》する者もなく、
その方へも敬意を表しに行く人が絶えない。
別当も家職も忠実に事務を取っていて
整然とした一家をなしていた。
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