🪷【源氏物語468 第14帖 澪標42】こんな時に御幣(みてぐら)を差し上げても神は目にとどめにならぬだろう。祓いのために浪速に船をまわして明石の君の船は去った。
〜こんな時に自分などが貧弱な御幣《みてぐら》を差し上げても
神様も目にとどめにならぬだろうし、
帰ってしまうこともできない、
今日は浪速《なにわ》のほうへ船をまわして、
そこで祓《はら》いでもするほうがよいと思って、
明石の君の乗った船はそっと住吉を去った。
こんなことを源氏は夢にも知らないでいた。
夜通しいろいろの音楽舞楽を広前《ひろまえ》に催して、
神の喜びたもうようなことをし尽くした。
過去の願に神へ約してあった以上のことを源氏は行なったのである。
惟光《これみつ》などという源氏と辛苦をともにした人たちは、
この住吉の神の徳を偉大なものと感じていた。
ちょっと外へ源氏の出て来た時に惟光《これみつ》が言った。
住吉の 松こそものは 悲しけれ
神代のことを かけて思へば
源氏もそう思っていた。
「荒かりし 浪《なみ》のまよひに
住吉の 神をばかけて 忘れやはする
確かに私は霊験を見た人だ」
と言う様子も美しい。
🪷【源氏物語469 第14帖 澪標43】源氏は淀川の七瀬に祓いの幣が建てられてある堀江を眺め「今はた同じ浪速なる」(身をつくしても逢はんとぞ思ふ)と我知らず口に出た。
〜こちらの派手な参詣ぶりに畏縮《いしゅく》して
明石の船が浪速のほうへ行ってしまったことも惟光が告げた。
その事実を少しも知らずにいたと
源氏は心で憐《あわれ》んでいた。
初めのことも今日のことも住吉の神が
二人を愛しての導きに違いないと思われて、
手紙を送って慰めてやりたい、
近づいてかえって悲しませたことであろうと思った。
住吉を立ってから源氏の一行は
海岸の風光を愛しながら浪速に出た。
そこでは祓いをすることになっていた。
淀川の七瀬に
祓いの幣が立てられてある堀江のほとりをながめて、
「今はた同じ浪速なる」
(身をつくしても逢はんとぞ思ふ)
と我知らず口に出た。
車の近くから惟光が口ずさみを聞いたのか、
その用があろうと
例のように懐中に用意していた柄の短い筆などを、
源氏の車の留められた際に提供した。
🪷【源氏物語470 第14帖 澪標44】源氏は懐紙に歌を書き 明石の君の船に届けた。明石の君は自身の薄幸さを悲しんでいたところに 少しの消息であるが送られてきたことで感激して泣いた。
〜源氏は懐紙に書くのであった。
みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも
めぐり逢ひける 縁《えに》は深しな
惟光に渡すと、明石へついて行っていた男で、
入道家の者と心安くなっていた者を使いにして明石の君の船へやった。
派手な一行が浪速を通って行くのを見ても、
女は自身の薄倖《はっこう》さばかりが思われて悲しんでいた所へ、
ただ少しの消息ではあるが送られて来たことで感激して泣いた。
🪷【源氏物語471 第14帖 澪標 45】田蓑島《たみのじま》での祓《はら》いの木綿《ゆう》につけて、明石の上の返事は源氏の所へ来た。源氏は人目を遠慮せず会いに行きたいとさえ思った。
〜数ならで なにはのことも かひなきに
何みをつくし 思ひ初《そ》めけん
田蓑島《たみのじま》での
祓《はら》いの木綿《ゆう》につけて
この返事は源氏の所へ来たのである。
ちょうど日暮れになっていた。
夕方の満潮時で、
海べにいる鶴《つる》も鳴き声を立て合って
身にしむ気が多くすることから、
人目を遠慮していずに逢いに行きたいとさえ源氏は思った。
露けさの 昔に似たる旅衣《たびごろも》
田蓑《たみの》の 島の名には隠れず
と源氏は歌われるのであった。
🪷【源氏物語472 第14帖 澪標46】小舟を漕がせて集まる遊女に興味を持つ人達を苦々しく思う。恋の相手には尊敬するべき価値が備わってないと興味が持てぬと思う源氏。
〜遊覧の旅をおもしろがっている人たちの中で
源氏一人は時々暗い心になった。
高官であっても若い好奇心に富んだ人は、
小船を漕がせて集まって来る遊女たちに
興味を持つふうを見せる。
源氏はそれを見てにがにがしい気になっていた。
恋のおもしろさも対象とする者に
尊敬すべき価値が備わっていなければ起こってこないわけである。
恋愛というほどのことではなくても、
軽薄な者には初めから興味が持てないわけであるのにと思って、
彼女らを相手にはしゃいでいる人たちを軽蔑した。
🪷【源氏物語473 第14帖 澪標47】明石の君は住吉へ行って御幣を賜った。人数でない身の上を嘆いていたが、源氏の使いが明石にやってきた。
〜明石の君は源氏の一行が浪速《なにわ》を立った翌日は
吉日でもあったから住吉へ行って御幣《みてぐら》を奉った。
その人だけの願も果たしたのである。
郷里へ帰ってからは以前にも増した物思いをする人になって、
人数《ひとかず》でない身の上を歎《なげ》き暮らしていた。
もう京へ源氏の着くころであろうと思ってから間もなく
源氏の使いが明石へ来た。
🪷【源氏物語474 第14帖 澪標48】京に迎えたいという手紙が来た。今日に行ったのちにも源氏の愛が続くのか、また明石入道も悩む。明石の君は京に出ていく自信がないと返事をした。
〜近いうちに京へ迎えたいという手紙を持って来たのである。
頼もしいふうに恋人の一人として認められている自分であるが、
故郷を立って京へ出たのちにまで
源氏の愛は変わらずに続くものであろうかと考えられることによって
女は苦しんでいた。
入道も手もとから娘を離してやることは不安に思われるのであるが、
そうかといってこのまま田舎に置くことも悲惨な気がして
源氏との関係が生じなかった時代よりもかえって
苦労は多くなったようであった。
女からは源氏をめぐるまぶしい人たちの中へ出て行く自信がなくて
京に行く事はできないという返事をした。
🪷【源氏物語475 第14帖澪標49】斎宮もお変わりになって六条御息所は伊勢から帰ってきた。もう二人に友人以上の交渉があってはならないと御息所は決めていたから、源氏も訪ねて行こうとはしなかった。
〜この御代《みよ》になった初めに斎宮もお変わりになって、
六条の御息所《みやすどころ》は伊勢《いせ》から帰って来た。
それ以来源氏はいろいろと昔以上の好意を表しているのであるが、
なお若かった日すらも恨めしい所のあった源氏の心の
いわば余炎ほどの愛を受けようとは思わない、
もう二人に友人以上の交渉があってはならないと
御息所は決めていたから、
源氏も自身で訪ねて行くようなことはしないのである。
しいて旧情をあたためることに同意をさせても、
自分ながらもまた女を恨めしがらせる結果にならないとは
保証ができないというように源氏は思っていたし、
女の家へ通うことなども
今では人目を引くことが多くなっていることでもあって、
待つと言わない人をしいて訪ねて行くことはしなかった。
※一部動画が切れています。すみません🙇
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