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いにしえの都の高貴なネコ様のつぶやき🌸

我は、いにしえの都の高貴なネコ様🐱マロン🍀 下僕1号👩 下僕2号👨‍💼と ゆるりと暮らしておる。そんな我のつぶやきである🐱💖 

【🌊10分で聴く平家物語20】🔥烽火〈ほうか〉🍃大納言流罪〜重盛殿は周の幽王の故事を語り場を治めたけど、成親卿は流罪。家族と別れ、前大納言が備前の児島へ‥囚われ人でなければ美しい地であるのに😿by🐈

平家物語36 第2巻 烽火〈ほうか〉】

宿所に帰った重盛は、主馬判官盛国を呼びだすと、

「唯今、重盛が、天下の大事を聞き出して参った。

 常日頃、重盛のために命を惜しまぬ者があれば、

 急ぎ集めるように」

といった。この知らせがたちまち広がったから、

日頃、物事に動じぬ人のお召しというので、

まさに天下の一大事とばかりに、

誰も彼も、おっとり刀で小松殿へ集ってきた。

小松殿で何事かが起るという知らせは、

西八条にも届いていた。

西八条につめていた数千騎は、誰いうとなく、

一人残らず、小松殿にとんでいってしまい、

清盛邸はひっそり閑としてしまった。

驚いたのは、清盛である。貞能を呼ぶと、

「一体、重盛は、

 何のつもりでこれらの兵を狩り集めたのだろう。

 まさか、さっきわしに申した事を実行して、

 このわしに弓矢を引こうというつもりではないだろうな」

といささか心細げにいった。

「とんでもございません、

 あの方に限って

 そんな馬鹿な真似をなさるはずはございません、

 むしろ、

 余り言い過ぎたぐらいに思っていらっしゃるくらいです」

しかし清盛は、先程の闘争心を失って、

今は、もうすっかり気が滅入っていたし、

まして重盛と仲違いすることの不利なことはわ

かりきっているのだから、

法皇六波羅へ移すことも今はすっかり思い止まっていた。

彼は着ていた腹巻を脱ぎ、いつもの法衣を身にまとうと、

気のない念仏をくり返していた。

 

一方、重盛邸に集った兵はおよそ一万騎という多勢であった。

重盛は中門に出て一同に向い、

いつに変らぬおだやかな口調で、

「日頃の約束通りはせ集ってくれて、まことに有難い、

 ところで中国にこんな話がある。

 周《しゅう》の幽王《ゆうおう》に一人の寵妃があった、

 ところが、彼女は笑ったためしがない。

 たまたま、天下に乱が起き、兵を集める目的で烽火を挙げた、

 この国では、乱が起き兵を集める際、

 太鼓をたたき、所々に火を揚げさせる習いなのじゃ、

 ところで妃は、烽火を見て、はじめて笑った。

 それ以来妃の笑顔がみたくなると、幽王は烽火をあげさせた。

 そのうち余りにそれが重なるので、

 いつか兵も集まらなくなった、そこへ実際に乱が起き、

 幽王の身辺が危くなった。

 すると幽王は早速、烽火をあげた、

 誰一人それを真実の烽火と思う者はなく、

 軍兵はほとんど集らなかった。

 それで幽王は亡びたのじゃ、これは中国の故事じゃが、

 今後、再び、重盛の命があったなら、

 このようにしてかけ集って参れ、

 実は今日は、特に天下の大事を聞き出したので、

 早速皆の者を招集したのじゃが、よくよく調べてみると、

 虚報であった。ご苦労であったが、おのおの方引取られい」

 これは重盛の案じた一計だったのだ。

 万一の時、我が身にどれ程の味方がつくのかを知り、

 併せて、父清盛には、この様子をみせて、

 法皇に対する謀叛心をやめさせようと思ったのであった。

 法皇は、あとからこの事を聞き、ひどく感動された。

「今に始ったことでないにしても、当代稀なる人格者だ。

 怨を恩で返された心の高邁《こうまい》さには頭が下がるのう」

 とにかく器量といい、才覚といい、

 これほどの人物は稀といえるであろう。

🌹🎼Pirates of skeleton head written by えすにっく・かわひろ

 

