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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【10分で聴く源氏物語 21帖 乙女3〈おとめ〉】前斎宮が后におなりになった。大臣の姫君 雲居の雁は大宮に引き取られ育てられた。源氏の若君の夕霧の従姉妹。この少女と少年は小さな恋人同士になったby🐱

🌼【源氏物語656 第21帖 乙女11】梅壺の前斎宮が后におなりになった。女王の幸運に世間は驚いた。源氏が太政大臣になって、右大将が内大臣になった。そして関白の仕事を源氏はこの人に譲ったのであった。

〜皇后が冊立《さくりつ》されることになっていたが、

斎宮《さいぐう》の女御《にょご》は

母君から委託された方であるから、

自分としてはぜひこの方を

推薦しなければならないという源氏の態度であった。

御母后も内親王でいられたあとへ、

またも王氏の后《きさき》の立つことは

一方に偏したことであると批難を加える者もあった。

そうした人たちは弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》が

だれよりも早く後宮《こうきゅう》にはいった人であるから、

その人の后に昇格されるのが当然であるとも言うのである。

双方に味方が現われて、

だれもどうなることかと不安がっていた。

兵部卿《ひょうぶきょう》の宮と申した方は

今は式部卿《しきぶきょう》になっておいでになって、

当代の御外戚として重んぜられておいでになる宮の姫君も、

予定どおりに後宮へはいって、

斎宮の女御と同じ王女御で侍しているのであるが、

他人でない濃い御親戚関係もあることであって、

母后の御代わりとして后に立てられるのが合理的な処置であろうと、

そのほうを助ける人たちは言って、

三女御の競争になったのであるが、

結局|梅壺《うめつぼ》の前斎宮が后におなりになった。

女王の幸運に世間は驚いた。

源氏が太政大臣になって、右大将が内大臣になった。

そして関白の仕事を源氏はこの人に譲ったのであった。

この人は正義の観念の強いりっぱな政治家である。

学問を深くした人であるから

韻塞《いんふた》ぎの遊戯には負けたが公務を処理することに賢かった。

 

🌼【源氏物語657 第21帖 乙女12】大臣の姫君 雲居の雁は大宮に引き取られ育てられた。源氏の若君の夕霧の従姉妹。この少女と少年は小さな恋人同士になった。

〜幾人かの腹から生まれた子息は十人ほどあって、

大人になって役人になっているのは

次々に昇進するばかりであったが、

女は女御のほかに一人よりない。

それは親王家の姫君から生まれた人で、

尊貴なことは嫡妻の子にも劣らないわけであるが、

その母君が

今は按察使大納言《あぜちだいなごん》の夫人になっていて、

今の良人《おっと》との間に

幾人かの子女が生まれている中において

継父の世話を受けさせておくことはかわいそうであるといって、

大臣は引き取ってわが母君の大宮に姫君をお託ししてあった。

大臣は女御を愛するほどには決して

この娘を愛してはいないのであるが、

性質も容貌《ようぼう》も美しい少女であった。

そうしたわけで源氏の若君とこの人は同じ家で成長したのであるが、

双方とも十歳を越えたころからは、別な場所に置かれて、

どんなに親しい人でも男性には用心をしなければならぬと、

大臣は娘を訓《おし》えて睦《むつ》ませないのを、

若君の心に物足らぬ気持ちがあって、

花や紅葉《もみじ》を贈ること、

雛《ひな》遊びの材料を提供することなどに真心を見せて、

なお遊び相手である地位だけは保留していたから、

姫君もこの従弟《いとこ》を愛して、

男に顔を見せぬというような、

普通の慎みなどは無視されていた。

乳母《めのと》などという後見役の者も、

この少年少女には幼い日からついた習慣があるのであるから、

にわかに厳格に二人の間を

隔てることはできないと大目に見ていたが、

姫君は無邪気一方であっても、少年のほうの感情は進んでいて、

いつの間にか情人の関係にまで到《いた》ったらしい。

 

🌼【源氏物語658 第21帖 乙女13】二人の恋人が書きかわしている手紙が、幼稚な人たちのすることだから、抜け目があって、姫君付きの女房が見て、二人の交情がどの程度なのか合点する者もあった。

〜東の院へ学問のために閉じこめ同様になったことは、

このことがあるために若君を懊悩《おうのう》させた。

まだ子供らしい、そして未来の上達の思われる字で、

二人の恋人が書きかわしている手紙が、

幼稚な人たちのすることであるから、抜け目があって、

そこらに落ち散らされてもあるのを、

姫君付きの女房が見て、

二人の交情がどの程度にまでなっているかを合点する者もあったが、

そんなことは人に訴えてよいことでもないから、

だれも秘密はそっとそのまま秘密にしておいた。

后《きさき》の宮、

大臣家の大饗宴《きょうえん》なども済んで、

ほかの催し事が続いて

仕度《したく》されねばならぬということもなくて、

世間の静かなころ、秋の通り雨が過ぎて、

荻《おぎ》の上風も寂しい日の夕方に、

大宮のお住居《すまい》へ内大臣が御訪問に来た。

大臣は姫君を宮のお居間に呼んで琴などを弾かせていた。

宮はいろいろな芸のおできになる方で、

姫君にもよく教えておありになった。

 

