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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🌊10分で聴く平家物語30】🌺少将都帰り①②〜成経殿は、父 成親の最後の地有木の別所を訪ねた。一晩中念仏をし墓所らしい体裁を整えた🪷苦難を共に乗り越えた康頼との友情‥人の心の素晴らしさよby😿

平家物語59 第3巻 少将都帰り①】

宰相の領国鹿瀬庄で、暫く休養していた成経は、

ようやく体力も元通りになり、

そろそろ気候もよくなってくるので、

都に帰る事を思い立った。

治承三年正月下旬、肥前鹿瀬庄を海路出発した。

早春とはいえ、まだ海は荒れ模様で、

島伝い浦伝いの航路を続けて、備前の児島に着いたのが、

二月の十日頃であった。

父成親ゆかりの場所、有木の別所は、ここから程近い。

今は遺跡となった住家を訪ねてみると、障子や唐紙には、

成親がつれづれのままに書き記したあとが残っていた。

 

安元三年七月二十日出家、

同二十六日、信俊《のぶとし》下向とあるところで、

少将は始めて源左衛門尉信俊がここを訪ねたことを知った。

 又、側の壁には、

「三尊来迎《さんぞんらいこう》便りあり、

 九品往生《くほんおうじょう》疑なし」

ともかかれていて、今更に父が最後の時まで、

欣求浄土《ごんぐじょうど》の念を捨てなかったことも知った。

「これ程ありありと、

 当時を偲ばせてくれる形身があるであろうか、

 もし父上が書きおいて下さらなければ、

 何もわからなかったかも知れない」

ありし日がそのまま甦《よみが》えってくるような筆の跡を、

何度も何度も読み返しては、

少将も康頼も涙を拭うのであった。

 成親の墓は、およそ墓というには余りにも貧弱な、

唯少しばかり土が盛られてあることでそれと知られるだけであった。

 少将は堪えられなくなって土の上に膝をつくと、

まるで成親が傍らにいるでもするかの様に語りかけるのであった。

「都を離れた所で、帰らぬ人になってしまわれたことは、

 風の便りで聞きましたが、何せ自由にならぬ島暮し、

 直ぐにもお傍に急ぎはせ参じたいと思いつつ、

 とうとう、これまで打ち過ぎてしまいました。

 この度どうにかこうにか生き長らえて、

 再び都の土を踏むことになった嬉しさは格別ではございますが、

 父上が生きておいでで、お目にかかれると思えばこそ、

 命を長らえていたわけでございますが、

 この様なおいたわしいお姿になってしまっては、

 私も、都へ急ぎ上ろうという気もなくなってしまいました。

 それにしても、余りに情ないことでございます」

さめざめと涙を流し、いろいろにかき口説くのだが、

苔《こけ》の下からは答える者もなく、松風の響きだけが、

静かな山の空気を震わせるだけであった。

その夜は一晩じゅう、墓の廻りで念仏して、成親の霊を慰め、

翌くる朝からは、新しく土を盛り、柵を作り、

前には仮屋まで立てて、どうにか墓所らしい体裁を整えた。

その中で七日七晩、念仏し、経を書き、

満願の日には大きな卒都婆を建て、

「過去聖霊《かこしょうりょう》、出離生死《しゅつりしょうじ》、

証大菩提《しょうだいぼだい》」と書き、

年号月日の下には孝子成経と署名した。

 年月は経っても忘れられぬものは、

年頃、育ててくれた父母の恩であり、

今更に、夢、幻の如く思い出され、

尽きぬ恋しさばかりが残るのである。

 それにしても、

これ程迄に父を想う少将の心が、

亡き成親の霊に通じないはずはあるまい。

「まだまだ、念仏もいたし、お側にもおりたいのですが、

 都には、母上始め待つ者も多くございますので、

又必ず参ることにいたします」

と、そこにある人の如くに暇を告げると、

泣くなく出立したのである。

🌹🎼さよなら、また会う日まで written by 蒲鉾さちこ

 

