🪻【源氏物語356 第13帖 明石18】須磨は寂しく静かであったが、明石は漁村も賑やかに見える。いろいろな良さを発見されていって慰められた。
〜あの晴れ間もないようだった天気は名残なく晴れて、
明石の浦の空は澄み返っていた。
ここの漁業をする人たちは得意そうだった。
須磨は寂しく静かで、
漁師の家もまばらにしかなかったのである。
最初ここへ来た時にはそれと変わった漁村のにぎやかに見えるのを、
いとわしく思った源氏も、
ここにはまた特殊ないろいろのよさのあるのが、
発見されていって慰んでいた。
🪻【源氏物語357 第13帖 明石19】明石の入道は溺愛する一人娘のことでは源氏の注意をひこうとする。しかし心の動いていくことはないのではなかった。
〜主人《あるじ》の入道は信仰生活をする精神的な人物で、
俗気《ぞっけ》のない愛すべき男であるが、
溺愛《できあい》する一人娘のことでは、
源氏の迷惑に思うことを知らずに、
注意を引こうとする言葉もおりおり洩《も》らすのである。
源氏もかねて興味を持って噂を聞いていた女であったから、
こんな意外な土地へ来ることになったのは、
その人との前生の縁に
引き寄せられているのではないかとも思うことはあるが、
こうした境遇にいる間は仏勤め以外のことに心をつかうまい。
京の女王《にょおう》に聞かれても
やましくない生活をしているのとは違って、
そうなれば誓ってきたことも
皆 嘘にとられるのが恥ずかしいと思って、
入道の娘に求婚的な態度をとるようなことは絶対にしなかった。
何かのことに触れては平凡な娘ではなさそうであると
心の動いて行くことはないのではなかった。
🪻【源氏物語358 第13帖 明石20】明石入道が元の身柄も良いせいか、頑固ではあるが古典的な趣味がわかり 素養も相当ある。源氏は彼の話を聞くことでつれずれさも紛れる。
〜源氏のいる所へは
入道自身すら遠慮をしてあまり近づいて来ない。
ずっと離れた仮屋建てのほうに詰めきっていた。
心の中では美しい源氏を始終見ていたくてならないのである。
ぜひ希望することを実現させたいと思って、
いよいよ仏神を念じていた。
年は六十くらいであるがきれいな老人で、
仏勤めに痩《や》せて、もとの身柄のよいせいであるか、
頑固《がんこ》な、
そしてまた老いぼけたようなところもありながら、
古典的な趣味がわかっていて感じはきわめてよい。
素養も相当にあることが何かの場合に見えるので、
若い時に見聞したことを語らせて聞くことで
源氏のつれづれさも紛れることがあった。
昔から公人として、私人として
少しの閑暇《ひま》もない生活をしていた源氏であったから、
古い時代にあった実話などを
ぼつぼつと少しずつ話してくれる老人のあることは
珍重すべきであると思った。
この人に逢わなかったら歴史の裏面にあったようなことは
わからないでしまったかもしれぬとまで
おもしろく思われることも話の中にはあった。
🪻【源氏物語359 13帖 明石21】溺愛する一人娘の婿にと 入道は切望しながら無遠慮には言い出せない。明石の君は自分の身分の低いのを悲しむ。
〜こんなふうで入道は源氏に親しく扱われているのであるが、
この気高い貴人に対しては、
以前はあんなに独り決めをしていた入道ではあっても、
無遠慮に娘の婿になってほしいなどとは言い出せないのを、
自身で歯がゆく思っては妻と二人で歎《なげ》いていた。
娘自身も並み並みの男さえも見ることの稀な田舎に育って、
源氏を隙見《すきみ》した時から、
こんな美貌を持つ人もこの世にはいるのであったかと
驚歎《きょうたん》はしたが、
それによっていよいよ自身とその人との懸隔《けんかく》を
明瞭《めいりょう》に悟ることになって、
恋愛の対象などにすべきでないと思っていた。
親たちが熱心にその成立を祈っているのを見聞きしては、
不似合いなことを思うものであると見ているのであるが、
それとともに低い身のほどの悲しみを覚え始めた。
🪻【源氏物語360 13帖 明石22】4月になり、明石入道は衣替えの衣服などを調製した。長閑な初夏の夕月夜が 二条の院の月夜の池のように思われた。
〜四月になった。
衣がえの衣服、
美しい夏の帳《とばり》などを入道は自家で調製した。
よけいなことをするものであるとも源氏は思うのであるが、
入道の思い上がった人品に対しては何とも言えなかった。
京からも始終そうした品物が届けられるのである。
のどかな初夏の夕月夜に海上が広く明るく見渡される所にいて、
源氏はこれを二条の院の月夜の池のように思われた。
恋しい紫の女王《にょおう》がいるはずでいてその人の影すらもない。
ただ目の前にあるのは淡路《あわじ》の島であった。
「泡《あわ》とはるかに見し月の」
などと源氏は口ずさんでいた。
泡と見る 淡路の島のあはれさへ
残るくまなく 澄める夜の月
と歌ってから、
源氏は久しく触れなかった琴を袋から出して、
はかないふうに弾いていた。
惟光《これみつ》たちも源氏の心中を察して悲しんでいた。
🪻【源氏物語361 第13帖 明石23】山手の家の方へも松風と波の音に混じって源氏の琴の音が聞こえてくる。明石入道は泣く泣く琴の音を褒め称えていた。
源氏は「広陵《こうりょう》」という曲を
細やかに弾いているのであった。
山手の家のほうへも松風と波の音に混じって聞こえてくる琴の音に
若い女性たちは身にしむ思いを味わったことであろうと思われる。
名手の弾く琴も何も聞き分けえられそうにない土地の老人たちも、
思わず外へとび出して来て浜風を引き歩いた。
入道も供養法を修していたが、中止することにして、
急いで源氏の居間へ来た。
「私は捨てた世の中が
また恋しくなるのではないかと思われますほど、
あなた様の琴の音で昔が思い出されます。
また死後に参りたいと願っております世界も
こんなのではないかという気もいたされる夜でございます」
入道は泣く泣くほめたたえていた。
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