🪷【源氏物語600 第19帖 薄雲31】帝は、女院と源氏の君の秘密を他に知った者はいないかと お聞きになった。僧都は、「‥私と王命婦以外にこの秘密をうかがい知った者はございません。」と答えた。
〜何とも仰せがないので、
僧都は進んで秘密をお知らせ申し上げたことを
御不快に思召すのかと恐懼《きょうく》して、
そっと退出しようとしたのを、
帝はおとどめになった。
「それを自分が知らないままで済んだなら
後世《ごせ》までも罪を負って行かなければならなかったと思う。
今まで言ってくれなかったことを
私はむしろあなたに信用がなかったのかと恨めしく思う。
そのことをほかにも知った者があるだろうか」
と仰せられる。
「決してございません。
私と王命婦以外にこの秘密をうかがい知った者はございません。
その隠れた事実のために
恐ろしい天の譴《さとし》がしきりにあるのでございます。
世間に何となく不安な気分のございますのも
このためなのでございます。
御幼年で何のお弁《わきま》えもおありあそばさないころは
天もとがめないのでございますが、
大人におなりあそばされた今日になって天が怒りを示すのでございます。
すべてのことは御両親の御代《みよ》から始められなければなりません。
何の罪とも知《しろ》し召さないことが恐ろしゅうございますから、
いったん忘却の中へ追ったことを私はまた取り出して申し上げました」
泣く泣く僧都の語るうちに朝が来たので退出してしまった。
🪷【源氏物語601 第19帖 薄雲32】帝は隠れた事実をお聞きになって、故院のためにも済まないこととお思われになったし、源氏が父君でありながら自分の臣下となっているということももったいなく思召された。
〜帝は隠れた事実を夢のようにお聞きになって、
いろいろと御煩悶《はんもん》をあそばされた。
故院のためにも済まないこととお思われになったし、
源氏が父君でありながら自分の臣下となっているということも
もったいなく思召された。
お胸が苦しくて朝の時が進んでも御寝室をお離れにならないのを、
こうこうと報《しら》せがあって源氏の大臣が驚いて参内した。
お出ましになって源氏の顔を御覧になると
いっそう忍びがたくおなりあそばされた。
帝は御落涙になった。
🪷【源氏物語602 第19帖 薄雲33】源氏は女院をお慕いする親子の情から、お悲しいのであろうと拝見したその日に式部卿親王の薨去が奏上された。いよいよ天の示しが急になったと帝はお感じになったのであった。
〜源氏は女院をお慕いあそばされる御親子の情から、
夜も昼もお悲しいのであろうと拝見した、
その日に式部卿《しきぶきょう》親王の薨去が奏上された。
いよいよ天の示しが急になったというように
帝はお感じになったのであった。
こんなころであったからこの日は源氏も自邸へ退出せずに
ずっとおそばに侍していた。
しんみりとしたお話の中で、
「もう世の終わりが来たのではないだろうか。
私は心細くてならないし、
天下の人心もこんなふうに不安になっている時だから
私はこの地位に落ち着いていられない。
女院がどう思召すかと御遠慮をしていて、
位を退くことなどは言い出せなかったのであるが、
私はもう位を譲って責任の軽い身の上になりたく思う」
こんなことを帝は仰せられた。
🪷【源氏物語603 第19帖 薄雲34】「死人が多くて人心が恐怖状態になっておりますことは、必ずしも 政治の正しいのと正しくないのとによることではございません。」そう源氏は、譲位を考える帝をお諌めした。
〜「それはあるまじいことでございます。
死人が多くて人心が恐怖状態になっておりますことは、
必ずしも
政治の正しいのと正しくないのとによることではございません。
聖主の御代《みよ》にも天変と地上の乱のございますことは
支那《しな》にもございました。
ここにもあったのでございます。
まして老人たちの天命が終わって亡くなってまいりますことは
大御心《おおみこころ》におかけあそばすことではございません」
などと源氏は言って、
譲位のことを仰せられた帝をお諫《いさ》めしていた。
問題が間題であるからむずかしい文字は省略する。
🪷【源氏物語604 第19帖 薄雲35】喪服姿の源氏の顔と竜顔とは常よりも いっそうよく似て ほとんど同じもののように見えた。僧都がお話し申し上げたほど明確に秘密を帝がお知りになったとは想像しなかった。
〜じみな黒い喪服姿の源氏の顔と竜顔《りゅうがん》とは
常よりもなおいっそうよく似てほとんど同じもののように見えた。
帝も以前から鏡にうつるお顔で
源氏に似たことは知っておいでになるのであるが、
僧都の話をお聞きになった今はしみじみとその顔に御目が注がれて
熱い御愛情のお心にわくのをお覚えになる帝は、
どうかして源氏にそのことを語りたいと思召すのであったが、
さすがに御言葉にはあそばしにくいことであったから、
お若い帝は羞恥をお感じになってお言い出しにならなかった。
そんな間帝はただの話も常よりはなつかしいふうにお語りになり、
敬意をお見せになったりもあそばして、
以前とは変わった御様子がうかがわれるのを、
聡明な源氏は、不思議な現象であると思ったが、
僧都がお話し申し上げたほど明確に秘密を
帝がお知りになったとは想像しなかった。
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