平家物語60 第3巻 少将都帰り②】

三月十六日、少将は鳥羽に着いた。

ここには、成親の山荘である洲浜殿《すはまどの》がある。

かつて美しかった邸宅も、

今は住む人もなく荒れるに任せていた。

 苔むした庭園は、人の訪れもないらしい。

池のあたりを見廻すと、折柄春風に小波が立ち、

紫鴛《しえん》白鴎《はくおう》が

楽しげに飛び交いしている。

昔、この景色の好きだった父、ああ、あの頃は、

この開き戸をこういう風にお出入りになっていたっけ、

あの木は確かお手ずからお植えになったものだった。

一つ一つの思い出が、ある事ない事、

ぼうっとうかんできて、

少将のやるせない慕情を一層激しくかきたてるのであった。

 庭のそこここにはまだ春の花が乱れ咲いていた。

主人の留守の間にも、

花だけは、春を忘れず咲き誇っていたのであろう。

ふと少将は知らずしらずのうちに、古い詩歌を口ずさんでいた。

桃李不言《とうりものいわず》

春幾暮《はるいくばくかくれぬる》

煙霞無跡《えんかあとなし》

昔誰栖《むかしたれかすんじ》

 

 ふる里の花の物言う世なりせば

   いかに昔の事を問わまし

いつまでも名残尽きぬ荒れた邸に、

いつか月が昇ってきていた。

破れ果てた軒の間から、

月の光はいたるところに射しこんでくるのである。

離れ難い思いが少将の心をとらえるのだった。

しかし都では、

迎えの乗物を持って待ちわびている家族たちがあった。

少将は名残惜しさに泣くなく洲浜殿を出て都に向った。

都が近づくにつれて、さすがに喜びはかくせなかった。

と同時に康頼との別れも近づいている。

康頼にも迎えの乗物が来ているのに、

康頼は少将の車から中々降りようとしなかった。

七条河原迄来ても、まだついてきた。

花の下で遊んだ半日の客、月夜の宴で一夜を語った友、

雨宿りに立ち寄った一樹の下の友、

そんな短い友情でさえ別れる時は

何かと名残り惜しいものなのに、康頼と少将は、

二年間、それも荒れ果てた孤島で、

うれしいにつけ、悲しいにつけ、

同じ罪業を背負って暮した仲間である。

別れ難いのも尤《もっと》もな話だった。

 

少将は、舅《しゅうと》宰相の邸に入った。

少将の母は、昨日から宰相邸で帰りを待っていたのである。

命があったればこそ、

といいもたまらず嬉し泣きに泣き伏してしまった。

少将の北の方、乳母の六条の喜びようも一通りではなかった。

六条は積る憂いに、黒髪もすっかり白くなっていたし、

かつては、あでやかな美貌をみせていた北の方は、

やつれ果てて、この人が、あの人か? 

と思えないほどの変り方であった。

少将が、都を去る時は三歳の幼児だった息子が、

すっかり大きくなって、今は、きちんと髪まで結っている。

その側に三歳ばかりの童児がいるのに目を留めた少将が、

けげんな顔をして、

「あれは?」

 と尋ねた。すぐさま六条が、

「あの方こそ、御下向の時」

 といったまま、袖に顔を押しあててあとが続かない。

少将も漸く気がついて、

「あの時、腹にいた、そういえば奥がひどく苦し気で、

 気がかりであった」

といってやっと思い出した。

「よくぞ丈夫で大きくなったものじゃのう」

 と又ひとしお感慨深げであった。

少将は再び院に仕え、宰相中将に上った。

康頼は、東山 双林寺《そうりんじ》の山荘で、

世を捨てた生活を送りながら、

「宝物集《ほうぶつしゅう》」を書いた。

ふる里の軒の板間に苔むして

  思いしほどはもらぬ月かな

都に帰ってからの康頼の所感である。

💐🎼忘られぬ面影 written by のる

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