🌼【源氏物語659 第21帖 乙女14】大臣は、母の大宮に、嵯峨の山荘の明石の上が、琵琶が非常に上手だあるという話をした。大臣は大宮に琴を引くことをお勧めする。

〜「琵琶《びわ》は女が弾くとちょっと反感も起こりますが、

 しかし貴族的なよいものですね。

 今日はごまかしでなく

 ほんとうに琵琶の弾けるという人はあまりなくなりました。

 何親王、何の源氏」

などと大臣は数えたあとで、

「女では太政大臣が嵯峨の山荘に置いておく人というのが

 非常に巧《うま》いそうですね。

 さかのぼって申せば音楽の天才の出た家筋ですが、

 京官から落伍《らくご》して地方にまで行った男の娘に、

 どうしてそんな上手《じょうず》が出て来たのでしょう。

 源氏の大臣はよほど感心していられると見えて、

 何かのおりにはよくその人の話をせられます。

 ほかの芸と音楽は少し性質が変わっていて、

 多く聞き、多くの人と合わせてもらうことで

 ずっと進歩するものですが、独習をしていて、

 その域に達したというのは珍しいことです」

こんな話もしたが、大臣は宮にお弾きになることをお奨《すす》めした。

「もう絃《いと》を押すことなどが

 思うようにできなくなりましたよ」

とお言いになりながらも、

宮は上手に琴をお弾きになった。

 

🌼【源氏物語660 第21帖 乙女15】「(明石の上は)聡明な人らしいですね。姫君を産み 自分がつれていては子供の不幸になることを理解し、奥様に姫君を渡したことを感心して聞きました」内大臣はそう話した。

〜「その山荘の人というのは、幸福な人であるばかりでなく、

 すぐれた聡明《そうめい》な人らしいですね。

 私に預けてくだすったのは男の子一人で

 あの方の女の子もできていたら

 どんなによかったろうと思う女の子をその人は生んで、

 しかも自分がつれていては子供の不幸になることをよく理解して、

 りっぱな奥さんのほうへその子を渡したことなどを、

 感心なものだと私も話に聞きました」

 こんな話を大宮はあそばした。

「女は頭のよさでどんなにも出世ができるものですよ」

などと内大臣は人の批評をしていたのであるが、

それが自家の不幸な話に移っていった。

「私は女御を完全でなくても、

 どんなことも人より劣るような娘には

 育て上げなかったつもりなんですが、

 意外な人に負ける運命を持っていたのですね。

 人生はこんなに予期にはずれるものかと私は悲観的になりました。

 この子だけでも私は思うような幸運をになわせたい、

 東宮の御元服はもうそのうちのことであろうかと、

 心中ではその希望を持っていたのですが、

 今のお話の明石の幸運女が生んだお后の候補者が

 あとからずんずん生長してくるのですからね。

 その人が後宮へはいったら、ましてだれが競争できますか」

大臣が歎息するのを宮は御覧になって、

「必ずしもそうとは言われませんよ。

この家からお后の出ないようなことは絶対にないと私は思う。

そのおつもりでなくなられた大臣も女御の世話を引き受けて

皆なすったのだものね。

大臣がおいでになったらこんな意外な結果は見なかったでしょう」

この問題でだけ大宮は源氏を恨んでおいでになった。

 

🌼【源氏物語661 第21帖 乙女16】姫君(雲居の雁)の十三絃の琴を弾いている髪つき、顔と髪の接触点の美などの艶な上品さに 父の大臣がじっと見入っているのを知って恥ずかしそうにしている横顔が美しい。

〜姫君がこぢんまりとした美しいふうで、

十三絃《げん》の琴を弾いている髪つき、

顔と髪の接触点の美などの艶《えん》な上品さに大臣が

じっと見入っているのを姫君が知って、

恥ずかしそうにからだを少し小さくしている横顔がきれいで、

絃《いと》を押す手つきなどの美しいのも

絵に描いたように思われるのを、

大宮も非常にかわいく思召《おぼしめ》されるふうであった。

姫君はちょっと掻《か》き合わせをした程度で

弾きやめて琴を前のほうへ押し出した。

内大臣大和琴《やまとごと》を引き寄せて、

律の調子の曲のかえって若々しい気のするものを、

名手であるこの人が、

粗弾《あらび》きに弾き出したのが非常におもしろく聞こえた。

外では木の葉がほろほろとこぼれている時、

老いた女房などは涙を落としながら

あちらこちらの几帳の蔭《かげ》などに幾人かずつ集まって

この音楽に聞き入っていた。

「風《かぜ》の力|蓋《けだ》し少なし」、

 以隕《らくえふびふうをまつてもつておつ》、

 而風之力蓋寡《しかうしてかぜのちからけだしすくなし》、

|孟嘗遭雍門而泣《まうしやうがようもんにあひてなく》、

 琴之感以末《きんのかんもつてすゑなり》。」

と文選《もんぜん》の句を大臣は口ずさんで、

「琴の感じではないが身にしむ夕方ですね。

 もう少しお弾きになりませんか」

と大臣は大宮にお勧めして、秋風楽を弾きながら歌う声もよかった。

宮はこの座の人は御孫女《ごそんじょ》ばかりでなく、

大きな大臣までもかわいく思召された。

そこへいっそうの御満足を加えるように源氏の若君が来た。

 

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