平家物語37 第2巻 新大納言流罪

六月二日。その日は新大納言成親流罪の日である。

都を逐《お》われる日なので、特に許されて、

客間で食事を饗せられた。

さすがに万感胸に迫ってか、

成親はろくろく箸《はし》もとらなかった。

するうちに早くも迎えの車がやってきて、早く早くとせきたてる。

成親は後髪を引かれる想いで車に乗った。

「もう一度だけ、小松殿にお逢いしたいのだが」

といってみたが、許されるわけはなく、

囲りはものものしい武装兵ばかりがびっしりと取り囲み、

一人の縁者、家来の姿もない。

「たとえ、重罪で遠国に流されるにしても、

 一人の家来もないとは何と心細いことか」

成親が、車の中で、そっとつぶやくのを耳にして、

守護の家来も今更気の毒に思うのであった。

 朱雀大路すざくおおじ》を南に下ると、

やがて内裏が見えてきた。

成親は車の中からよそながら別れを告げていたが、

大納言流罪の知らせに、集っていた雑色《ぞうしき》牛飼達は、

かつてはあれほどの権勢を誇った大納言が、

今は一人淋しく都を去ってゆく様子に涙を流さぬ者はいなかった。

まして、都に残る北の方、幼い子供達の行末を考えると、

余りの痛わしさに、顔をそむけてしまう者もあった。

やがて車は鳥羽殿を過ぎた。

法皇が鳥羽殿に行幸の際は

必ず供奉《ぐぶ》のうちに入っていた成親であった。

それが、余りにも激しい身の上の変化である。

華やかなりし時代、

成親の別荘であった洲浜殿《すはまどの》もよそ目に見て通った。

過ぎ去った日の一こま一こまが、彼の目の前を、

あわただしく通り過ぎるうちに、いつか車は南門を出た。

ここからは船旅である。

「これから、どこへいくのじゃ、どうせ殺されるものならば、

 都には余り遠くないこのあたりで殺して欲しいものを」

大納言の気持もさこそとうなずかれても、

命令のない者を勝手に殺すわけにはゆかない。

やがて成親は警固の一人難波次郎 経遠《つねとお》を呼び寄せ、

「もしこのあたりに、わたしの身内の者か、

 大納言家に関りのある者がおりましたら、

 探して来て貰いたいのです。

 舟に乗る前に言っておきたいこともあるので」

といってたのんだ。

 経遠があたりを走り廻って聞き歩いたが、

名乗り出るものは一人もいない。

皆は、後の祟《たた》りを恐れて近寄らないのである。

これを聞いて成親はひどくがっかりしたらしい。

「あの当時は、私についていた者は一、二千人もあったろうか?

 いやそれではきかなかったかも知れない。

 だのに、今となっては、他《よそ》ながらでも、

 私の姿を見送ってくれる者もいないのだ」

と泣く姿には、経遠始め、物に動ぜぬ荒武者までが、

ついもらい泣きをしてしまうほどであった。

 

成親の乗った船は、普通の屋形船だったが、

身に添う者は唯涙ばかり、

荒々しい兵士達に囲まれて海上を渡る成親の目には、

熊野詣での華やかなりし航海の想い出が、

ありありと見えてくるのである。

 大物《だいもつ》の浦に着いた成親一行に、

京都からの使いが来たのが、六月三日である。

 死罪を一等免ぜられて、

備前《びぜん》の児島《こじま》へ流罪という知らせであった。

同時に、重盛から成親宛の親書があって、

「何とか、もう少し都に近い山里にもと奔走したのですが、

 どうも残念な結果になってしまい、申しわけない次第です。

 しかしお命だけは、確かにお預りしましたから、

 それだけを心頼みでいて下さい」

という便りで、同じく難波経遠にも、

くれぐれも待遇に注意するようにという伝言があった。

更に、身の囲《まわ》りのこまごました仕度までも、

何くれとなく気を配ってくれたのであった。

 

いよいよ配所が決ってみると、

さすがに一縷の望みも絶たれたという感じで、

成親は今更に法皇始め都に残してきた妻子のことがなつかしく、

二度と再び生きて逢うこともできまいと思うだけに、

その想いは切々と心に泌みとおるのであった。

 といっていくら泣いてもわめいても、

幽囚の身は如何《いかん》ともしがたく、

やがて、大物の浦から何日か船旅をつづけて、

備前の児島に着いたのである。

 小さい島はどこでも同じようであるが、

後は山、前は海、磯《いそ》の松風、波の音、

捕われ人の心を慰めるには、

余りにもわびしい寒々とした景色であった。

🌊🎼ささやかな嘆き written by ゆうり

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